第4話


 あの教育が始まったのは、いつだっただろうか。

 お母さんは私に『母親』の適性があると知ると、私に様々な生き物を育てさせた。

 カブトムシから始まって、金魚に、亀に、ハムスター、シマリス、猫。

 育てる時には一つルールがあって、お母さんが決めた『課題』をその生き物にクリアさせなくてはならないのだ。例えば、金魚なら『一年以内に十匹以上繁殖させなければならない』とか、猫ならば『待てをできるように躾けなければならない』とか、そんな感じである。それをクリアできなかった場合、私は自分でその生き物を殺さなくてはならなかった。

 親も子も、もろともだ。

 最初の課題はカブトムシの繁殖だった。

 しかも、一匹でいい。

 今振り返ると、比較的簡単な課題だったと思う。

 私は繁殖の仕方を調べて、彼らの寝床を用意した。クヌギマットを敷き詰めて土の深さを調節し、転落防止のために枯葉や登り木を設置した。その時の私はなぜか自信満々で、カブトムシの幼虫なんて気持ちが悪いなぁ、なんて呑気なことを考えていたのだが。

 ――その夏、カブトムシは産卵をしなかった。


「ほら、早くしなさい!」

「やだやだやだやだ!」


 私はお母さんに言われるまま、出来損ないのカブトムシの番を泣きながらハンマーで潰した。鉄製のハンマーで、頭、身体もろとも潰した。パキッとカブトムシの外骨格が潰れた音がして、同時に鳴き声なのか何かなんなのかわからない甲高い声が耳を劈いた。ハンマーには固体と液体の間のカブトムシの中身がべっとりとついていて、それをなすりつけるようにもう一度ハンマーを振り下ろすと小枝のような足が痙攣しながらこちらに飛んできた。


「この子たちはあなたの子供なの。出来損ないができたらちゃんと自分で処分しないといけない。心を鬼にしなさい。それが国のためになるし、自分のためになるのよ」


「あなたはオーダーメイドの『母親』になるのだから、半端なものは作ってはダメよ。ちゃんとお母さんを見て学ぶのよ」


 亀を煮た日も、金魚をすり鉢で潰した日も、シマリスをコンクリートに打ち付けた時も、ハムスターを潰した時も、猫に刃を突きつけた時も、お母さんはそう言って、私を躾けた。

 私には二十五人の兄弟がいたけれど、廃棄を免れたのは、私を含めて十人だけ。

 他の兄弟たちは、みんな何かしら事件を起こしたことにされて処分場へ送られた。

 私がやらされていたのは、その訓練だった。心を鬼にして、自分の子供を殺す訓練。廃棄を躊躇わずに選択する精神を、お母さんは私につけて欲しかったらしい。


「辛いわよね。わかるわ。お母さんも最初は辛かったもの」

「優しすぎる十に教えてあげる。辛い記憶は書き換えればいいのよ。なかったことにすればいいの。出来損ないの子供のことは上書きするの。そうするとほら、もう辛くない」


 泣きじゃくる私にお母さんが教えてくれたのは【同じ名前をつける】という方法だった。

 出来損なった子供のことを忘れるために、前の子と同じ名前をつけるのだ。前の子と区別して呼ばなくてはならない時は『一代目の』とか『二代目の』とかを頭につけて呼ぶのだ。


 ちなみに繁殖に成功したカブトムシは、二代目の『カブ』と『クロ』だった。


 私にとって生き物を育てるということはとても苦痛だったけれど、お母さんからの試練だと思ったら耐えられた。だって、お母さんはすごい『母親』で絶対に正しいのだ。

 だってみんなそう言っているじゃないか。だから私は疑問なんて持ってはならないのだ。

 だから、お母さんがそう言うのなら、私は、ルイを――


 私は段々とルイにひどく当たるようになった。

 絵画教室は当然辞めさせて、絵の道具だって捨てた。今までは学校に通わせていたけれど、中学生までの勉強までならば私が見られるということで、月に一回の学力テスト以外は通わせなくなり、起きている間はずっと勉強をさせるようになった。

 家からは一切出さなくなり、集中力が続いていないと判断したら、折檻部屋に閉じ込めて一日食事をさせないなんていうこともザラ。

 そこまでしてようやくルイの成績は上がり始めたが、それでも地区での順位はリリコに負け通しだった。


「おかあさん! 出して! ここから出してよ!」


 ルイが叩く扉に背を預けながら、私はじっと天井を見つめた。

 脳裏に、廃棄、という言葉がちらつく。


 お母さんからアドバイスをもらって一ヶ月が経っていた。けれど私は、まだルイを廃棄できないでいた。『母親』としてあるまじき選択を自分がしていることはわかっていたが、どうしても、どうやっても、私はルイを殺すことができなかったのだ。


