第39話

 中国各地にある刑務所内では、御神乱と化した囚人たちが暴れはじめた。

 また、特にウイグルやチベット、内モンゴルに存在している多くの政治犯の収容所では、政府に対して激しい恨みを持つ多くの人々が御神乱になりかけていた。留置所内でもがき苦しみながら背中を発光させていく人々。彼らの一部は、ついにメタモルフォーゼして独房を破壊して収容所の役人たちを襲い始めた。


 中国人民解放軍司令官の曾浩宇(サオ・ハオ・ユー)が中国共産党国家主席の陳浩然(チェン・ハオ・ラン)に言った。

「同志チェン、我が中国も即刻全土に戒厳令を敷き、出現した御神乱については、我が軍の方で処理しますので、ご安心ください。尚、発症して光り始めている人間についても、容赦なく処理します」

「そうか」チェンが無表情で無機的にそう言った。

 中国に出現した御神乱は、緊急出動した人民解放軍によって次々と処分されていた。また、中国においても、住民による御神乱化し始めている人間への殺害は頻発していた。

 もちろん、北京の政府に恨みの深いチベットや内モンゴル自治区では、多くの御神乱化した人々が出現した。

 しかし、新彊ウイグル自治区では、少し様相が違っていた。ウイグルにある複数の拘置所内では怒りに震えた人々が御神乱化した。彼らのうちの何体かは、拘置所の職員を襲い、施設を破壊して外に出た。ウイグルの御神乱は、大戸島のそれと同じく数十メートルに巨大化していたのだ。それは、彼らの多くが長年にわたる中国政府によるウイグルでの核実験のせいで被爆していたからだった。

 彼らの数は、ゆうに五千体を超えていた。収容されていた人数でさえ、既に十万人を超えていたからだ。

 彼らは砂漠を超え、黄河へと入って行った。彼らは、彼らの憎しみのターゲットである北京を目指していたのだ。

 青や赤に背中を光らせながら黄河を泳ぐおびただしい数の御神乱。人民解放軍の爆撃機が黄河を泳いでいる御神乱に爆撃を開始した。黄色かった河が真っ赤に染まっていく。何体かの御神乱の遺体が黄河に浮いた。しかし、それでも爆撃をかいくぐって生き延びた御神乱たちは、その屍を乗り越えて北京を目指して泳いでいった。

 チェンがサオに聞いた。

「ウイグルから北京を目指しているという御神乱だが……」

「それでしたら、既に北京に軍を終結して、迎え撃つ準備を整えております。奴ら皆殺しにしてみせますんで」サオがチェンに答えた。

「そうか……」


 シー・ワンのSNSが更新された。

「さて、今日はこの前のお話の続き。しかもビッグニュースよ」

「ウイグル自治区に現れた御神乱には要注意よ。なぜって、彼らは大戸島タイプにでかいの。なぜって、ウイグルでは、中国政府が四十年にもわたって核実験を行ってきたじゃない。だから、彼らは被爆してるの。それに中国政府に対しての長年の恨みも持ってるわ。……あー、これね。ウイグルなんて遠い地方のお話だと思っちゃダメよ。彼らは現在、黄河を下って北京を目指してるからね。しかも一体とか、そんなもんじゃないからね。あなたの町も破壊されないように注意なさい」


 中国にある某中核都市。

「うわーっ! ビルが崩落してくる。逃げろ!」「どうしてウイグルの奴らが来るんだよ?」「俺たちが何か恨まれるようなことでもしたかー?」

 破壊された都市の漢民族もまた、ウイグルへの憎しみを募らせていった。


 中国での巨大御神乱出現のニュースは、世界の知るところとなった。

「中国では、大戸島の御神乱レベルの巨大化した御神乱が数千頭ほど出現している模様です。彼らはウイグルで発症した人達と見られています。ウイグルでは、近年、中国政府による収監、拷問、レイプ、強制中絶、強制労働などのジュノサイドが行われており、約百万人のウイグル族が拘束され、数十万人が収監されていると言われていました。ウイグル民族の間には、中国政府に対して怒りや恨みを抱いている人々が多かったのだと思われます」

「また、中国は一九六四 年から一九九六 年まで東トルキスタンのロプノールの核実験場において、延べ四十六回、総爆発出力二十二メガトン、広島原爆の約一三七〇発分の核爆発実験を行っています。この三十年の間に行われた核実験により、ウイグル族の人たちは被爆していたものと思われます。これにより、ウイグルの人々が御神乱ウイルスに発症した場合は、大戸島やナカジマ・マリアの例と同じく巨大化するものと思われます」

「ここにご覧いただいています映像は、黄河に浮かぶ御神乱の遺体です。おそらくはウイグルの人々だと思われます。また、こちらの画像は、黄河を泳ぐおびただしい数の御神乱です。川の中に青や赤の点滅する光が見られます。現在のところ、これらの御神乱の数は、五百体は下らないものと思われます」


 中国でも人民解放軍による発症者への殺戮は行われていた。しかし、身内を処分されるのを恐れた家族は、解放軍が家を訪問する前に、夜中、発症者をいかだに乗せて川に流していた。


 香港にある、とある露店の食堂街。血まみれの御神乱が口に腕をくわえて暴れまわっていた。テーブルや椅子が投げ散らかされ、人々は逃げ惑っていた。駆けつけた警察隊が発砲して応戦していたが、そんなものは全く歯が立たなかった。

