第7話 不思議な世界



 全身が軋んで体が痛い。昨日は、ほぼ一日中外をほっつき歩いていたし、何よりこの硬くて冷たい床に俺の体は蝕まれた。

 とても、憂鬱な朝だ。夢落ちであって欲しかったんだが、そう上手くもいかないよなぁ。

 取り敢えず水泳部員のルーティンとしていつも通り柔軟を始めよう。

 俺はグーと伸びをして、半身になり、起き上がる。

 

 茶色いカーテンがかけられた窓のない窓から、薄らと光が漏れて居る。朝六時ぐらいだろうか。時計が無いとは何とも不便。現代日本の生活に慣れた俺とっては、これからどれ程の困難が待ち受けているんだろう。

 

 カエデ一家の方を見ればまだ眠って居るみたいだ。

 異世界の住人はもっと早くから起き、朝の仕度をして居るイメージがあったが、俺の思い込みらしい。

 

 俺は一家を起こさないようひっそりと柔軟を始める。


 カーテンの隙間から本格的に太陽光の光芒が差し込み始めた頃、カエデがベットから起き上がって来た。


「おはよう」

「おはようございます。もう起きてたんですね」

 

 目を擦りながらむにゃむにゃと話す美少女は何とも愛らしい。

 

「ちょっとね……」


 助けてもらってる立場の奴が、ベットで寝たいだなんてわがままなんて言う権利無いしな。

 

「すいません、タオルぐらいしか用意できなくて……」


 そんな俺の心中を察してか、申し訳なさそうな顔をする。

 

「いやいや、部屋の中で眠れてるだけでもありがたいよ。魔物の餌にはされたく無いから」

「確かに餌にされるのと比べたらマシ、ですかね……。所でそれ、何してるんです?かなり変わった動きですね」


 世界には柔軟という物が無いらしい。なぜなら俺は今柔軟で一番ポピュラーな両足を広げながら地面に頭をくっつけるあれをやって居る最中だからだ。

 

「柔軟って知らない?」

「じゅうなん?分からないです」


 やっぱりか。

 

「これやると、関節の合間がほぐされて気持ち良くなるんだよ」

「気持ち良くなるからやってるんですか?」

「違うよ。気持ち良くなるのはオマケで、本来の目的は体の可動域を広げたり、怪我を減らしたりだとか色々良い効果があるって聞いたからやってるんだ。ま、一年やってても効果感じないんだけどね。」

「え?じゃあ続けてる意味あるんですか?」

「今は朝の気合い入れでやってる。目も醒めるし習慣みたいなかんじ」

 

 実をいうと柔軟を毎朝やり始めたのは償うと決心した次の日から。

 これを朝からやるのは自分への戒めでもある。絶対に部活から逃げてはいけないと朝から自分に言い聞かせるのだ。そうすれば覚悟が決まり、眠気でダレた心も締まって良い感じになる。


「あーそれ分かります。私も毎朝の習慣があって、それやるといい感じにリラックスできる気がします」


「うんうん、朝は心持ち大事だから。習慣ってラディオ体操でもやってるの?」

 

「ラディオ体操が何かは分からないですが、ご飯を用意したり、夜ご飯の仕立て、洗濯、掃除なんかは朝のうちにいつもやってます」


 へー毎朝家族の家事手伝いか。まさに子供の鏡、まあ異世界中世ファンタジー世界なら当然ちゃ当然なのかもしれない。あれ?家事って習慣じゃ無くね?


「それ習慣というか家事じゃない?」


「え?あ、ほんとですね」


 カエデは頭に手を当て苦笑する。

 

 

 その時、風で揺れ動いたせいかカーテンの木漏れ日がカエデの顔に当たり、端正な顔立ちが金色に光る。

 俺は照らされた少女の笑顔を見て、おー綺麗だなーと思った。

 

 

「日も照ってきたので、もうそろそろ朝ご飯の用意します」

「俺も手伝うわ。……そう言えば、さとるさんとカスミさんはまだ起きて来ないのか」

「えーと、昼頃になったら起き上がってくるので大丈夫です」

「え?昼頃になるまでずっと寝てんの?」

「はい」

「もしかして、いつもそう?」

「ここ数年はそうですかね」

「じゃあ朝の家事はずっと一人で?」

「はい」

 

 うーん、随分と酷な話だな。子供一人に午前の家事を全部丸投げだなんて親の風上にも置けない。それともこの世界の価値観が俺と違うだけで、異世界ではありふれた光景だとでもいうのだろうか?