「他の『母親』は出来てるのに、なんで私は――」


 うちの地区にはルイの他にオーダーメイドの子が二人いたのだが、幼い頃からリリコに負け通しで、もう随分と前に廃棄されていた。どちらも知的で静かで聡明な子だったのに。


《やっぱり貴女は出来損ないね》


 お母さんの言葉が回る。遅効性の毒のようにじわじわと全身に回っていく。

 廃棄にしないのならば、ルイを完璧なオーダーメイドの子供に育てないといけない。

 私を動かしているのは、ただその気持ちだけだった。


 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ルイはだんだんとおかしくなっていった。

 最初の二ヶ月ほどは勉強をさせようとする私に抵抗していたが、三ヶ月を過ぎるあたりで全く抵抗しなくなり、半年を過ぎたあたりで、受け答え以外で喋らなくなった。

 食欲がなく、眠れないようなので点滴と薬でなんとか補い、頭が痛いというので病院に連れて行ったが身体にはどこも異常がないというので、仮病を使ったのかと怒鳴り、また折檻部屋に閉じ込めた。


 そしてそれを皮切りに、ルイの成績は再び下がり始めたのである。 


◆◇◆


「今日は久々に、外に出ましょうか」

 私がそうルイに言ったのは成績が下がり始めて一ヶ月ほど経った、ある日のことだった。

 地区での成績はまだ二位を維持していたが、それは他の子がレディメイドだからで、全国的に見てルイはオーダーメイドにしてはかなり下の方を彷徨っていた。しかも、ルイの上にいるのは、玉坂リリコ。あろうことかレディメイドの子なのだ。こんなの、オーダーメイドとして許されるはずがない。

 しかし、もう怒鳴っても、叩いても、殴っても、彼女の成績は上がらないだろうということはわかっていたので、藁にもすがる思いで、私は彼女と久しぶりに出かけることを選んだのである。

「近くで美術展が開かれるんですって。行ってみない?」

 私がそう優しく声をかけると、ルイはノロノロと動いて支度を始めた。

 支度といっても、立ち上がり、靴を履くだけだ。顔を洗うこともしない。服もいつもの白いワンピースのままである。私は玄関で立ち尽くす彼女にコートを着せた。

 もう十二月だ。外も寒い。

 一年前に買ったコートだからキツくなっているかとも思ったがそんなことはなく、食事の大半が点滴になってしまった彼女にとっては少し大きいぐらいだった。


 私たちは並んで歩き出す。

 一緒に出かけるのが久々すぎてどうやって歩けばいいのかわからずに、私は黙ったまま彼女の半歩先を歩いた。

 少し前までは手を繋いでいたような気がしないでもないが、いつもルイから握ってくれていたので、私からなんてどう繋げばいいのかはわからなかった。

 しばらくそうやって歩いていると、急に背中の方から声がかかった。


「あ、ルイちゃんだ!」


 元気で弾けるような声だった。

 振り返るとルイと変わらない年齢の女の子がこちらに走ってきているのが見えた。彼女の後ろには年齢がばらばらな子供が十人程度いる。それをはさむように二名の大人もいた。

 私はそれを見て、あぁ、レディメイドの子たちだな、と、一瞬で理解した。どうやら、お出かけをしていたらしい。

 ルイは少女が声をかけてきた直後、一瞬だけ身体をびくつかせて、息を呑んだ。どこか怯えているようにも見えるルイを目の端に止めたまま、私は肩で息をする少女に声をかける。


「えっと、あなたは?」

「玉坂ホームのリリコです! ルイちゃんとは同じ学校に通っています!」


 その名前に私は息を詰めた。いつも名前だけは見ていたけれど、彼女を実際に目にするのは初めてで、私は思わず「あぁ、あなたが……」と漏らしてしまう。

 私の呟きにリリコは不思議そうに首を傾げた。


「私のこと、知っているんですか?」

「あ、えぇ。いつも成績で上位にいるのを見ていたから」

「えへへ、ありがとうございます! でも、ルイちゃんもすごいですよね? 小学校まではずっと一位でしたもん!」


 小学校までは、という響きに目の前がカッと赤くなった。意図して言ったわけではないだろうが、彼女のその失礼な物言いに「今だって、あなたさえいなければルイは一番なのに!」と口から滑り落ちそうになった。

 リリコは少し恥ずかしげに俯きながら、顔にかかる長い髪を耳にかける。その時、彼女の耳たぶに黒子があることに気がついた。

 瞬間、学生時代にレディメイドの友人が『耳たぶに黒子のある人は、お金にも愛情にも恵まれるんだって』と非科学的なことを言っていたのを思い出す。


 この子はお金にも愛情にも恵まれるのか。


 そう思ったら、どうしようもなくルイを抱きしめたくなった。

 リリコは私たちに声をかけてきた理由を思い出したらしく「そうだ!」と顔を上げて、私からルイに視線を滑らせた。


「ルイちゃん、今からどこ行くの?」

「え? 美術展に……」

「そうなんだ! 今私たちも見てきたんだよ! とっても良かったよ!」


 一年前のルイを思い起こさせるような笑顔で、彼女はそう言う。


「私ね、お母さんに頼んで絵画教室に通わせてもらうことになったの!」

「そう……」

「ルイちゃんが前に通ってたところと同じところなんだ! 今から楽しみ!」


 ルイが奥歯を噛みしめるのが顔を見ていなくてもわかった。

 そんな彼女の様子に気づくことなく、リリコはルイの手を握る。


「久々に会ったから嬉しくなって声かけちゃった。また、学校来てね! じゃぁね!」


 結局、その日私たちは美術展に行かなかった。リリコと遭遇した直後、ルイが家に戻るといって聞かなくなってしまったのだ。帰ると言われた直後は、そのまま引きずって美術展に行こうかとも考えたりしたのだが、そこまでして行っても何にもならないことに気がついて、ルイの好きにさせてやることにした。

