第14話 マール・ラドック中尉

 もう日付の変わった深夜、ラドックは部下3人を連れてナンガスから中央地区にある警備隊の本部に向かって歩いていた。なじみの娼婦おんなのいる娼館で遊んだ後だった。ナンガスで自分がどれほどの重要人物かを示すために、時々部下達におごるのだ。費用は自分の懐から出すわけではない。彼が利用する娼館は高級娼館で、そこを縄張りにしているガラントゥに負担させる。上納金の一部だと思っていた。

 ラドックは上機嫌だった。ガラントゥとリネッティが揉めている。チンピラ同士の小競り合いに介入するには、質、量とも警備隊の戦闘力は大きすぎるくらいだ。つまり好きなように結末をつけられる。この諍い自体ラドックがけしかけたと言っていい。春風楼にいる娼婦の一人が気に入ったとガラントゥにほのめかしたのだ。これまでラドックの遊ぶ娼館はガラントゥが押さえていた。ガラントゥとしては例外を作りたくなかった。どんなことからバランスが崩れるか分からない。ラドックが、ひいては警備隊がどう動くか、警備隊の力の大きさを考えると小さな不安定要素でも潰しておきたかった。ラドックに、リネッティの方が好みの女がいるなどと思われてはバランスが悪くなる可能性がある。それで春風楼を、ついでに西華楼を縄張りに組み込むことにしたのだ。中級の上の娼館だがリネッティの縄張りの中では最も格の高い娼館だった。リネッティとしては譲るわけにはいかない。

 ラドックにとってはどういう結末になろうとそこから利を最大限に引き出せればいい。ガラントゥであれリネッティであれかねを生めばどちらでもかまわない。


「隊長殿」


 連れている部下の一人が酒臭い息を吐きながら話しかけてきた。


「何だ?」

「どっちが勝ちますかね~、この争い」


 残りの2人も興味のある話題に耳をそばだてた。


「へっ、まあ順当ならガラントゥだろ。金の量が違う」


 ラドックの返事に頷いて、それから少し首を傾けた。


「でも昼間のあれ、変でしたよね」

「まあそうだな。リネッティが先に仕掛けるとは思わなかったな」

「いや、そうじゃなくて、あのガラントゥのアジト、変な壊れ方をしていたし、ゴジは怪我をしたし……」


 部下の懸念をラドックは鼻で笑った。


「ふん、あれがリネッティのやったことがどうかも分からねえし、たかが建物一つ壊して2~3人負傷させただけだろ。そんなことでひっくり返るような差じゃねえからな」

「じゃ、隊長殿としてはリネッティを潰すおつもりですか?」

「いいや、適当なところで手打ちさせる。まあリネッティの縄張りの三分の一も譲らせるか。ガラントゥだけになるよりリネッティがいた方が金を出させやすいからな」

「へへ、さすがは隊長、お人が悪……」


 部下は最後まで言えなかった。くぐもった悲鳴を上げて3人とも地面に転がったのだ。

 とっさにラドックは身を低くして劍の束に手をかけた。周囲の気配を探ったが何も引っかかってこない。倒れている部下に目を走らせた。その中の一人の首の後ろに淡い街灯の明かりを反射するものが見えた。


――ナイフ?――


 倒れている部下達は誰もピクリとも動かない。


 冷や汗が背中を伝い落ちる。身動きができない。キョロキョロと周囲を警戒するラドックの首の周りにパサッと落ちてくるものがあった。慌てて手をやると親指ほどの太さのロープだった。


「縄……?」


 ロープがいきなり締まった。ロープの端が輪になっている!両手でロープをつかんで広げようとしたがラドックの力ではロープは少しも広がらなかった。そして首を絞めたロープが上昇を始めた!重いラドックの身体を引きずりあげるロープは、ラドックがつま先立ちになったところで止まった。軍靴の裏全部を地面につけると息ができないほど首が絞まる。


――何だ、これは一体?――


 混乱した頭でそう思ったとき声が聞こえた。


「マール・ラドック中尉だな」


 男か女か分からない中性的で平板な声だった。どの方向から聞こえたのかも分からない。


「だ、誰だ貴様!」


 途端に背中に激しい衝撃があった。鞭のような物でたたかれたのが分かった。


「質問に答えろ。ラクドミール派遣軍、第二兵団、第四大隊、第一中隊指揮官、マール・ラドック中尉だな?」

「そ、そうだ。貴様こんなことをして只ですむと思っているのか!」

「お前はソルミット村虐殺の実行者として告発されている」

「ソルミット村……?」

「自分たちが皆殺しにした村の名前も覚えていないのか」


 そう言われてラドックは息をのんだ。フラッシュバックのように記憶が戻ってきた。あれはラクドミール戦役が始まってしばらく経ったころだ。


「あ、あれは命令で……」


 また背中に衝撃があった。悲鳴を上げようとして大声が出ないのに気づいた。


「お前達が笑いながら、命乞いをする住民を殺していたという証言もある」


 たまたま村を離れていた3人の猟師が、悔し涙を流しながら現場を見ていたのだ。子供、女、老人も村にいた人間は残らず殺された。




 ソルミット村は、住民300人足らずの小さな村だった。戦争初期でまだ公国民の戦意も高かった頃、共和国軍の占領地にある補給基地を襲撃するラクドミール公国軍に野営地を提供し夕食を供したのだ。それが、その後ソルミット村を占領した共和国軍の気に食わなかった。


――亜人共に宿を提供し、なおかつ歓待するとは!亜人どもが人間ヒトに勝つことを願うなど許されることではない――


 それはイーシャの大隊にとって初めての実戦だった。その後猛威をふるう亜人部隊の存在が公になった最初の戦いでもあった。その襲撃で補給基地を警護していた共和国軍の二線級カテゴリー2の2個大隊が全滅した。蓄えてあった補給物資のすべてが焼かれるか、破壊されるか、奪われるかして失われた。共和国軍が被った最初の敗戦だった。共和国軍の作戦を30日以上停滞させたと言われる。だからその虐殺は、亜人部隊に協力した者は容赦しないと言うことを示すための処置でもあった。現にそれ以降イーシャ大隊は街や村に近づくのを避けるようになった。劣勢の公国軍ではその支配地をいつ共和国軍に奪われるか分からなかったからだ。住民達も歓迎しなくなっていた。特に亜人部隊に対しては。

 共和国軍が占領した地でどんな所業に及ぶか、ラクドミール公国民は全く信用していなかった。





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