婚約破棄からの溺愛生活

彩戸ゆめ

第1話 前編

「クリスティアナ・アーダルベルト。俺はお前のような悪女とは婚約破棄する!」


 きらびやかなシャンデリアの輝きが、その下で踊る紳士淑女の姿を明るく照らしていた。

 華やかなドレスがターンのたびに花開くようにふわりと舞う。


 王宮で開かれた舞踏会は、まさに宴たけなわだった。


 そこに突然聞こえた第二王子の声。


 私はワイングラスを受け取ろうとした手を引いて振り向いた。


 その瞬間にぐわんと世界が揺れた。


 いや、揺れたのは私の意識だけで、実際には貴族として体幹をばっちり鍛えている体はしっかりと背筋を伸ばして立っている。


 なんといってもあのカーテシーをマスターしてるからね。

 カーテシーマスターと呼んでもよろしくてよ。おほほほ。


 と、まあ、冗談は置いておいて。


 振り向いた瞬間に思い出したのは前世の記憶だ。

 私は日本という国に生まれ育っていた。


 家族の記憶はうっすらとしか思い出せないのだけれど、大学を卒業した後就職した私はアニメやゲームが趣味で、恋人もいないままアラサーになっていた。


 そして多分、事故か何かで死んでしまったのだろう。


 生まれ変わったのは中世ヨーロッパ風の異世界。獣人とかエルフとか、人間以外の存在もいる、剣と魔法の世界だ。


 私は人間が多く住む王国のアーダルベルト伯爵家の長女として生まれたけれど、実の母は三年前に亡くなってしまい、義母と義妹がいる。


 それにしても……。


 婚約破棄かぁ。

 婚約破棄ねぇ。


 私は、壇上でピンクブロンドの髪を持つ少女と並んでいる婚約者を見る。


 デイモンド・トラウデン。

 金髪碧眼で、絶世の美女と呼ばれた王妃様に瓜二つの美青年。


 王妃様がデイモンドを生んだ後に亡くなってしまってから、国王の寵愛を一身に受けて育った。


 国王の父に似ている第一王子よりもかわいがられていることから、もしかして王太子に指名されるんじゃないかっていう噂もあったくらい、国王の寵愛は度を越している。


 だからこそ、この国を実質運営している宰相閣下は、第二王子の婚約者にとてつもなく家柄はいいけど何の権力も持たない我が家に白羽の矢を立てたのだろう。


 アーダルベルト伯爵家は歴史だけは今の王家よりもずっと古い。


 ただ残念ながら、かつては広大な領地を持っていたらしいが、今ではとりあえず貴族として面目の立つ収入しか得られない小さな領地しかない。


 典型的な没落貧乏貴族だ。


 とはいえ、私の母方の血筋も含めると、順位は低いけど色んな国の継承権を持っているのよね。


 でもデイモンド王子はこの婚約に不服だったみたいで、婚約した時からずっとひどい態度を取られてきた。


 初対面でいきなり


「こんなきつい顔の女と婚約したくない」


 って言われたし。


 釣り目ですみませんねぇ。


 赤い髪も赤い目も、確かにちょっときついかもしれない。

 でもお母様によく似て美人だって言われるんだから。


 そんなデイモンド王子の隣にいるたれ目の庇護欲をそそるような少女は、私の腹違いの妹だ。


 私と一歳しか違わない妹は父の愛人の娘で、三年前にお母様が亡くなって喪が明けるとすぐにアーダルベルト伯爵家にやってきた。


 お母様と結婚する前から愛し合っていたそうで、お母様が亡くなってやっと日陰の身から解放してあげられたんだそうだ。


 っていうか、それって堂々と娘に言うことかしら。

 血のつながった父ではあるけれど、最低ね。


 今まではそんな父でも家族として愛していたけど、前世の記憶が戻った私は、そんな最低な父親なんて家族じゃないって思ってる。


 お母様がいたせいで父と結婚できなかったと私を逆恨みしている義母も、こちらから歩み寄る必要なんてなかったわね。


 父とお母様は政略結婚だったのだから、本当に義母が大切なら駆け落ちでも何でもすれば良かったのよ。

 それを愛人として囲うなんて、本当に最低で軽蔑するわ。


「悪女、とはどういうことでしょう」


 私が冷静なのが気に食わないのか、デイモンド王子は唾を飛ばす勢いで叫んだ。


「お前が義妹のニーナを虐げていたのは知っているんだぞ! 家族すら大事にしないお前に、王妃になる資格などない!」


 あらら、王妃なんて言ってしまっていいのかしら。

 まだ立太子していないのに、デイモンドが次の国王になるのだと宣言しているようなものだけれど。


 視界の端で何人かが慌てて広間を退出していくのが見える。

 きっと陛下に報告に行くのね。


 その前にこちらは終わってるだろうけれど。


「私が義妹を虐げていたという証拠がございまして? むしろ私の母の持ち物を奪われておりましたけど。……そう、その指輪など、私の母の形見でございますわね」


 この機会に、と思って指摘する。


 義妹が気に入っているスターサファイアの指輪は、元々私の母のものだ。

 大切にしていたのだけれど、強引に奪われた。


「あれは……アキテーヌの星では……?」


 小さく上がる声にほくそ笑む。


 さすがにあの指輪の価値を知っている人はいるということだ。

 デイモンドも義妹も知らなかったようだけど。


 というか、こんな切り札があるなら、私はもっと早く家を逃げ出せば良かったのに。

