苦しいときに思い出す猫

泉 清寂(イズミ セイジャク))

第1話

苦しいときに思い出す猫

「天は自ら助けるものを助ける」という言葉がある。これを実践した野良猫がいた。

三十三年ほど前になる。当時、私は最悪の逆境に置かれていた。自殺も選択肢に入っていた。四匹の野良猫と運命的な出会いがあった。

私の家の裏庭に段ボールに入れられ、四匹の野良猫が捨てられていた。生まれて一週間ほどの猫たちで、このままでは死んでしまうと思い、ミルクを与えた。

そのまま猫たちは裏庭の物置の下に住み着いた。


この四匹の猫たちは兄弟にもかかわらず、毛並みも性格も全く違っていた。

二匹は白色で非常に人懐こかった。私にじゃれてくる。

もう一匹は虎模様でやんちゃだった。「ご飯だよ」と言うと、真っ先に物置の下から出てきて我先とご飯を食べる。

もう一匹は黒色で警戒心が強く、私が家に戻るまで、ご飯を食べようとしない。なぜこのように警戒心が強いのか不思議でならなかった。


黒猫が余りにも私に警戒心を持つので、少し意地悪しようと思った。

カツオブシをたっぷり載せたご飯を持っていき、そのそばにじっと立っていた。他の三匹が食べ終わっても、黒猫は出てこようとしない。

ボウル見ると、少し残っているではないか。これは三匹が腹いっぱいになったのか。黒猫のために残したのか、わからなかった。


ある日、ご飯を持っていくと、大きな野良猫が近づいてきた。

まず一歩先に虎猫が飛び出した。

それに続き三匹も一斉に飛び出した。

四匹は唸り声をあげ、歯をむき出しにし、戦闘態勢をあらわにした。

大きな野良猫は少し考え、浮かぬ顔をして立ち去った。

四匹の兄弟猫は結束しなければ生きていけないと、考えていたのだ。命を懸けて縄張りを守ったのだ。これは飼い猫と違う点である。ご飯を残したのも、黒猫のためだったと私は考えている。


時が流れた。

独り立ちができるぐらい大きくなった。この猫たちが子供を産むと、近所からの苦情は必至である。この猫たちの里親を探すことにした。

二匹の白色の人懐こい猫は近所の猫好きのおばさんに引き取られた。

あと二匹はどうしても里親が見つからなかった。仕方なく、この二匹を段ボールに入れ、車で家から三キロぐらい離れたところに捨てた。


一週間ほど経過した。

「にゃー。にゃー」と必死の鳴き声が裏玄関で聞こえた。

ドアを開けた。


驚いたことに、三キロ離れた所に捨てた、虎模様のやんちゃな猫ではないか! 私は目を大きく見開き唖然としていた。


何か食べるものがないか探した。ご飯とみそ汁しかなかった。こんなものを食べるのか分からなかった。ご飯に味噌汁をかけて与えた。

なんと、がつがつと食べまくり、一粒も残なかった。

「ごめんね。一週間の間、何も食べていなかったのか」とつぶやいた。

犬ならともかく、目隠し状態の猫が三キロも離れた所から、どうやって私の家にたどり着くことができたのだろう。自分の意思でちょっと離れた所に行くと、迷うのが普通の猫である。


これからこの猫をどうしよう。もう一度、捨てるわけには絶対に出来ない。ちょっと大変だけど、本格的に飼う以外ないと考えた。


二日後、四十歳ぐらいの人のよさそうな男性と、七歳ぐらいの女の子が訪ねてきた。

私の所に、三キロも離れた所から戻ってきた猫がいると、近所の評判になっていたようだ。

「大事に育てますので、譲っていただけませんか?」男性が言った。

「喜んで。どうぞ」と言ってその猫を女の子に渡した。

女の子は満面の笑みを浮かべ、猫を抱きしめた。

同じ捨てた非常に警戒心の強い黒猫はどうなったかは分からない。でも、野良猫で生きていくのは大変だろう。

 

虎模様の猫は餌を確保する術を知らない。初め、近くの軒下で叫び声をあげたが無駄だと悟ったに違いない。世間の冷たさを知ったに違いない。そこで決心したのだ。生き抜くには私の家に行くしかないと覚悟したのだ。そこで奇跡が起こった。試行錯誤の末、一週間かけて私の家を見つけたのだ。


結局、捨てられ、努力で自分の道を切り開いた虎模様の猫を神は見捨てなかった。そして一番幸せにしたのだ。窮地に陥り、そこから努力で這い上がることが、幸せになる一番の方法だと、私は教えられた。当時、逆境にいた私は勇気を貰った。その後、辛いことが起こると、必ず、この猫を思い出して人生を乗り越えてきた。

「ありがとう。トラちゃん」


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