第2話 幽霊に会いにいく男

その日、魔法大陸ユムの暦では、

休日だった。




休日は夕方からタクシーの依頼が増える。

皆、飲みに行くからだ。

飲むと、飲酒者は帰り、飛翔魔法で帰れなくなる。


ひと昔前までは酒を飲んでも、飛翔魔法を使うことは禁止されていなかった。

しかし、飲酒した人が空から地面に衝突し、死亡する事故が増え、

魔法省、もとい国は飲酒した後の飛翔を法律で禁じた。


そのため、休みの夕方から夜は、タクシー業は繁盛する。

俺も、それに備えようと、野原で、昼寝するところだった。


昼寝、と言ったが、時刻は午前9時だった。

だから、正しくは朝寝かな。




午前10時に、俺の魔法電話が鳴った。


通常、メールで入るその連絡は、俺が魔ステを開くのをいつも無視するため、俺だけには、電話で来る。

そして、俺に来る依頼は大体が、厄介ごとだ。

厄介ごとだから、俺にあてがわれる。


眠りをさまたげるその電話を取ると、透明な受話器越しの相手は、社長だった。


「お前、今、寝てたか?」

「寝てない。いや、寝てないですよ。なんですか?」


俺は瞼をこすりつつ、頭を起こした。

寝ぼけて、社長にタメ口で話すところだった。

ちょっと、話した気もするが、気のせいだろう。


「お前向けの客だ。今から魔ステに送る場所に行け。5分後だ。以上」


それだけ言うと、魔法の電話からは、ツーツーという音が流れた。

俺が口を挟む余地は全くなかった。


そしてこれはいつものことだ。




その場所で俺を待っていたのは、50台の男性だった。


魔法省公式のローブを着ていて、そのローブは、くたびれていた。



「タクシーを、依頼しましたロウマンです。

宜しくお願いします」



男はイントネーションのない声で、そう言った。

俺が男を見ると、目はどこを見ているのか分からない虚ろなものだった。


その男の雰囲気は、第一印象だが、暗かった。

俺が言うのもなんだが、生気が無い、幽霊のように見えた。

足がなかったら、霊類だと本当に思ったかもしれない。

俺は光魔法は得意ではないので、その男に足がついていて良かった、と思った。



俺は自分が乗ってきたタクシーの後部座席に男を案内した。

俺は荷物があるかを聞かなかった。

男は、手ぶらでいたからだ。


男は車に乗ると、目を閉じ、疲れた、というように

風でできた背もたれに自分を預けた。



「兄さん、どこまで?」



その男と同じくらい低いテンションで、俺は言った。

同時に、タバコに火をつける。


「サタニウムの端までお願いします」


男は目をつぶりながら、静かに言った。


「今、サタニウム、と言ったのか?」

「はい」


俺は男にそう、聞き返していた。

言い間違えかと思ってしまったからだ。


サタニウム、というのはこの国に7つある領域の1つで、闇が広がる土地だ。

そこは、魔王が住まう領域だ。


魔王は200年前、この国の元々あった1つの領域をある日、突然、クレーターにし、

そこに自分の領域を勝手に作った。

その領域を、魔王は『サタニウム』と名付けた。


それ以来、今までこの国では、内戦が行われている。

サタニウムと、それ以外の人が住む領域間の戦いだ。

勢力的には、我々人が、圧倒的に不利だ。


だから、皆、サタニウムには、近づかない。

そこへ近づくのは、バカか、勇者一行だけだ。

ちなみに、今までサタニウムへ行った勇者一行は計、13あるが、

帰ってきたパーティは、0だ。



「まあ、いいけど。

金さえもらえれば」



俺はそう言うと、タクシーを空へ浮かせた。

ただのタクシー会社社員である俺に断る理由はなかった。


正直、サタニウム近くに行くのは幾つかの理由から、気が引けた。

そもそも、行きたい人はいないだろう。

そして俺は、この件を俺に回してきた社長に、

あのクソ社長が、と心の中で文句を言った。



サタニウムへは片道、1時間ほどの距離だ。

正しくは、サタニウムへは侵入禁止令がでているので、男を降ろす場所はサタニウムの領域から2キロ離れた隣の領域内だった。



俺が生んだ緑のタクシーは、その悪魔の住む土地へ向かって、

空を駆けた。



発車から10分もしない内に、男の電話が鳴った。

男はそれを急いで取ると、電話口からはかすかな怒鳴り声が聞こえた。


「はい、それは大丈夫です。はい」


男は前に誰もいないのに、頭を何度も下げていた。

俺の風でできた座席シートに何度も男の頭が当たって、ふわん、とシートが凹んでは、元の形状へ戻った。


男へは、それから5分置きくらいに3本、電話が入った。

男の態度は、一貫していた。

俺は、男が何度、申し訳ありません、と言ったか、途中まで数えていたが、途中から数えるのをやめた。



電話がならなくなるまで、40分はかかった。


