紫竜の花嫁

秋桜

出会い編

第1話 深夜の客

『今夜もまた売れ残った・・・』


浮舟は冷えた足先をさすりながらため息をついた。

もうすぐ日付が変わる。

10月に入り、夜の冷気が身に染みるようになった。 客を取れなかった遊女は暖のない控え室で薄い布団にくるまって寝るしかない。


「お!お兄さん。もうすぐ店じまいなんで安くしますよ。一泊どうですか?」


外から店の男の声が聞こえた。


『駆け込み客だろうか?こんな時間に来るなんてかなり酔っぱらっているに違いない。』


浮舟がそう思っていると、

店の男に続いて商人風の客が入ってきたが、浮舟の場所からは顔は見えない。

この町はこの地方では有名な宿場町らしく、客の6割は旅の商人だ。


手前にいた遊女たちが黄色い声をあげる。どうやら見た目のいい客らしい。


「旦那様は運がいい。今夜は玉藻もかずらも残っております。どちらもまだ10代半ばの美姫ですよ!」

店の男が売り込んでいる。

どうやら客は旅の商人のようだ。 浮舟は心の中で苦笑いした。


玉藻もかずらも病気持ちで常連はまず指名しない。


何も知らない憐れな客は顎に手をあてて悩んでいる。

なお、店の男は浮舟のことは紹介もしない。

浮舟に回されるのは他の遊女が嫌がる客ばかりだ。


「いや、あの端の娘にする。」


客の指名に店の男は慌てた。


「え、もしや浮舟ですか!?ダメですよ、20を超えた新人で、見てのとおり容姿も器量もよくありません。うち一番の不人気商品ですよ。」


家族に売られ、この遊郭に連れてこられて早3ヶ月、何度も聞かされた誹りに浮舟は何も感じなくなっていた。

「そうですよう、あんな年増は無視して私を選んでくださいな。ねえ、旦那様」

「あら、私ですよね、旦那様」


遊女たちが色気を含んだ声で誘っている。


『玉藻かかずらにしてよ!』


浮舟は心の中で願った。 最下層の遊女と見下している浮舟を選んだとなれば明日の嫌がらせが怖い。 そうでなくても浮舟は他の遊女からいじめをうけているのだ。


「もう決めた。いくらだ?」


浮舟の願いもむなしく客は譲らなかった。

店の男はあきらめて代金を受け取り、客室に案内している。

浮舟も諦めて奥の扉から客室に向かう。


「泥舟の分際で」


背後から悪態が聞こえる。 また痣が増える・・・浮舟はため息をついた。



~客室~

「失礼します。旦那様。浮舟と申します。」

客室の入り口で両手をついて挨拶する。

「旦那という年じゃない。若様にしてくれ。」

暗い部屋で客の表情は見えないが、苦笑いしているようだ。ただ声の感じから若い男だと分かった。

「では若様と。」

「若く見えるがいくつなのだ?」

「20ちょうどです。」

「俺より2歳下か。十分若いじゃないか」


浮舟は苦笑いしてしまった。


「ほかの遊女はもっと若く、それでいて経験豊かでございます。変更なさいますか?」


若様には悪いが玉藻たちの病気は治療可能なものだ、これ以上身体の傷を増やさないためにもチェンジしてほしい。


「必要ない。それより香を焚いてもいいか?」

「もちろんでございます。香炉をご用意いたします。」

「いらない。」


小さな火が灯り、若様は火のついたアロマキャンドルを枕元に置いた。

何の香りだろうか?

浮舟は初めて嗅ぐ・・・安っぽい匂いとは違う、うっとりするいい香りだった。


浮舟は客を寝台に誘った。

どうやら若様は未経験のようだ。

だから若くて綺麗な遊女は嫌だったのだろう。

浮舟も未経験者の相手は初めてだったが、若様は怒鳴りも殴りもしなかった。

それどころか浮舟の身体を気遣い、優しい言葉をかけてくれる。

こんな客は初めてだ。



店の男の声が聞こえる。

退店時間だろうか?

まぶたに朝日の光を感じて浮舟は慌てて飛び起きた。

いつの間に眠っていたのだろう?


「若様、お時間のようです。」

浮舟は時計を確認し、退店を促す。


「ああ、延長したからまだ休んでていいよ。」


そう言って若様は浮舟の隣に横になった。


「はい!?」


浮舟は驚きのあまり何とも間抜けな声をだしてしまった。

何の冗談だろうか?