 やがて、大通りに出た御神乱は、到着した人民解放軍の部隊のロケットランチャーで排除された。

 高層アパートのあちこちでは、悲鳴があがっていたし、いくつかの窓から火の手が上がっていた。そこでは、御神乱化した人々が出現して暴れはじめていた。

 香港に収監されている政治犯たちも御神乱化が始まっていた。鉄製の扉は打ち破られて、留置所の中は血の海になっており、血祭りにあげられた看守たちの身体の一部はそこに浮いていた。ここから出た御神乱たちは、香港政庁を目指していた。


「わーっ! 助けてくれー。悪かったー」

 マシンガンを携え、ターバンを巻いた男が御神乱に食われた。ここのところ、中東の各地では、政府の幹部たちが御神乱化した女性たちに復讐されていた。御神乱化した女性たちは、群れを成して政府施設を襲っていた。


 彩子から和磨に電話が入った。

「和磨さん! 大変なの! 瑛太君が……、ああ、瑛太君が!」

「彼がどうした!」


 その日の朝、瑛太は自宅アパートの自分の部屋の窓を破壊して道路に飛び出していた。背中を青白く光らせながら。怒りに震える彼の向かった先は、彼の通っている中学校だった。

 朝の学活前、久志たちが教室で会話していた。

「あいつ、今日も来いへんみたいやな」

「せやな。あいつ、やっぱ大阪に慣れへんかったんちゃう?」

 そのとき、校門の方から悲鳴が近づいてきた。

「うわーっ!」「きゃー! 誰かー」「やめてくれー!」

「何やろ?」

「宙ちゃーん! 逃げて―!」「イヤーーーーー!」

 そうしているうちに、悲鳴と怒号は、久志のいる教室に近づいてくるようだった。

「ドガーン」扉が破壊されて、背中を光らせた御神乱が教室に飛び込んできた。

「うわっ、御神乱や」久志が言った。

 御神乱は、クラスメイトを喰い散らかし始めた。久志たちは窓際の方へと後ずさった。すると、窓の、校庭の方から、何やら大人の人が叫んでいるのが聞こえて来た。

「瑛太―、瑛太―」そう言っているのは、後から追いかけてきた瑛太の母親たちだった。

「ま、まさか……。こいつ、瑛太か?」戦慄が久志を襲った。

 瑛太は、同級生の何人かを喰い殺しており、口には、もげた誰か女子の脚がひっかかり、白い骨が飛び出した状態でぶら下がっていた。白いソックスは真っ赤に染まっていて、そこからは血が教室の床にしたたり落ちていた。そうしながら、瑛太はじっと久志を睨み付けながら、ゆっくりを距離を縮めてきた。

「な、なんでや……。そんなに怒ることかいな。そんなに嫌だったんかいな」声を震わせながら、久志は瑛太にそう言った。

「久志、逃げろ!」周りにいた生徒が久志に言った。

「でも、俺は間違ってへん……。間違ってへん。俺は悪ない。俺はなーんも悪ない」

 久志を睨み付けたままの瑛太。目から涙を流しながら、低い声で唸っている。久志は、身体をがくがくと震わせている。

「なんや、そないに嫌だったんかいな……。そやったら、最初からそうと……」

 次の瞬間、瑛太が久志の頭に喰らいついた。

「キャーッ!」女子たちの悲鳴。

 頭からのみ込まれて、足を天井に向けてばたつかせている久志。ほどなく、彼は飲み込まれてしまった。

 あちこちに血だまりのできている騒然とした校庭には、和磨と彩子を乗せた自衛隊の車両が到着した。


「お願いです。この人に喘息の吸入薬を処方してあげてください」クルムが担当官に懇願していた。

 隣でリウがずっと激しく咳き込んでいる。

「いや、そう言われましてもね……。この人、演技してるのかもしれないし……」

「では、どうして、ちゃんとした医者が診てくれないのですか。どうして、あなたたちが勝手に判断するのですか?」

「そんなのあなた方に関係無いでしょ。日本のやり方なんです」

「そんなのおかしいです。これは、人権問題、国際問題になるような処遇ですよ」

「だめなもんは、だめなんんです! もういいからここから出て行きなさい!」

 そう言われて、二人は部屋から追い出された。


 翌日の昼休み、リウは出てこなかった。クルムは担当官に質問した。

「あの、リウさんは、どうしたんですか?」

「ああ、彼女なら隔離しましたよ」

「隔離?」

「ああ、あんまり咳が激しいんでね。伝染病か何かだと皆さん困るでしょ。それで……」

「あなた方は、何を言っているんです! 彼女は気管支喘息の持病を持っているんですよ。伝染病なんかじゃありません。喘息は死に至る病なんです。薬が切れると発作が起きて、最悪の場合死ぬんですよ!」

「そう言われましても、我々は医者じゃありませんので、これ以上はどうすることもできません」

「ですから、医者を呼んでくださいと言っているんです! 薬を処方してもらえば済むことなんです」

 クルムと担当官が言い合っていると、所長が現れた。

「一体何を騒いでいるんです?」

「あ、所長」

「リウさんは、中国のスパイという噂があります。そんな人の言うことを信じろというんですか? あなた、スパイであるリウさんに見張られてるんじゃありませんか?」

「彼女がスパイであることなんか、とっくに知っていますし、そのことを私が知っていることだって、リウは知ってます。それを乗り越えて、私たちは友人になったんです。私はその友人を救いたいだけなんです!」

「ほー、そうだったんですか。では、あなたもスパイの仲間と言うことなんですね?」

「違います! あなたたち、何を言っているのです!」絶望感がクルムを襲った。

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