ロスト・ロジック

松平 秀作

第1話 日常の変化(前編)

 子供の頃、確かにヒーローは居るんだって思ってた。


 有名なんかじゃない。特別に綺麗な人でもない。

 醜くても、どこまでも優しくて、カッコいい人。

 それが、ボクの考えるヒーロー。

 ボクだけのヒーロー。


 そんな事を学校の授業で発表したら、笑われた。

 ボクは不思議に思ったけど、兄さんは言った。

“信じる。これは良いものだ。言葉だけで作れない、本当の絆だからな。だから、オレは信じるよ。オマエのヒーローを”

 どこか分からない言葉だったけど、ボクは何となくでも頷いた。


 兄さんが信じてくれる。

 兄さんが味方なら、ボクは正義の味方だ。

 だって、ボクにとってのヒーローは、兄さんなんだから。



 ◇


 麻山あさやまユキトは浅い呼吸で、目が覚めた。

 カーテンの隙間から、部屋に入ってくる光が、彼の目元に帯を作っていた。

 だけど、それが一番、目覚めには丁度いい。

 変に大きな音とかを鳴らされると、ユキトはきっと耳を塞ぐだろうし、なんならその場で電源を切ってしまうかも知れない。そうしたら、また眠るに決まっている。

 だから、布団を動かして、寝場所を変えるにしても、どのみち立たなきゃいけない場所で、どれだけ瞼を閉じても意味はなく、枕で顔を覆わせても息苦しさで寝れないコレが良いのだ。

 だが、今日はそんな抵抗はしなかった。朝から、そんな気分になる元気がないかららしい。

 毎年、この日はこんな感じだ。

 そろそろ慣れないとな、とは思っている。

「んしょッと」

 ユキトは起き上がって、布団を畳んで、クローゼットに仕舞う。生憎と洗濯は昨日にしたから、今度の出番は夜だ。それまでは、ここに入ってて貰おうと考えた。

「次は……」

 着替え始める。寝巻きから、制服に。

 今や慣れた動作だから、そこまで時間は掛からない。精々、五分で、今回も同じだった。

「さて、と」

 ベルトを閉めて、部屋の出口扉へと向かう。

 ドアノブを握って、動きを止めた。

「……忘れてた」

 思い出して呟き、ユキトは背後を向く。見る場所は左斜め後ろにある机の上。そこにある一つの写真と、写真が入れられた写真立て。

「兄さん、行ってくるよ。昼にそっちに行くから、宜しく」

 写真の中の兄に言って、ユキトはドアノブを落とし、部屋を出る。そこから、階段を降りて行けば、右手に兄の部屋があって、そこで兄の仏壇で手を合わせている母が居た。どうやら、父は早くに家を出たらしい。

 恐らく、ユキトが行くよりも先に、兄の墓に行っているのだろう。その後、仕事をしに港に行く。

「漁師は朝、早いんだよなぁ」

 今よりも早く起きる未来が想像出来なくて、やっぱり父の跡を継ぐのは無理だな、とユキトは思いながら、洗面所に入る。顔を洗って、意識を取り戻し、所々で跳ねた髪を整え、また渡り廊下に出る。

「あ、おはよう」

「ん。おはよう、母さん」

 丁度、鉢合わせた母に挨拶をしてから、ユキトは背を追う様に、リビングに入った。

「―――ん?」

 そこでユキトは、どこか違和感を感じて、立ち止まった。

 多分、耳……だと思う。一瞬だけ、今は聞こえないけど、ノイズの様な物が聞こえた気がした、と感じたのだ。

『これで、昨日から四度目だ。何なんだろう、コレは。兄さんにも、こんな事があったのかな?』

 などと、考えていると、リビングの扉の前で、片耳を押さえて立ち止まっているユキトに気付いた母が、不思議がる。

「どうしたの?」

「あ、いや。何でもない。寝起きだから、ボーとしちゃってたみたい」

「そう? ごはんの時に寝ないでよ」

「うん。大丈夫だよ、多分」

 軽い会話を交わし、ユキトは席に着いて、手を合わせから、机の上に置かれてるご飯を食べ始める。毎年同じメニュー。鯖の味噌煮と赤味噌の豆腐汁に、白ごはん。これは全部、兄の好物だ。

「お母さん。お父さんのお手伝いに行くから、鍵閉めといてね」

「分かった。行ってらっしゃい」

 そう言って、ユキトは鞄を持った母を見送った。

 一人の朝ごはん。これも年に一度の事。

 なんだか、寂しいけど、どこか優しい。そんな味と朝。これが、ユキトにとっての今日という日の感想になりそうだった。

 加えて、『まるで、ボクの気持ちを誰かが真似してるみたいだ』という感想でさえも、もはや十回目となる。


 ◇


 そうして、一人だけの食事を終えて、ユキトは家を出て、敷地前にある右手の坂道を登り始めた。

 このまま、行き着く突き当たりを、また右へ行く。すると、ユキトの学校に着く。

 だから、今日も坂道を登っている。坂道自体は大した角度ではないが、代わりにといっては何だが、かなりの長さがあって、それが足に来るのだ。

 それを知っているユキトは、対策として、大体十メートル置きにある電柱柱の前で、三回に一回で休憩をして行く事にしている。

 それが十回を超えた時、ユキトがこれまでと同じ休憩を取っていると、不意に肩を叩かれた。

「よっ!」

 振り返ると、そこには元気一杯の笑顔を浮かべ、片手を顔横に立てている短髪の青年が居た。名前はたちばなコウイチという。一応、ユキトのクラスメイトであり、同時に友人である。