男は電話が終わると、魔ステを閉じ、はあっと溜息をついた。

それから男は、ぼやっと、タクシーの外の景色を見た。

そこには、50m上空から見下ろす、街並みがあった。



「この景色をどう見るか、

あるひとは怖さを感じず、美しくていい景色だと思うやつもいる。

でもまたあるひとには、高くて怖いと思うやつもいるだろうな。

俺は、どちらかというと、間だ。

怖くはなくて、飛び降りてみてもいいとさえ、思うくらいだ


なあ、タクシー運転手さん。

あんたはどっちだい?」


男はやはり抑揚が無い声で話した。



「どっちでも、いいんじゃないかねえ」



俺は白く煙る息とともに、話した。



「どっちでも好きに決めたらいいさ。

人生ってのは、自由だ」



俺がそう言うと、後ろの男は、小さくフン、と息を吐くと

投げやりな口調で言った。



「好きにできたら、どれだけいいだろうな。

それができない人も、いるんだよ

自由にっていうけど、色々とがんじがらめだよ。

そこを飛ぶ鳥みたいに、本当に自由になれたらいいんだけどな……」




男はまるで死んだ魚のような目を外の景色へ向けた。


タクシーの横には、小さい光の鳥が3羽、寄り添うように飛んでいた。

それはフェニックスの子供達だった。

燃える光を携えて、それらの鳥は遊ぶように、空を舞っていた。


俺は特に返事を返さなかった。

そして、それ以降、タクシーが止まるまで、会話はなかった。




目的地には、1時間かからず到着した。

2キロほど先からサタニウム領になるが、すでに目前となったその黒い領域は、禍々しい雰囲気を放っていた。


『死の土地』、まさにその言葉が相応しい地だった。




「料金は、2万ユムだね」


俺がそういうと、男は機械的に魔ステを起動し、そしてまた機械的にそれを操作し、俺が指定する魔法口座に金を振り込んだ。

俺は自分の魔ステを開いて、入金を確認すると、機械的に、まいど、とだけ言った。


男はそれから、ふらふらと、サタニウムの方へ歩いていく。

俺は、緑のタクシーを降りると、右手をかざして、タクシーを消した。


「あんたも、来るのか?」


俺が男の後を付いて行っていることに男が気づくと

男は俺を振り返り、そう言った。



「いやーあんまりここまでは来ないから、

魔王の住むとこっての、見てみたいと思ってね。」



それを聞いた男はやはり無表情で、そうかい、とだけ言うと、顔の向きを正面に戻した。

それからは、男と俺の歩く音だけが響いた。


後500mほどでサタニウムだというところまで近づくと、

男は歩みを止めた。


男の目は相変わらず、遠くにかすかに見える魔王の住む城の方を向いていたが、

彼の発する言葉は俺に向いていた。

周囲には、俺と男しかいなかったからだ。



「あんたさ、よければ俺の全財産、もらってくれないか?

2000万ユムくらいあるんだ。

今まで、ろくに使うこともなかった。


俺には親もいない。だいぶ前に両親は死んだ。

俺を心配する人は誰もいないんだ。

あんたさえ良ければ、俺が最後にあった人の縁だ、もらって欲しい」



俺はその言葉を聞いて、少し間を置いてから、返事をした。


「悪いけど、その金はもらえないよ。

金があるほど、俺は怠けちまう質でね。

働かなくなっちまう。

ダメなやつにならないように、それは断らせてもらうよ」


それを聞いた男は、はは、っと初めて笑った。

その笑い方は、俺が今までに何人も見てきた、死を前にした戦士が笑う様と同じものに思えた。


「あんた、変わってるよ。

色んなやつがいるもんだな。人生は

俺は、もっと違う人間になりたかったよ」



その言葉を決起とするように、男は再び、歩を進め始める。

そして俺はそれを続いた。



サタニウム領に入ったあたりで、男はあれ、と言う声を絞り出した。

男は驚いていた様子だった。


俺達の周囲はもうサタニウムらしく、黒い地面、そして枯れた木、呪われたような石で埋め尽くされていたが、肝心のあるものがなかった。

男が驚いたのは、当然にしてあるべき、あるものがなかったからだ。



それは、悪霊だった。



サタニウムは、呪われた魔王の土地だ。

そこら中に霊類、特に人に悪い影響を及ぼす悪霊が大量にいる。


しかし、今、二人の周囲には、悪霊どころか、霊の類がまるでいなかった。



「なんで、なんでいないんだ。

いないと困るんだよ……」



男は周囲に目を配るが、目的のものは見つけられなかったようだ。

代わりにそこら中に充満していたのは、


強く吹く『緑の風』だった。


「こ、これじゃ、死ねないじゃないか

おい、なんだよこれ!」



俺は慌てる男を尻目に、タバコを咥えたまま、口を開いた。



「あんた、死ぬつもりで来たんだろ。

何となく、分かってたよ。


でも……どうだろうな?