 

「それって可笑しくないか?なんでさとるさんやかすみさんは家事を手伝ってくれないんだ?」

「二人とも最近体調が悪くて、昼間まで安静に眠っといてもらってるからです。」


 体調悪いから家事ができないと言うのなら、この世界の価値観でも大人が家事をしないというのは一般的でないんだろう。

 でも昨日はさとるさんやかすみさん、全然元気そうに見えたけどな。二人して数年も寝込むってのもどういうことだろう。

 

「体調悪いとしてもここ数年ずっとって流石に長すぎる気がするけど」

 

「とにかく安静にしておいて貰らわないとダメなんです」


 納得いかなかったが俺は無理矢理頷いた。


 彼女がこれ以上深追いはして欲しく無さそうに、顔を俯けたからだ。どうも彼女は触れられたく無さそうな話題が多い。

 


 朝食は昨日と同じ謎肉だった。カエデになんの肉か聞いてみるとハバキという現代で言えばシカに近い生き物の肉らしい。

 どうやらデミス一家はほぼ毎日同じものを食べているようだ。飽きないもんかと思ったがカエデによると口に入れば何でもいいらしい。

 日本令和食文化に慣れた俺には難しそうだ。

 

 


 朝食を食べ終わるとカエデが俺に本を進めてきた。少し常識が欠落している俺を心配しているとのこと。少しどころか全くこの世界について知らなかったのでありがたかった。

 

 まずカエデに渡されたのが"世界の果てまで行ってK"という本だった。なんか某番組と名前が……。

 

「本なんてよく持ってるよな」


 異世界で技術も発達していないとなれば本は当然価値が高くなるだろう。

 

「はい、大分昔に買ったものです。少し高価でしたが私はこの世界について知っとくべきだと思ったので」


 カエデの物言いには少し重みが含まれていた。もしかしてら亜人差別の歴史を知るために買ったのかも知れない。


 俺は最初のページを開く。


 そこには2ページ一面に地図が書かれていた。

 一つしかない大陸の形が円で描かれている。そして真ん中を縦断するよう竜の道と書かれた安定感の無い線が走っていた。


 

「なあ、なんで世界は円で書かれているんだ?」

「世界が円状だからですよ」


 カエデはかわいそうなものを見るよう話しだした。それほどまでに常識的な話であるらしい。

 だが、大陸が都合よく円を描くなど俺の世界の常識じゃ考えられない。もしかしたら、昔は地球平面説が信じられていたのと同じように伝説を事実だと信じ込んでいるのかもしれない。

 地図を眺めていると俺はたびたび目にする竜の何々という単語が気になった。特に円の外側の世界が全て竜の領域ということになっている。


「この竜の領域っていうのはどういうこと?海に竜が生息してるってこと?」

「ウミって何ですか?そこはすべて陸地の地平線で、竜が支配していて通れないようになってるんです。」


 カエデはまたもや可哀想な者に諭すようそう言った。

 

「……嘘だろ?ウミ、ない?」

「ウミ、ないです」

「…………」


 俺は絶句した。なんとこの世界には海というものが存在しないのだ。流石に海があるかないかぐらいは異世界人でもわかるだろう。信じられない、だって俺水泳部だぞ?何で唯一の取り柄が生かせない世界に転生しちゃったのか……いやそもそもだが泳ぐ技能など異世界転生で何の役にたつ?ウォーターワールドにでも転生しなければ何の価値もないんじゃなかろうか?じゃあ別に良い、のか?

 

 そう言えばカエデは世界の外には竜の領域が広がっていると言っていた。じゃあ更に外側には何があるんだ?