 ずっと家族に抑圧されていたから、こんな簡単なことにも気がつかなかったのね。


「お義姉様、どうしてそんな嘘をおっしゃるの。これは私がお母様から頂いた指輪よ」


 義妹は自分の無罪を証明しようと指輪をはめた指を高く掲げた。


 ……馬鹿な子。


 そのせいで周りのざわめきはもっと大きくなった。


「アキテーヌの星はクリスティアナ様のもの。なぜアキテーヌではないニーナ嬢が持っているの」

「あの指輪をクリスティアナ様が手放すはずはないだろう」

「ではどうしてニーナ嬢が持っているんだ」


 ニーナは、お気に入りの指輪が由緒正しいものであることにやっと気がついたみたいね。

 慌てたように指輪を反対の手で隠している。


 でももう遅い。


「あなたの母親は、いつからアキテーヌになったのかしら」

「え……?」


 意味が分からないニーナは、助けを求めるように隣のデイモンドを見上げる。

 さすがにデイモンドもアキテーヌの名前は知っているのか、驚きを隠せていない。


 これではまずいと思ったのか、ニーナは胸の前で手を組んで、青い瞳にうっすらと涙を浮かべた。

 その姿は妖精のように美しく、誰もが守ってあげたくなるほど可憐……らしい。


 朗らかで美しいニーナは社交界でも人気で、その周りには常に崇拝者がたくさんいた。

 その筆頭が私の婚約者のデイモンドだったわけだけれども。


「お姉様、これは確かにお母様から頂きましたわ。でも、もしこれがお姉様のものだとしたら、もしかしたらお母様が……」


 ショックを受けたようにふらりと倒れ掛かるのを、デイモンドが受け止める。


 相変わらず芝居が上手ね。

 それに周りの状況を把握して、とっさに自分の母親を悪者にしている。


 ニーナがうまいのは、はっきりと断言しないところだ。


 もしかしたらそうなのかもしれない、と思考を誘導することで、相手に自分の望む答えを出させる。


 今も、私から指輪を盗んだのは義母で、ニーナは知らずに受け取っただけだと思われるだろう。

 これならばニーナの評判はそれほど悪くはならない。


 チラリと見た義母の顔はものすごいことになっている。


 家に帰ったら親子喧嘩かしら。それともいつものように私をサンドバッグにして憂さを晴らすのかしら。


 残念ながら、今までのように大人しくやられたままになるつもりはないけれど。


「知らなかったこととはいえ、申し訳ありませんでしたわ。この指輪はお返しいたします」


 私は無言でニーナの前に進み、右手を出す。

 指輪をはずしたニーナはその上に置く……ように見せかけて、わざと落とした。


「きゃあっ、ごめんなさい。お姉様がしっかり持ってくれないから」


 ころころと転がっていく指輪を目で追う。

 でも自分で拾いにはいかない。あの指輪は特別だから、それを知っている誰かが必ず拾ってくれる。


 私はニーナの前で、たとえ指輪を拾うためといえども、頭を下げるつもりはない。


 こつん、と指輪が靴に当たって止まった。


 優雅な動作で拾ったのは、ドラゴラム帝国の皇太子であるシリウスだった。


 ドラゴラムの皇族に多い銀色の髪がさらりと揺れる。

 皇族男子は髪を長く伸ばすのが、帝国の風習だ。


 国賓として今夜の舞踏会に参加しているのは知っていたけど、いつの間にこんな近くにいたのかと、少し驚いた。


「こちらを」


 シリウス皇太子がアキテーヌの星を私に返そうと歩いてくる。

 シャラリ、シャラリと、歩くたびに髪飾りが揺れて鳴る。


 こんなに近くにいるのに気づかなかったのが不思議なほどの圧倒的な美の化身に、広間中の人間が目を奪われる。


 私も、その一人だ。


 ここまで美しいと、いっそ恐れすら覚えるわね。

 人間とは思えない美しさは、人外だからだろう。


 ドラゴラム帝国は竜人の国だ。

 さすがに竜に変身することはないけれど、竜の血を引く長命の種だ。


 シリウス皇太子の男にしては長く美しい指が私の手に触れる。

 そしてアキテーヌの星をはめた。


 私の、左手の薬指に。


「え……」


 思わず見上げると、とろりと熱をはらんだ紫の目が私を映す。


「ああ、美しい人。どうか私にその愛のひとかけらでも良いので与えてはくれませんか」


 そして指輪ごと左手を抱えこまれる。


「私にとって幸運なことに、今のあなたには誓った相手はいらっしゃらない。ではどうか、あなたに求婚する許しを与えてはいただけまいか」


 竜人は、一目ぼれをした相手を番(つがい)と認識し、執着する習性がある。


 不思議なことに、婚約していたり結婚していたり、相愛の相手がいる場合には、一目ぼれをしないらしい。


 前世で読んだ本のように、番だからと強引に、愛し合う二人を引き裂くということはない。


 そして私はたった今婚約破棄をされてフリーの状態である。


 王子に婚約破棄された私は、私自身に瑕疵がなかったとしても、いわゆる傷物扱いになる。

 とはいえ、アキテーヌの星を持つ私を欲しがる国は多いだろう。


 シリウス皇太子が指にはめたアキテーヌの星を見る。

 それは今や、真っ赤に染まっていた。

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