「あぁ、コウイチか」

「なんだぁ? 俺じゃあ、ご不満なのか?」

 クックックと、コウイチにとっては、ユキトの反応で良い物が見れたらしく、笑っていた。何が面白いのかは、ユキト自身には、ちっとも分かっていない為、やはり一人だけの楽しみになっているのだろう。

「いや……。ただ、急だったから、少し驚いただけ」

「へぇー。んで、安心はしたか?」

 余りに慣れようがない質問に、ユキトは少し考えてみた。

「……まあ、それなりには」

 そう言うと、コウイチはこれ見よがしに、ため息を吐いてみせた。

「オイオイ、違うだろう。“かなり”って言うんだよ、こういう時は!」

「そうなのか?」

「ああ!」

 ドンッと張った胸を叩いて、自信を表すコウイチだったが、その背後から、一人の女子が割って入り、コウイチの張った胸を押して、後退らせた。捕まる電柱が近くに無ければ、コウイチは倒れていた事だろう。

「違うわよ。そのままで十分から、覚えなくて良いわよ。バカに建前は、勘違いを起こすだけなんだから」

「分かったよ、アヤ」

 それで良いわ。と、吹野ふきのアヤが続けながら頷くと、その背後に追いやられたコウイチが、アヤの首元を狙って両手を構えるが、それを振り回した時、アヤは体を屈ませながら、右手側に傾かせ避けつつ、後ろ回し蹴りをコウイチに見舞う。

 アヤのローファーの踵が、見事にコウイチの股間部に当たり、コウイチの顔は脂汗と青ざめた表情で、ぐちゃぐちゃになった。

「アッ……。いィ、グぉぉォぉォ!!」

 遅れて脳が受信した痛みに、前屈みで股間を押さえているコウイチの悶え苦しむ叫び声は、この世の物とは思えない物だったが、それを見下げて、アヤは鼻を鳴らした。さながら、一つの業務を終えたかの様な様子である。

「バカはこのくらいが丁度いいのよ、分かった? ユキト」

「あ、うん。いや……、はい」

 アヤの怖さを改めて認識して、ユキトはそれらしい態度をしようと改めたが、何故かアヤはムッとした。

「敬語、要らないッ!」

「は、はいッ! あ……、うんっ!」

「それで宜しい」

 うんうん、と納得したらしく頷いているアヤは、隙を見て、自分の腰へタックルをしようとしてきたコウイチに、目をくれる事もせずに、足を背後に持ち上げて、同じ踵で今度は顎を蹴り上げた。

 それが決め手となって、気絶したコウイチが、坂道を転がっていくのを背後に、アヤは歩き始める。

「はぁー、このペースじゃあ、間に合わないわね。どっかのバカみたいに、遅れるのは嫌だし。ユキト、急ぐわよ」

 アヤの隣を駆け登りながらの言葉に、ユキトは疑問を覚えながらも、その場に止まり、友人との友情と自分の遅刻を少し考えて、やがて捨てるべき物を決めると、地面で伸びているコウイチに両手を合わせ、アヤの後を追う事にした。


 ◇


 ユキトとアヤの二人は、突き当たりに当たり、曲がっても尚走っていた。ただ、息切れが全くない事から、体力は相当あるらしい。訓練の賜物だ。

「そういえばさ」

「ん?」

 アヤが思い出したかの様に言って、僅かに後を追っていたユキトは反応する。

「変な話だけど、昨日から、可笑しな事なかった?」

「昨日……」

 ユキトは言われて、考えを巡らせる。昨日と云えば、通常通りの目覚めと朝ご飯を終え、今の様に急ぐ事はなく、ユキトとアヤに加えて、コウイチの三人で学校まで登校した日だ。なんて事はない。いつもと同じ。

 ただし、放課後が少し違っていた。いつもなら、チャイムが鳴れば、帰宅なのだが、昨日は三人のクラスは帰宅を許されず、居残りをしたのだ。

 そして、一人また一人と呼ばれていき、医務室で身体検査をしたのだ。何故……とは、ユキトも思っていた。だから、覚えているのだが、そんな疑問よりも珍しい事があり、何故かその身体検査の後に、謎のヘルメットを被せられ、質疑応答をしたのだ。そんな事は今までなかった。

