才色兼備の『雪姫』がゲーセンで泣いているのを俺だけが知っている

さくさくサンバ

第1話 回避

 いいことがあった日は鼻歌を歌いたくなる。


 俺が向井むかいわたるという名前を授かってから十七年ほど経つが、一体いつからこの癖があるのか俺自身すら覚えていない。自覚は中二の夏に母に指摘されたから。


「あんたが機嫌いい時はすぐわかるわねぇ」


「え、なんで? なんでわかるの?」


「だってあんた、すーぐ鼻歌歌うじゃない」


 そうなのか、と我が事ながらに驚いて、いつから鼻歌歌うようになったのかを訊ねたが母の回答は、わからない、だった。なんでだよと憤ったのを覚えている。息子をちゃんと見ているのだか見ていないのだかはっきりしない母だった。


 何が言いたいかというと、自分で自分の鼻歌に気が付いた俺は、高校も最終学年になったというのに抜けきらないこの癖を恥ずかしく思っているということだ。


 さすがにそんなにフンフンと大音量で奏ではしないから、ゲームセンター内の騒音を超えて誰かの耳に入ったということはないだろう。それとなく視線を走らせてみても奇異の目は向けられていない。


 今日のところは事なきを得たが早いところ直したいものだ。


 昼過ぎのゲーセンは非常に賑わっている。ハブ駅の駅前という立地はもちろん、イベントなんかにも力を入れている近隣最大のゲームセンターで、今日のような休日には家族連れも多い。もちろん全部のフロアがこうも明朗で健全全開な沸き方をしているということもないけれど。


 俺としてはゲーセンでの用事はもう済ませているから今は帰り掛けということになる。出口に向けて上階から降りてきたところで、軽めの音ゲーやクレーンゲー、プリクラなんかが置かれている区画を抜けようとしている。


 出入口の近くは特に開放的であり入りやすさを重視されている。それは俺のようなゲーセンの店内図が頭に入っているような人種ではなく、ふらりと立ち寄る人だったり休日に少しだけ来店するような人たち向けの戦略であり、実際に周囲には普段は見かけないタイプの人間も多い。


 それにしたって、まさか貫崎原かんざきばらさんがいるとは思わなかった。


 貫崎原かんざきばらゆき。同じ高校に通う同じ学年の、ということ以外に特に共通点も接点もない女子生徒である。クラスが同じになったこともないし、話したことなどほんとに一回もないのではないかと思う。


 そんな相手の顔と名前が一致するのは、偏にあちらさんの知名度ゆえだ。


 整った目鼻立ちに長い黒髪だけでもそこそこ有名になったはずで、加えて凹凸のはっきりとしたスタイルと柔和かつ気の利く人当たりをしている。更に成績優秀スポーツ万能なのだから、それはもう男女問わずに大人気なのである。


 友人の話じゃ二年間で告白された回数は両手の指で収まらないらしい。そしてそのすべてを断ったのだとそう言っていた。


 難攻不落の貫崎原さん。いつしか『雪姫』と呼ばれだしたのは、これも友人からの又聞きではあるが貫崎原さんの友人が言い出したのだそうだ。今じゃ俺でも耳にしたことがあるくらい、彼女と親交のある人たちが口にしている。正直、俺だったら羞恥心で死ねる、姫とか。


 だから俺が貫崎原さんを一目でそうとわかっても、それは太陽を見てあれは太陽だとすぐわかるようなものなのだ。直視がちょっと無理ってのも同じ。


 それでも少しの間、注視してしまったのは、貫崎原さんがはじめて見る状態だったから。


 状態というと大仰だが、そのくらいそう、珍しい恰好だったということだ。


 まず私服である。俺が貫崎原さんの私服姿を見る機会はこれで二度目だが、最近の日増しに暑くなる陽気に合わせて肩を出しているのに全体としては慎ましい印象にまとまっている。どんなファッションマジックなのかは俺にはわからない。白基調というのも相俟ってお嬢様感あるなと率直に思う程度だ。


 次に挙動。どこぞの大事な娘さんって身なりに反して、やっていることはよく言って探偵、悪く言って不審者である。こそこそとクレーンゲームの筐体に体を隠して辺りを窺う様子には首を傾げざるを得ない。


 最後だが、これが真っ先に気になった点で、貫崎原さんが眼鏡をかけているところははじめて見た。確かに全くと言っていいほど交流がないから、俺が知らないだけで授業中なんかにはかけていたりするのかもしれないが、それにしても印象変わるものだなと少しばかり瞠目したほどである。


 何をやっているのかやりたいのか、皆目見当のつかない美少女の奇行に足を止めてしまった俺ではあるが、いつまでもそうしているわけにもいかないだろう。


 貫崎原さんがゲーム、ましてやゲームセンターに興味や関心があるとは聞いたことがないし目的は不明だが少なくともゲームセンターという場所自体に慣れている感じもない。


 見た目はびっくりするくらい美少女で行動の怪しさから今も悪目立ちしている。


 このゲーセンで同じ高校の生徒を見かけることは多くはないが珍しくもない。


 諸々を考慮し店内のマップを頭に思い浮かべた俺は、別の出口を目指して踵を返した。


 だってたぶん声を掛けても面倒な事に、じゃなく向こうはこちらを知らないだろうし。

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