「竜の領域の外、ですか」

「だってずっと竜の領域が続いてるってわけじゃないだろ?」

「分かりません。カイトさんが言うよう、世界の外には何か別の物があるのか、それともずーと竜の領域が続いているのか。竜の領域へ足を踏み入れることができる生き物はいませんから」

「竜を倒すのじゃダメなの?カエデが魔物に使ったみたいに魔法で対抗すればいいじゃないか」

「だめです。竜を侮ってはいけません。竜はあらゆる魔獣とは一線を画しています。恐らくこの世界の指折りの実力者ですら数体を相手にするのが限度、縄張りに入って来た途端無数の竜が襲って来るので人が使う魔法なんて竜の前では無意味です。」

「竜ってよっぽど暴食なんだな」

「実を言うと竜は食べるわけでもないのに襲うことの方が多いんです。そもそもどこからやってきてどこへ行き何故なわばりに入ってくる生き物を手あたり次第攻撃するのか、定かでは無い不思議な生き物なんですよ」

「うーんそんな得体のしれない生き物が占拠しているのなら、外に何があるのか知るどころの話じゃないか。」

「でも、だからこそワクワクしませんか?」

「え?」

「誰も到達できたことが無い場所を踏破する。私、竜の領域の外に行くのが夢なんです。」


 確かに未知というのは恐ろしくもあり憧れでもある。踏破されつくした俺の世界には無い探求心という忘れさられたロマンだ。


「あ、すいません、いきなり変なこと言いだして……」

「良いな、その夢」

「ほんとですか?」

「うん、俺もカエデと一緒に見てみたい」

「……」


 カエデは顔を赤らめる。

 

 あ、まずった、口説いたみたいになっちゃった。

 

「い、いや、俺は純粋にそう思っただけで、他意はないから」

「そ、そんなことわかってますよ。私はただ人と夢を共有できたことが嬉しかったんです。初めての経験ですから」


 これじゃまるで俺が勘違いしたみたいじゃないかって、俺が勘違いしたのか……

 

 恥ずかしさを紛らわすよう再びページをめくり始めた。


 本の内容を大体にまとめるとこうだ。

 この世界の言語は単一で様々な種族が生息している。

 大まかに分けると人、獣人、エルフ、亜人、魔族、土鬼、区分を細分化すればもっと多くなるらしい。

 

 亜人族に関してもいくつか知ることができた。

 数千年前、人族と亜人で戦争があったらしい。きっかけは強い亜人の力を恐れた事に始まる。

 だが、亜人の力は少数ながらも凄まじい力を持ち人族を圧倒。人族は追い詰められたらしい。そうして人族で最も栄える国ハラキアが落とされようとしていた直前、英雄が現れた。その名はマクマホンという。

 

 マクマホンは単体ながらも徐々に亜人を押し返し、最終的に彼の剣ゼニスによって亜人の王は倒され、悪しき亜人の国は滅びた、と書かれていた。聖剣ゼニスというのがかなりぶっ壊れ性能らしく、一振りで山を二つに割るのだとか。

 亜人差別が始まったのも人族が亜人に勝ってからだろうか?そこら辺が詳しく書いていないので分からない。でもそうだとしたら結局は自分達が上に立ち続けたいという人間のエゴでしかない。

 

 今までの歴史上、人、獣人、エルフ対魔族、土鬼という構造のもと戦争が繰り返されてきたんだとか。そしてお互い戦争を続ける内領土は固定化されていき竜の道に分断されるよう西に人、獣人、エルフ、東に魔族、土鬼、が住み着いたそうだ。



 竜の道とは円の世界を真っ二つ半分に縦断するもので、竜の領域と同じく龍が住み着いており生き物が立ち入ることはできず、彼らの縄張りへ入った瞬間肉片に変えられるのだそう。左右の世界を行き来するためには円の世界の南にある大きな砂漠を越えなければならない。

 

 ちなみに種族同士で組むのは敵の敵は味方という考えがあるからで、決してお互いが友好的などではないとか。

 本によると実はほんの数年前まで魔族と人族の間で戦争が繰り広げられていたらしい。それもかなり大きな戦争だったらしく、人魔大戦と呼ばれている。人族は追い詰められていたみたいだが、何故か突然魔族の指揮を取る魔王がいなくなった事で戦争は終結したらしい。


「この本を見た所、人魔大戦って最近起きたばっかりなんだな」

「あ、その本、五百年程前のものなので実際に大戦が起きたのはかなり昔ですよ」

「この本そんな前のやつなのかよ」

 

 それにしては綺麗だな。


 本を読んだ事で異世界のことについて理解が深まるどころかより謎が深まった。


 丁度本を読み終えたころ、サトルさんとカスミさんが起き上がって来た。それが合図だと言わんばかりにカエデは言った。


「行きましょう、祠探索へ」

 

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