わざわざ、こんなとこまで来なくても、死ねたはずだ。

一人でも人は、命を絶つことができる。

住んでる部屋で死ぬことだって、できたはずだ。


でも、あんた、一人では死ねなかったんだろ?


だから、タクシーを呼んだり、こんなとこまで来て、死のうと思った。

心のどこかでは、死ぬ以外にも何か道が無いか、考えてたんじゃないか?」



それを聞いた男は、びくっと震えた。

そして、がくがく震えると、膝で立った。


俺はそれを横目で見つつ、話しを続けた。



「言葉通り、冥途の土産に話をするよ。


10年前のことだ。

ある勇者一行があの、遠くにある、魔王城を目指した。

そいつらは、結構腕の立つ冒険者でな。本気で魔王を倒せると思っていた。


だが、魔王の側近、4本指を何とか倒したあたりで、そいつらは気づいた。


おそらく、自分達は、魔王には歯が立たない―


だが、もうそいつらは、引き返そうとはしなかった。

ここまできたらもう、戻れない、と思ったんだ。


魔王は、強いなんてもんじゃなかった。


2秒で僧侶は10枚ある障壁ごと、消し飛んだよ。

魔法使いも、その時の一番つええ魔法を使ったが、魔王の放った黒い炎に全部、焼かれて、何も残らなかった。


その炎は、勇者の左手も焼いていた。

それでも、勇者は魔王から逃げなかった。


逃げたのは、アーチャーだ。


風を使うその弓使いは、怖くて、風に乗って、逃げちまった。

勇者を置いてな。

勇者がその後どうなったかは、考えるまでもない。


アーチャーはその後、逃げたことをずっと、後悔したらしい。

100万回、その逃げたシーンを思い出した。


だが、どうだ?


勇者一行は戻らなかったが、この世界の人は、誰も死んだそいつらのことなど、覚えてはいない。

勇者の名前さえ、みんな忘れちまうんだ。


あそこで死んだことに、何の意味がある?


アーチャーはそれから、10年経った後に、気づいたんだ。

死ぬことに、大した意味はない。

生きていた方が100万倍、価値があるんだって。


生きていたら、誰かに覚えていてもらえるかもしれない。

でも死んだら、ゼロだ。


そのアーチャーは、これも聞いた話だが、

今は魔王を倒すのを諦めて、別の仕事についたらしい。


幸せに暮らしている、らしいよ」



俺が話す横で、男は身体を折って、泣いていた。

うう、と声にならない声で。



「俺は、逃げて、別の人生を送っても、いいのだろうか?」



その問いは俺に向けてのものかどうかは分からなかったが、

他に答える人も、霊もいなそうだったので、

俺が仕方なく、答えることにした。


白い息を吹きつつ、俺は言った。



「それをいいというやつも、悪いというやつも

この世界にはいないだろうよ。


アーチャーも逃げた後に、同じように思っただろうな。

だが、誰に何を言われても、後悔は消えないし、罪を消してくれるやつもいない。


だから、好きにしなよ」



俺の言葉に、男の泣き声が増した。

俺は心の中で、この声に悪霊が戻ってきませんように、と祈った。


俺は念のため、風魔法の範囲を、さりげなく広げた。




それから俺は少し泣きつかれた

その男に口を開いた。


「俺の知り合いに、漁師がいるんだが、人手が足りないらしい。

すぐにでも働けるやつが欲しいそうだ。

前職は問わないってさ。


あんた、どうだい?」



男は目を腫らしていたが、

顔は今いるサタニウムとは真逆で神聖なものに見えた。



「いいのか?

そこまでしてもらって」



俺はいいよ、というと、男は俺に深々と頭を下げた。

でも俺は、ただし、と付け加えた。



「その漁業場ってのは、こっから結構遠くてな。

3時間はかかる。

あんた、タクシー代、大丈夫かい?」


俺がそう言ってタバコを咥えたまま、にやっと笑うと、

男は、金ならたんまりあるよ、と言い、

晴れた笑顔を返してきた。



それから俺は少し離れた場所にタクシーをまた生むと、

男に「後ろに乗っててくれ」と促した。


男は何かあるのかい?と俺に尋ねるので、

俺は「珍しいとこまで来たから、もうちょい、魔王城を見たいんだ」

と言うと、男はそうかとだけ言い、タクシーに向かった。



俺はそれから、魔王城の方へ向き直った。



しばらく城を遠目で見ていた。

そうすると、緑の風がどこからともなく、

3本の大木を俺の前に運んできた。



その大木は風の力によって、横並びに均等に並ぶと、

地面に深く、ずごっと刺さった。


俺はその3本の木を、細い目で眺めた。




「遅くなっちまって、悪かったな。


後はもう、


ゆっくり休んでくれ」




俺はそう言い、咥えていたタバコをぽい、と

真ん中の木に向かって放った。


そのタバコが放つ揺れる白い線は

まるで線香の煙のように、

3本の木に纏わりついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る