この店の延長料金は安くない。 浮舟を延長する客などこれまでいなかった。


「延長?私をですか?」

「ほかに誰がいるんだ?起こすつもりはなかったんだが、従業員のしつけがなってないな」。


延長を告げられた店の男は声をあげて驚いたらしい。

浮舟は珍客の顔をまじまじと見つめてしまった。

赤みがかかった黒髪は肩まで伸びている。男にしては長いが艶やかで不快感はない。

ひげのない顔の肌はきれいで、整った顔立ちをしていて、思わず見とれてしまった。

瞳も髪と同じく赤黒い、いや赤よりも紫に近いかも


「どうした?」

若様の声で浮舟は我に返る。

「あ・・・延長頂いたのに申し訳ございません。うれしくて呆けてしまいました。」

浮舟はそう言うと男の首に両手を回して身体を密着させた。


客が延長する理由は一つだ。


若様の口角が上がり、浮舟の腰に手を回す。

「足は大丈夫か?」


大丈夫じゃない。

両足とも筋肉痛だ。昨晩、2回戦目で浮舟の足に限界がきた。

「また俺が上になるよ。」

笑いながら言う声は今朝も優しかった。



それから約1時間後


「お時間です。」

部屋の外から聞こえる声は遊郭の店主だ。

「また延長するよ。」


そういって若様は延長料金を小窓から店主に渡す。


『もうさすがに無理・・・』

 

浮舟は若様の体力に呆れてしまった。


「9時閉店ですので最後の延長になります。」


店主はそう告げて下がっていった。

声こそ挙げなかったが心底驚いているに違いない。

「疲れたろう。休んでくれ。」


若様はそう言って布団の横に座り、かばんからキセルを出してふかし始めたが、浮舟は困ってしまった。

疲れて眠いが、2度も延長してくれた客を放置して寝るわけにはいかない。

せめて話相手にならなければ・・・


「遅くなっては奥様に怒られませんか?」


若様ははじめて不機嫌そうな顔になった。

「妻はいない。夏に別れた。」


話題を間違えた。妻との初夜を前に卒業しにきたのだと思っていたのに。


「まあ、どうして?」

「側室腹の次男坊は嫌だとさ。」

若様は自虐ぎみに笑う。


「そんなくだらないことで!?」


浮舟は驚いて声をあげる。

商人の離婚は珍しくないが、多くの理由は子ができないことや商売の都合だ。

というか元妻は夫の生まれも知らずに結婚したのだろうか?

「くだらない?君も結婚するなら長男がいいだろう。」


何の嫌味だ。遊女にされた時点で結婚など無理だ。人気の妓女なら身請けもあろうが、最下層遊女の浮舟はこの店で早死にする未来しかない。


「・・・私は若様がいいですわ。お若くして甲斐性がある若様はとても魅力的な殿方です。長男かどうかなど商人としての才能や努力とは何の関係もございませんもの。」


客をおだてるのも遊女の仕事だ。

浮舟は作り笑顔を客に向ける。


「浮舟は俺のところに来てくれるのか?」


若様は驚いて、浮舟の顔をじっと見る。

浮舟は茶番に付き合うことにした。


「はい。あ、でも・・・私は借金を返し終わるまでこの店から出られないのです。」

「いくらだ?」

「さあ?兄が作ったものですので。」

「は?なんで兄は自分で返さない?」


若様は本気で疑問に思っているようだ。

浮舟は呆れた。 世間知らずのお坊ちゃまにもほどがある。


「ここはそういう場所です。借金のかたに娘や姉妹を売るのです。私の兄は商才のないぼんくらで、父が死んで店が傾くとすぐに私を売り飛ばしました。」

「なんでそんな男が跡取りになったんだ?」

「長男ですから。」


浮舟は吐き捨てるように言った。

もう自分の話はしたくない。

涙が出そうだ。

若様はみじめな遊女の身の上話を好むタイプではないだろう。

話題を若様に戻そう。客をおだてるのが仕事だ。


「この店では身請けはどうすればできるんだ?」


「はい?」


予想外の言葉に浮舟の声は裏返った。

このお坊ちゃまは身請けという言葉は知っているらしい。

身請けをちらつかせて遊女を口説くのは珍しくないが今更してどうするのだ?

