曇りのち青色

紅杉林檎

青が消えた地球


「なぁ、蒼軌」


 カラッと乾いた空気に、空けたばっかの炭酸水のような、刺激的な声が差しこんだ。そう僕に話しかけてきたのはこの世に産まれてから互いの実家がお隣さんで、今日の今日まで親友として仲良くしてもらってる「息掴 憊いきづか はい」だった。憊と僕は今年で二十四歳になる。二十代前半として生きていけるのも残り僅かとなった。


「? 何、憊」


「俺、この真っ白な空を二十四年間見てきて、決めたんだ」


 そんな僕達を無視して、時は過ぎ、雲は動く。窓枠から見える空に僕は目をやった。だった。本来あるはずの色が無くなった空だ。そう、ここ、僕達人類が住む地球という星は、ある日突然、"青色"を失ったんだ。


「この地球に、"青色"を、戻すって」


 そう言って憊は、目を輝かせ、うちわで自身の事を扇ぐ僕の事をじっと見つめた。

 その眩い目線に、クラっと目眩のようなものを覚えた僕は堪らず夏場の氷のような、ヒヤッとする冷たい意見を返す。


「戻すたって、そもそもその"青色"を僕達は産まれてこの方、見た事がないんだぞ。見た事ないものをどうやって戻すのさ?」


「そこは......俺達の知恵の出し合いでカバーするさ」


 憊のこの言葉に、僕は引っかかるものがあった。


「うん? ちょっと待って、今って言った?」


「? ああ、確かに言ったが......」


 蒸し蒸しとする暑さゆえか、普段よりも強い苛立ちが込み上げてきた。僕は自身を扇ぐのに使ってたうちわはそこら辺に放り投げ、近くにあった机をダンと殴りつけて不思議そうな顔をして僕の事を見つめる憊に一喝した。


「ふざけるな! 僕はそんな考えに賛同なんて一度もしていない! 憊、僕達はもう二十四歳だぞ! いい歳してきた大人が、今更子供の頃に見るような無謀な夢を見ようとすんなよ! いい加減......」


、僕達」


 広く開いた窓から、涼しげな風が部屋に入り込み、僕の肌をそっと撫でた。今はその風すらも、怒りを助長させるスパイスでしかなかった。


「そうだな......蒼軌、俺達はもう、子供じゃないもんな......」


 そう言う憊の方に目線をやるとそこには、ポツポツと雨粒のように、瞳から溢れては落ち、溢れては落ちを繰り返す涙とそれとは真反対の位置に立っているであろう感情を顔に浮かべた憊が居た。

 憊は、涙と汗でぐじゃぐじゃになった顔の表情筋を痙攣させながら無理矢理笑顔を造っていたんだ。その顔を見て僕の心がギュッと締め付けられた。____少し、言い過ぎたかな。そう思い僕は未だ収まらぬ怒りの矛を一旦鞘に納め、慰めの言葉を憊に掛けてやった。


「ごめん、憊。ついカッとなって言い過ぎた。本当に反省している。でもその計画には僕は乗れないんだ。許してくれ」


 僕は仲直りのテンプレのような言葉を憊に掛けてやった。これで丸く収まるだろうとこの時の僕は思っていた。でも違った。僕の考えは、キャラメルのように甘々だった。再び窓から部屋に夏の香りと共に涼しげな風が差し込んできた。さっきは怒りを助長して、今回は不安を煽る風となった。憊は黙り、造り笑顔を崩さずにその場で立ち尽くしていた。


「憊? 大丈夫? もしかして脱水症にでもなった?」


 憊があまりに何も言わないので僕は冗談混じりの軽口を飛ばした。


「____だったら」


「うん?」


 ボソッと何かを呟き始めた憊。僕が謝ってからようやく口を開いた憊に、僕は一文字も聞き逃さぬよう耳をすませる。


「____だったらさ」


「だったらさ?」


「子供の頃に、一緒に戻ろうよ」


「は?」


 突然放たれたSFチックな言葉に、僕は脳に金属バットで殴られたかのような、強い衝撃を受けた。


「馬鹿言うな。今から全てをほっぽいて子供の頃に戻れるわけないだろ。それに僕には一千万の借金があるし、そもそも、どうやって子供の頃に戻るっていうんだ。そんな技術、今の時代に無いぞ」


「いや、


「はい?」


 僕の脳に再び強い衝撃が打ち込まれる。今確かに憊は......


って言った?」


「うん。言ったよ。後、この計画は蒼軌が損しないように組み立てたんだ。その第一段階としてまずは今の蒼軌に絡みつくしがらみを全部俺がとっぱらってあげる」


「例えば?」


「一千万の借金を俺が代わりに返済してあげるとか?」


 憊が軽く言ったこの言葉に僕の全神経が冴える。心臓の鼓動が早まる。瞼がかっぴらく。その言葉は僕にとっての蜂蜜にまみれた禁断の果実リンゴだった。

 美味い。美味すぎる。人生で初めて聞く自分に損が無く、ただただ美味しすぎる話。今すぐにでも飛びつきたい。が、こんなに美味しい話には裏があるのが定石だ。二つ返事で返すのでは無く今は、計画の全貌を聞いてから返事をする事だ。そうだ、落ち着け、僕。


「ふぅーん。で? 具体的にその計画は何をするの?」


「さっきも言った通り俺はこの地球に"青色"を戻したいんだ。だが今の俺達にはそれを成す為の時間が無さすぎる。そこで......」


「思い付いたのがこの計画ってわけだ」


 そう言って僕の目の前に差し出されたのは、【曇りのち青色プロジェクト】と大きく書かれた一枚の計画書だった。計画書に書かれている内容のほとんどは"青色"に関する事だった。

 一通り計画の概要に目を通した後、僕は憊から計画書の後に渡されたこの計画への賛同の意を示す契約書を契約書と同時に渡されたボールペンでサインをした。


「ほい。書いたよ。しかしあれだな、デジタルが普及したこの時代にしてはアナログすぎるな」


「口約束よりは良いだろ?」


「____それもそうだな」


「それじゃ行くぞ。今から十年前、学年にして中一だな。その時代に戻って、"青色"を取り戻すぞ!」


「いつでも行ける。この時代に思い残す事は無い」


 計画書に書かれていた通り、過去にタイムリープする手段として計画書を見るまで普通の時計だと思っていた憊の腕時計は「タイムキーパー」と呼ばれる時渡りの力を持った不思議な時計の電源を、憊はカチッと音を立てながら入れた。

 僕の体が、だんだんと時計の方へと吸い寄せられる。いよいよだ。僕の、僕達の青春時代が、青の季節が、帰ってくる。

 この地球に、"青色"を戻すまで、僕達は進み続ける。

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