 ルイは家に戻ると部屋にこもってしまい、出てこなくなってしまった。

 私も引き摺り出す気になれず、リビングのソファでこれからのことに思いを馳せていた。

 見上げた天井では、シーリングファンが私たちの吐いた重たい空気を懸命にかき混ぜていた。


「私は、間違っていたのかな……」


 そんな台詞が口から漏れる。

 今日、リリコを見て思った。正確にはもうちょっと前から思っていたけれど、彼女を見てふわふわとしていた考えがしっかりと輪郭を持ったような気がした。

 私はもしかしたら間違っていたのではないか、と。

 ルイを廃棄にしたくなくて『母親』らしくふるまっていたが、廃棄は私が勝手にしなければならないと思い込んでいただけだ。彼女が成績を落としても、私から『母親』の資格が剥奪されてしまうだけ。ただそれだけなのだ。それ以外、なんのマイナスもない。もちろん私の人生においてはマイナスかもしれないが、私だってオーダーメイドの端くれだ。『母親』をやめたってなんとか生きていくことぐらいはできるだろう。

 私が『母親』でなくなれば、ルイはレディメイドと同じ施設へ行くだろう。そうすれば彼女は無理やり勉強させられることもなくなり、絵だって自由に描けるようになる。私たちが引いた人生のレールからは降りることになってしまうかもしれないが、ルイにとってはそちらの方がいいかもしれない。

 それに、子供に情が湧いた人間なんて、そもそも『母親』失格だ。


 その時の私の願いはたった一つだった。

 あの時と同じようにルイに笑って欲しかった。

 一年前と同じように。

 今日のリリコと同じように。


 私は意を決したように立ち上がり、ルイの部屋の前に立つ。

 そして、扉をノックした。


「ルイ。ちょっといいかしら」


 しかし、中から返事はない。おかしいなと思い、もう一度声をかけてみるが、やっぱり中から彼女の声は返ってこなかった。

 私はなんだか嫌な予感がして、慌ててルイの部屋の扉を開ける。

 すると、部屋の中にはルイはいなかった。

 机と椅子が一セットとベッドだけが置いてある、がらんとした部屋。窓から月明かりだけが差し込んでいた。

 私は部屋の中に入り、彼女を探す。

 ルイは家に帰った後、すぐに部屋に籠ったはずだ。それは私が見ている。間違いない。


「それなら、どこに……」


 そうつぶやいたその時、窓から何かが垂れ下がっていることに気がついた。

 慌てて確かめると、それは、ベッドのシーツだった。何枚かのシーツを結んでロープ状にしたものが部屋の窓から垂れ下がっている。


「ルイ!」


 私は悲鳴を上げながら窓に近寄り、窓の下を覗き込んだ。部屋は地上三階の位置にあり、そのまま落ちたら怪我だけでは済まない。しかし、窓の下にはルイはおらず、結ばれたシーツだけが風にはためいていた。


「どうして、こんな……。もしかして、家出!?」


 辿り着いた答えに全身の血の気が引いて、私は慌てて彼女を探しに出ようと部屋から飛び出した。しかしその時、ちょうどタイミング良く玄関のチャイムが鳴ったのである。

 私は走って玄関の扉を開ける。

 そこにいたのは、やっぱりルイだった。

 私は怒鳴り声を喉の奥にしまい込んで、彼女を家に入れ再び家の鍵を閉める。

 そして、できるだけ優しく、声を押し殺しながら「どこ行ってたの?」と口にした。

 そこでようやく、彼女が顔を上げる。


「玉坂ホーム」

「え?」

「リリコちゃんに、会いに……」

「リリコに?」


 そこまで会話してから気がついた。

 よく見ると彼女の服は真っ赤になっているではないか。それも鮮やかな赤ではなく、少し黒が足されたようなくすんだ赤色。まるで血のような赤だ。

 それはワンピースの白がほとんど見えなくなるぐらい、彼女を染め上げていた。

 状況が呑み込めず唖然としていると、ルイは震える手でなにかを差し出してくる。


「これは?」


 それは、ビニール袋だった。


「本当は、首を、持って帰ろうとしたんだけど、切れなくて……」


 私はその言葉を聞きながらビニール袋を開ける。

 中に入っていたのは、血で真っ赤に染まった果物ナイフと真っ赤な肉の塊だった。血の海に浮かぶそれを、私は恐る恐る掬い上げた。

 それは、耳だった。人の耳だった。

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