しかし、それを指摘して客を不愉快にさせるわけにはいかないので、仕方なく浮舟は答えた。


「店主がまた呼びに参りますので、ぜひお話をしてくださいませ。」

「店主?さっきの年寄りか?」

「はい。延長頂いたお客様は店主がお見送りをするのです。」

「そうか。浮舟は商人の娘なのか?」


話を戻された。浮舟は心の中で舌打ちする。

「父は小さな町のあばら家で薬屋を営む下級商人でした。」

「・・・薬屋ならシリュウコウを知っているか?」

「いいえ、初めて聞きました。どんなお薬なのですか?」

「いや、知らないならいい。」


若様は顔をそらす。

これ以上追及してはだめらしい。


「旦那様、お時間です。」

浮舟が話題に困っていたところに、タイミングよく客室の外から店主の声がした。

「ああ。」

若様は身支度を整え、かばんを持って扉を開ける。

「お楽しみいただけましたか?」

初老の店主はにこやかに問う。

「町で一番安い店の割にはな。」


若様はさっきと打って変わって素っ気ない。


「誰がそんなことを?高級店ではありませんが、遊女は厳選しております。」


『噓つき。この町で最安値の遊郭なんでしょ?』


浮舟は着物を着ながら心の中でつぶやいた。

口に出せば後から折檻される。


「身請金も一番安いのか?」


なんと若様は本当に身請けの話を始めた。

浮舟は呆れた。

なんと茶番好きなかわりものなのだろう。


「大切な遊女たちですので。たたき売りなど致しませんよ。最低でも50は頂きます。」


店主の返事に浮舟は開いた口が塞がらない。


50万円?

その10分の1以下で買ったくせに・・・

この店の遊女に50も出すバカはいない。

もういいから早く帰ってほしい、疲れて眠い。


浮舟はあくびをこらえながら願った。


「最低50ねえ。」

若様は薄ら笑いを浮かべている。


「ですが、二度も延長頂いた旦那様にだけ。5日以内に30一括ご用意いただければ残金は勉強させていただきますよ。」

店主は手をもみながら告げるが、


30万円なんて上級商人でも3ヶ月でやっと稼げる額だ。

用意できるわけもないし、浮舟にそんな大金を払うバカはいない。


店主も客を追い出してとっとと店仕舞いしたいのだろうが、延長した客に渋々付き合っているようだ。


「30一括で売るんだな」

若い客が確認する。


『空気読んで、さっさと帰れよ。

買う気もねぇくせに。』


店主は心の中で思いながらも、営業スマイルは崩さない。

金払いはいい客だ。

旅の商人の口コミは大事にせねばならない。

「5日以内ならですよ。」

店主は念押しする。


「よし。取引成立だな。」


若い客はそう言って、財布から「参」と書かれた銀の板を差し出した。

「は?え?ええ!?」

店主は驚愕した。


銀の板は銀行が発行しているものだ。

参の板はこの町の銀行で30万円と交換できる。


『まさか本当に身請けする気か?』


店主は信じられない。

受け取って銀の板を確認するが、本物で間違いない。


「浮舟、すぐに支度をしてこい。昼にはこの町を出る予定なんだ。」


若い客は笑顔で遊女を見るが、浮舟はぽかんとしている。


「お、お待ちください!」

店主は声を張り上げる。

「当店にはもっとよい遊女が居ります。せっかく身請けいただくのですから、ほかの遊女もご覧になってください。すぐに連れてきますので」

若い客は不愉快そうに店主をにらむ。


「お前は金を受け取ったんだ。浮舟はもう俺のものだ。」


『浮舟などどうでもいい。こんな金儲けの機会はまたとない。もっと高い妓女を売りつけてやる。』


店主は客の前に立ちふさがると、振り返って店の男に命令した。

「おい、胡蝶と白蘭をつれてこい!」

この2人は店の二大看板だ。

もう寝ている時間だが、たたき起こして連れてくればよい。

頭でそろばんをはじきながら、店主は客に向き直ると、眉間にしわを寄せた客の顔が目の前にあった。

次の瞬間、店主は首をつかまれ、足が床から浮いた。

浮舟が悲鳴をあげ、店の男が慌てて駆け寄る。


「とっとと浮舟に支度させろ。」


店主の首を右手でつかんだまま、若い客は怒気を含んだ声で命じる。

店主は息ができない。

顔がみるみるうちに青くなっていく。


「畏まりました。すぐに支度させますので、どうか父をご容赦ください。」


店の男、店主の息子が慌てて客に土下座する。

若い男は手を離した。

店主は尻から床に落ち、ゼーゼーと空気を吸い込む。

店主の首には真っ赤な手の跡ができていた。


店の男は立ち上がると、震えて立ちすくんでいる浮舟の肩をつかんで奥の控室に無理矢理連れていった。

控室では男の妻と母がてん末を見ていたようで、浮舟の着替えと荷物を用意し始めた。


「い、いや。」


浮舟は涙を浮かべて首を横に振るが、思いやる者は一人もいない。

30分もしないうちに着替えさせられ、化粧を直され、わずかな荷物を風呂敷に包まれて、浮舟は買い手に引き渡された。


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