1-(2)天文部への誘い


「……須崎はサークル、入った?」

 学食で昼食を取っている時、同級生の佐久間さくま弘一こういちに訊かれた。あの女子学生に出会ってから数日が経ち、週が変わっていた。

「陸上部に入るつもりだったんだけど、セレクション、落ちた」

「選抜ってこと? そんなの、あるんだ」

「そう。こんなに厳しいと思わなかったよ。強豪校でもないと思うんだけど」

「体育会だからかね。やっぱり、大学って違うよね」

 山羊のように優し気な面立ちの佐久間は、そう言うと細い身体を丸めて蕎麦を啜った。

「佐久間は何か入ったの?」

「うん。実はさ……。俺、須崎を天文部に誘おうと思ったんだ。どう?」

「天文部?」

「星を見るサークル。クラスオリの時、星の話、してただろ」

 同級生たちと出身地の話を交換した際に、そんな話題も出したなと思い当たった。

「陸上部の合宿の話かな。摩周湖のそばに行った時の」

「それだと思う。天の川がすごかったって聞いた。もし、星に興味があったら、来ない? 今年、新入部員が少ないから、心当たりに声をかけてくれって先輩に言われたんだよ」

「興味、なくもないけど……。どんな活動してるの」

「泊まりで星を見に行ったり、好きな天体を観測して記録つけたりしてる。長期休暇には合宿があるんだって」

「泊まりに行かない時は何してるの」

「特に何も。日時の決まっている活動は毎月の部会ぐらいだから、時間の自由は効くよ」

「ふうん……。ちょっと、俺の求めてるものとは、違うかな」

「須崎の求めてるものって、何」

「何か目標があって、そこに向けて頑張る気になるようなやつ。今はそれがなくなって、落ち着かないんだよ」

「わかるよ。受験勉強が終わったもんな」

 佐久間は少し考えた。

「あのさ、スポーツや受験みたいに勝ち負けがあるものじゃないけど。天文部は、大学祭の企画がすごいって聞いたよ」

「何やってるの」

「プラネタリウム。何十人も入るような、大きいやつを毎年作ってるんだって」

「プラネタリウムかあ……。昔、地元で見たけど、特に感心した覚えもないな」

「それが、ここのサークルのは、うまく行けば本当に素晴らしいっていうんだよ」

「『うまく行けば』?」

「うまく行くとは限らない。つまりそれだけ、大変な企画をやってるってことさ」

「へえ」

 わずかに好奇心を動かされた。

「佐久間は、なんで天文部に入ろうと思ったの。その、プラネタリウムのため?」

「いや、そういうわけじゃない。俺は子どもの頃から星を見てるんだけど、地元の天文同好会で流星観測をやってて、こっちでも続けたかったから」

「流れ星を見るの?」

「そう。流星群のピークの時に、大勢で出現数を数えたりするんだけど、楽しいもんだよ」

 ――流星群。――

 その時、記憶の中で、ちらりと光った言葉があった。頭によみがえったイメージが一瞬、目の前の相手から注意を逸らせた。

 ――あれは、今の話と同じものだろうか。あの本にあった。――

「……入部、試してみるだけでもいいし、掛け持ちでもいいんだよ」

 佐久間は粘っていた。

「話を聞くぐらいなら」

 佐久間の熱意と、記憶の中の言葉に背を押され、気がつくとそう答えていた。

「じゃあ、金曜日の部会においでよ。プラネタリウムの説明があるんだ。直接会場に行ってもいいけど、その少し前に部室に来てくれてもいいよ。みんなで一緒に行くから」

「部室、どこ」

「学生会館の三階」



 部会は六時からという。二十分前に学生会館に着いて、所在なくロビーをうろついた。あの女の子に会えないかと、心の片隅で期待していた。

 パンフレット用のじゅうに多種多様なチラシ類が差してある。中に、「ランニング同好会」と記したチラシがあるのを見つけて手に取った。経験不問、走るのが好きな人誰でも歓迎、とある。 天文部がぴんと来なければ、ここに行ってみてもいいか、とかばんに入れた。