 しかし、問題はそれが終わり、帰宅が許された時からだった。それは今朝もあった。

「ノイズ……?」

「やっぱり、ユキトもだったんだ。昨日のアレを被ってから、偶に聞こえてくるのよ。ユキトも同じ?」

「うん。何なら、今朝も聞こえた」

「……私も」

 アヤが相槌の言葉を放ち、その声のトーンが落ちている事を察知し、ユキトは少しだけアヤの様子を伺ったが、アヤの不安に満ちた表情が僅かに見え、ユキトは手を伸ばした。

「アヤ……」

 ユキトの手が、アヤの肩に触れる手前、アヤの表情が一変した。元気な表情で、アヤは手を大きく振る。

「カナデー! 遅れて、ごめーん!!」

 張った声で謝罪を言うと、アヤの見据える先にあるバス停のベンチに腰掛けている女子が、顔を上げて、アヤとユキトの方に顔を向けた。腰まで伸びた黒色の長い髪が似合う彼女の名前は、菜野村なのむらカナデである。

 クラスはアヤやユキトのCクラスとは違うが、去年は同じクラスであった事から、以降も一緒に登下校をする程には、友人としての付き合いをしている。

「おはよう。アヤちゃん、ユキトくん。……あれ? コウイチくんは?」

「あぁ、寝坊よ、寝坊。だから、置いてきちゃった」

「………」

ユキトは口を紡いで、アヤの背後を見ていた。異論はあるが、意見はしないので、アヤは気付いていない。

「そうなんだ。せっかく、一緒に行けると思ったのに、残念だなぁ」

 カナデが、未だに姿の見えないコウイチが、いつか通って来る突き当たりへの道を眺めながら呟くと、それにアヤはニヤリと、口端を持ち上げた。

「いや、違うわ。これはチャンスよ。聞いた所によれば、最近話してなかったらしいじゃない?」

「チャンス? 話していない……って、もしかして!」

 アヤからの言葉の意図が通じたのか、カナデは慌てた様で驚きに満ちた大きな瞳で、アヤの方を向き、対するアヤはカナデの肩に手を置いた。

「ええ、だからしっかりしなさいよ」

 アヤがそう言うと、カナデは一つと、傍らで二人のやり取りを眺めているユキトの方を見てから、顔を高揚させ、『う、うん。頑張ってみる……』と、小さく頷いた。

「それじゃあ、私は後ろのバカを連れて行くから。ユキトもそれで良いでしょ?」

「ん? あ、うん。ボクは構わないよ」

 アヤの突如として変わった話題や、これまでの行動との矛盾に、ユキトは疑問を感じながらも、反射的に返事をすると、今度はユキトの肩にアヤは手を置いた。

「よしっ! 決定ね。ちゃんとエスコートするのよ」

「エスコート?」

「ちょっと! アヤちゃん!!」

 また新たに現れた疑問に不思議がっているユキトの横で、カナデは大きな声で静止の台詞を放ち、それにアヤは微笑みを見せて、来た道を戻り始めた。

「じゃあ、また後でー」

 そんな台詞を遠目から放ち、アヤが坂道への曲がり角を曲がって行ったのを、ユキトとカナデは見送り、二人残された。まるで、台風みたいだ。とは、二人ともが思った。

「ところで、何がチャンスなんだい? なにか、話せていないらしいんだろ?」

 アヤの姿が見えなくなると、ユキトは気紛れで尋ねてみたが、それにカナデは肩を跳ねさせた。

「えっ!? あ、えっと……ね、猫さんとかかな?」

 泳ぐ目で思考を回しつつ、記憶を探り、ユキト達が来る前まで自分がしていた事を話した。それを聞いて、ユキトは辺りを見回し、塀の上を歩く黒猫を見つけた。

「猫かぁ〜。確かに多いもんな、槙島まきじまに猫は」

「う、うん。そうなんだよね。でも、やっぱり今日は居なかったみたい……」

「ふぅん。なら、仕方ないね。出来るなら、ボクも見たいな。ほら、ウチは動物禁止だし、親が漁師だからね。猫は特にダメなんだ。魚が減るからってね。だから、関わりが少なくってさ」

 それが理由なのか、ユキトはただ黒猫が見えなくなるまで目で追っていて、そんな姿を横でカナデは見た。そして、一つ『また、寂しそう……』と感じた。

「へぇー、そうなんだ。……あ、じゃあ、もしかして今の時間って、港の方に行ってたり?」

「うん、かも知れない。魚が飛び交う時間だからね。猫とか鳥にとっては、港は最高の餌場の筈だよ」

 というユキトの言葉に、カナデは体から力を抜く様にして、安堵の息を吐いた。

「だからかぁ。いつもこの時間は居ないから、帰り道に会うんだけど、物凄くお腹が空いているみたいだから、心配してたけど、安心した。食いしん坊さんなんだね、あの子は」

 カナデは安心させる様な笑顔を見せ、それにユキトもまた笑みを浮かべた。

「はは、そういう事なら、多分ね。――さっ、行こう。遅刻はしない方が良いから」

「うんっ! そうだね!」

 こうして、ユキトとカナデは一緒に登校を始めた。

 その背後であり、また坂道からの突き当たりの一歩手前にある曲がり角から、二つの頭が顔を覗かせていた。なんて事はない。ただのアヤとコウイチである。

 そんな二人は、登校を始めたユキトとカナデの様子を見て、勝利の表情で任務完遂のハイタッチをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る