血が通っていない

杠明

本編

二月も半ばだというのに既に桜が色づいてきている。来週からまた寒くなる。今咲い

てしまえばこの桜の花は春を迎えることが出来なくなる。


俺は昼休みに神社のベンチで時間を潰している。

特別、他の連中と不仲というわけでは無いが共通する話題は仕事のことだけ。休み時間くらいは仕事から離れていたい俺は天気のいい日はいつもこの神社で過ごしている。

この神社は西側に小さな川を挟んで閑静な住宅街、東側には雑木林を挟んでビジネス街がある。

まさに静と動、喧噪と静寂の境界線の役割を果たしている。

勤務時間中だが仕事から解放されている俺にはぴったりの休息場所と言える。


この日は珍しく数人の子供たちが境内で遊んでいる。見る限りでは小学生低学年くらいに見えるが今日は平日で春休みには早い。学級閉鎖の噂も聞かないしたぶんあの子たちは4、5歳くらいなのだろう。


(おや?)

子供たちはみんな同じグループで一緒に遊んでいるのかと思いきやそうではないらしい。男女4人組と女の子が1人。

男女4人組は境内の遊具や雑木林の付近で無秩序に追いかけっこをしている。ワーキャー言いながら楽しそうに走り回っている。

一方で独りでいる女の子は住宅街と神社をつなぐ2メートルくらいの小さい橋の欄干の上に座っている。


(危ないな)

川まで高さは1メートルも無いし、この時期は水量も少ない。とはいえ落ち方によっては十分に大怪我をしかねない。

(どうしよ……声かけたほうがいいかな)

だが不審者に間違われるのも困る。

まぁ大丈夫かな。そう思ったとき強い風が境内に吹き付けた。砂埃に目を眇めていると橋上から女の子の姿が消えていた。


急いで橋まで行き下を見ると女の子は川で仰向けになって気を失っていた。

場所を選んで川に飛び降り少女を担ぎ起こすと額に泥が付いているほかに外傷は確認できない。しかし頭を打って意識が無い状態なのだ、急いで病院に運び込まなければならない。


「君たち! この子の家どこかわかるかい?」

境内まで少女を担いだまま戻り4人組の子供たちに声をかける。

グループの女の子は怯えた目で、男の子は不思議そうな目で俺を見ている。

「この女の子、橋から落ちちゃったんだ。病院に運ぶにも親御さんの連絡先は知っておきたいんだよ」

「あ、お母さん」


男の子の1人の目線に釣られて俺も後ろを向くと若い女性が赤ん坊を抱いたまま、川横の家の窓からこちらを窺っていた。

「奥さん、この子の家わかりますか? 橋から落ちちゃって」

女性は僕の腕の中を凝視している。

「わからないわ、

「そうですか、じゃあ救急車をお願いできますか?」

「ごめんなさい、この子の面倒もあるし。正平、みんなもお昼ご飯作ったから家に入りなさい」

俺の後ろにいた子供たちはいっせいにその女性のもとまで走りだした。


(自分の子供じゃなかったらどうでもいいのか、こんなに冷たいのか)

最期に女性を睨むと彼女は窓をぴしゃりと閉めてしまった。

自分で救急車を呼び、待っていると少女が目を開けていた。

「よかった、大事にはならなかったね」

「……」

知らない大人に抱かれているせいか少女は一言も発さない。

「頭を打ったんだ。一応病院で検査してもらおうね」

「……」


5分もしないうちにサイレンの音が近づいてきた。境内を出て手を振り自分の場所をアピールすると救急車は自分のすぐそばに停まった。

「けが人はどこですか?」

「この子です。目は覚ましたんですが橋から落ちて頭を打ったんです」

隊員は困ったような目で俺たちを見ている。

「……あの、他にけが人はいませんか?」

どういうことだろうか? 

「はい、この子だけですが」

「ちょっと待ってくださいね」

隊員は一度助手席に戻り何やら話している。


数分待っていると再び隊員が現れた。

「申し訳ないですがその子を病院まで搬送することは出来ません」

「確かにもう緊急じゃないかもしれないですけど」

「いえ、そういうことではないのです。病院に連れてこられても……」

「この子の怪我はそれほどじゃないっていうんですか?」

「はい、問題ないですよ」

男たちは逃げるように救急車を走らせていった。


あんな少し見ただけで問題ないなんてわかるはずがない。それに病院に連れていく必要ないなんて。

さて、しかしどうしたものか?

救急車を待つ時間で会社には連絡を入れてある。上司は「面倒事を抱えて」と声色から伝わったが救助活動をするなとは言えなかったみたいだ。


少女を見るとぱっちりとした目で俺を見ている。よく考えると水量が乏しいとはいえ川に落ちたんだ。身体が濡れている。

このままでは風邪をひいてしまう。

俺は吹っ切れたように少女を抱えて家まで帰ることにした。誘拐だの言われてもそれどころではないのだ。この子の身なりを整えたら改めて警察に連絡すればいい。


職場が家に近いことを今日ほど幸福に思ったことはない。

浴槽に温めのお湯を張り、少女の服を脱がそうとするがどうも勝手が違うようでうまくいかない。相変わらず少女は自分で動こうとはしない。

ここまで動きもなく一言も話さないとやはり打ち所が悪かったのかと不安になる。

「嫌だろうけど、ごめんよ」

苦労して服を脱がすとそのまま洗濯機に入れて少女と風呂場へ入る。


ちょうどよい温度のお湯で髪を濡らしシャンプーを付けると髪質に違和感を覚える。

(子供の髪はみんなこんなもんなのかな)

目に入らない様に流したつもりが顔のほうへもお湯が流れてしまった。しかし少女は微動だにしない。

さすがに体を洗うのはやり過ぎな気がしたので少女を浴槽の中に座らせた。


何歳くらいなのだろうか、今日ずっと彼女を抱えていたが重さはほとんど感じなかった。もしかして栄養状態がよくないのかとも思ったが痩せているわけでもない。

鏡を見ると疲れ切った自分の顔が見える。

今日の出来事を振り返ると腹が立ってくる。

見ず知らずとは子供を助けようと思うは当たり前じゃないのか。それが緊急痰飲ですらあの態度だ。


熱めのお湯で顔を洗い、大きな溜息を一つ吐く。

(この後どうしようか、やっぱり警察に連絡を入れようか)

湯気が浴室を曇らさていく。

一息つくと後悔こそないが面倒事を抱え込んだことをゆっくりを自覚してきた。

思えば神社には神主の家族が管理人として常駐していたはずだ、彼らに預ければここまでしなくてもよかったのだ。

それが向こう見ずな正義感でこんなことになった。

(もっと冷静になっていればな)

それにここまで大人しい子供なんて少しおかしい。不気味なくらいだ。


気が付けば考え込んでいた。あっと思い浴槽を見ると1つの人形が湯に浮かんでいた。


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