 六時まであと十分というところで、階段から男ばかりの集団が下りてきた。

「あれ、須崎」

 佐久間が駆け寄ってきた。

「部室に来れば良かったのに」

 別の学生がそばで立ち止まった。

「佐久間、どうしたんや」

 関西弁だ。張りのある大きな声にたじろぐ。

「同級生です。入部、検討中の」

「ほお。名前は」

 相手は人懐こく顔を覗き込んできた。天然パーマらしい縮れ毛が目立つ。浅黒い顔に眼鏡をかけ、その向こうの目は面白いことを探している真っ最中といったふうに輝いていた。

「須崎です。今日は見学でお願いします」

「いいですよ。ぼくは部の総務で、西尾といいます。よろしく」

 一緒に歩き出して、佐久間が言った。

「西尾さんは、『流星観測人』っていう役目もしてるんだよ」

 関西弁の上級生がうなずいた。

「そう、流れるにるに人と書いて、『りゅうかんにん』とも言うてますけど、流星観測で場を仕切る役ですわ。須崎くんは、何か特別に関心のある天体とか、あるんですか」

「特にないですけど……。流星なら、『獅子座の流星群』っていうのがあるって、本で読んだことがあります」

「ああ、レオニズねえ……」

「レオニズ?」

「英語で獅子ししぐんのことをそう呼ぶんやけど、あんまり数が出えへんので、観測会はしてへんのですよ。例年、大学祭の準備で忙しい時期ですしね」

「数が出ない?」

「たくさん出るのは、三十三年に一回やからね。次のチャンスまでは、まだあと十一年ありますよ」

 部会会場の理科教育棟に着いて入口をくぐると、湿気しけたコンクリートの、冷たくかびっぽい匂いがした。

「ここの天井で水漏れしてて、鍾乳石ができてるって、地学の丹野先生が言ってただろう」

 佐久間が暗い奥を指差した。

「自然界だと二千年かかる、って言ってたやつ?」

「そう。あの先生が顧問なんだよ。部の活動に来ることはないみたいだけど」

 西尾さんが横から言った。

「部の役員は、必ずお世話になりますよ。大学にいろんな届けをする時に、ハンコもらわなあかんのでね」

 一階の教室に入る。すでに多くの席が埋まり、こちらには女子の姿も見える。

「今日は今年度で最初の部会ですから、入部するならええタイミングですよ。ぜひ考えてください」

 そう言い置いて西尾さんが離れたのと同時に、教室の一角から目を離せなくなった。

 先週出会った女の子がそこにいた。今日は紺地に金ボタンのブレザーを、水色のワンピースに重ねた姿で、他の女子たちと話をしている。屈託ない笑顔が見える。先週出会った時の、激しい感情の残り火はどこにもなかった。

 彼女が視線をこちらに向け、目が合った。思い出そうとする気配が彼女の瞳に動いたように思ったが、

「部会を始めます」

 という大きな声で皆が正面を向いた。

 司会の男子学生が教卓の後ろに立っていた。長い首をまっすぐ立てて、面長で色白、シャツのボタンを上まできちんと止めている。部長の内藤さんだと佐久間が小声で教えてくれた。総務の西尾さんは教室の最前列に陣取り、印刷資料の山を横に置いている。教室には四十人ほどが集まっていた。

「一年生の皆さん、改めて入部を歓迎します。ご承知のように、われわれの大学では三年生進学時にキャンパスが分かれるので、天文部の活動の主体はここ、教養部キャンパスです。部の役員も皆、二年生です。部の活動で最も大きなものは、合宿の主催と大学祭のプラネタリウム製作ですが、これらも一年生と二年生の運営です。二年間という短い期間ですが、その分、密度の濃い活動をやっていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします」

 二年生の役員が紹介された後、西尾さんが資料の束を回した。内藤部長の指示でページをめくり、年次予定について話を聞く。一通りの説明を終え、部長は言った。

「今日は、一年生の皆さんに大学祭プラネタリウムのイメージをお伝えするため、昨年の様子をスライドで上映します。準備をしますので、少々お待ちください」

 プロジェクタの設置が行われる間、休憩時間に入って教室内は騒がしくなった。さっきの女子学生に話しかけに行こうかと思った矢先、前の列から声がした。

「佐久間、そちら紹介してくれる」

 きれいな卵型の顔に鼻筋の細く通った、長髪の男だ。その耳元に鈍い銀色の光が見え、ぎょっとした。――ピアス? ――

 佐久間がぼくを入部検討中の同級生だと紹介すると、彼は右手を差し出してきた。

「ぼくは高仲。よろしく」

 あわてて目線を彼の耳から外す。ためらいながら伸ばした手をしっかりと握られた。彼がこちらの目を見て親し気に微笑む。いきなり懐に飛び込まれたような感覚に戸惑った。

「高仲は、自分で望遠鏡を作っているんだよ」

 佐久間の言葉に目をみはった。

「そんなことができるんだ」

「まだ、レンズを磨いている段階だけどね。当分かかるよ」

 高仲は事もなげに言い、話題を変えた。

「君はどこから来たの」

「釧路。……って、知らないかもしれないけど」

「どうして。国立公園があるのに」

 自己紹介を交換するうち、高仲が東京の私立高校の出身でサッカーをやっていたとか、高校の頃からこの大学の文化祭に通い、昨年のプラネタリウムも体験しているとかに加えて、頭のよく回る男だということがわかった。こちらの言葉以上のものを瞬時に理解している。その上、ぼくに対して純粋に興味を示してくる様子に、劣等感と好感が混じり合った気持ちを抱いた。――大学には、こんな奴がいるのか。――

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