第5話 真相

 灰本との約束の日時。

 

 私は新宿を全速力で走り抜け、雑居ビルを見上げた。灰本探偵事務所の文字が復活している。

 昨日は、見間違えだったのだろうか?

 そんな疑問を横へ追いやって、階段を駆け上がり、事務所のドアを勢いよく開けようとする前に、ドアが開いていた。勢いあまって、前につんのめる。

 思い切り倒れそうになったところで、腕を捕まれ、ぐいっと引っ張りあげられた。何とか転ばずにすむ。ほうっと胸を撫で下ろして、腕を掴んでいる手をみて、見上げる。ニヤニヤしている灰本と顔が至近距離にあって、驚いた。

 転ばなかったことへの安堵はすっとんで、ぶわっと身体の熱が急上昇する。これは、きっと走ってきたせいだ。一方で、灰本は、そんな私を面白い動物を観察しているように相変わらず、笑っていた。相変わらず前回と同じグレーのスーツは、やっぱりよく似合っている。すっと私の腕から手が離れていく。

 

「こんにちは」

 灰本の声で、また釘付けになっけいたことに気づく。前回と同じようにブンブン首を振り、何してるんだと言い聞かせ、気合いを入れ直した。

「一体、どういうことですか?」

「そこの窓から、あなたが走ってくるのが見えたので、ドアを開けておこうかと思ったら、柴田さんが飛び込んできたタイミングと重なってしまいました」

「いや、その話じゃなくて。仕事を完了しましたという連絡を受けたとき、ネットを調べましたが、その時は少しもあいつらのことについて、ざわついていませんでした。それなのに、急に逮捕のニュースが」

「あぁ……だから、昨日ここへ?」

 灰本の問い返しに、目をむく。

「灰本さん、ここにいたんですか?」

 灰本はゆっくり立ち上がり、入口の天井を指差した。その先に小さな監視カメラがあった。全然気づかなかったが、五台くらいはありそうだ。窓の外を向いているものもある。私の行動はそこから全部筒抜けだったということか。

 

「こういう商売ですからね。警戒はしておかないといけないので。昨日は、看板がなくて驚かれていたようでしたが、依頼人と会う約束がない時は、念のため取り払っているんですよ。ドアが壊されるかもと、心配しました」

 灰本はくるりと背を向け、パーテーションの奥に消えて、お茶を入れ始める。


「あなたにご連絡差し上げたときは晒した直後でした。目に見える結果として現れるまでにタイムラグが生じることは、仕方ありません。話題になるまでにそれなりの時間は必要です。あなたがここに乗り込んで来ようとした頃は、何も起きていませんでしたが、その直後、突然の大波がやってきたんですよ」

 未だに鼻息の荒い私へ落ち着けというように、灰本はソファに座り、お茶を勧められる。

 促されるままに、私も灰本の正面に座った。今日はカップを手に取る。からからに乾いた喉を潤すと、灰本の説明がすっと入ってきて、染み渡った。

「じゃあ、その大波がきた後、灰本さんが警察へ通報したっていうことですか?」 

「僕は、あくまで男たちの情報を晒しただけです。そもそも警察恐怖症なので、通報だなんて怖いことできませんから」

 灰本もお茶を口へ運んで、苦笑する。

 

「一気に拡散して、自分も被害者だという人が現れたんですよ。それどころか、これからその人に呼び出されているという人まで、出てきたんです。その方は勇敢な女性で、自分が囮になると言い出した。すると支援の輪は広がり、協力者が次々に現れた。そして、現行犯逮捕に至ったみたいですよ。世の中には、自分は正義だと思っている方々が、たくさんいらっしゃる。まぁ、その正義は、毒にも薬にもなるとても危ないものではありますがね」

 灰本が言うとおりだ。その正義感の少しでもずれてしまえば、その力は悪魔の力となって、人の命を奪ってしまうことだってある。だが、今回は正しい道に動いて、希望の光となってくれたのだ。感謝しかない。 


「昨日、友人と一緒にいたとき、ちょうど逮捕のニュースが流れたんです。彼女泣いてました。悔しくて仕方なかったけど、救われた。これで、安心して眠れようになるって」

 亜由美は、泣きながら、よかったと言っていた。朗報は、本の少しだけ彼女が受けた傷の回復の助けになってくれるだろう。

「ありがとうございました」

 笑顔で頭を下げる。次に顔をあげたときは、きっとあの星が瞬くような笑顔を返してくれると思ったが、「いえ……」と呟いて、険しい顔をしていた。

 変なことを言っただろうか。ぎゅっと胸が締め付けられるように、不安が押し寄せた。

 

「あの……どうしたんですか?」

「あぁ、いや」

 やはりどこか浮かない顔だが、気を取り直したように「ところで、報酬の話なのですが」と話題が切り替わっていた。

 報酬の話をしてしまえば、もう灰本と接点はなくなるのかと、ちょっと残念に思うが、仕方ない。

 ともかく、今はお金の話。そちらの心配をした方が良さそうだ。自然と力が入る。

 

「ちゃんとお金、持ってきました。おいくらですか?」

 バイトで稼いだ半年分の全財産をちゃんともってきた。足りるはずだ。鞄に入れてあった財布を取り出すと、灰本は五本指を立てて、にっこり笑っていた。

 五千円と思いたかったが、それはないだろう。五万円か。予想よりもだいぶ高いが、仕方ない。灰本は、危ない橋を渡っているのだ。危険手当てを含めての値段だと、自分に言い聞かせる。その直後、耳を疑う数字が脳みそに思い切り突き刺さった。

 

「五十万」

 

 ん? 今、何と?

 もう一度聞き返したが、同じ答えが返ってきた。財布の口を開けようとした手が止まり、変な汗が背筋を伝っていく。

「冗談でしょう?」

「冗談ではないですねぇ」

「ちょ、ちょっと待ってください! いくらなんでも、高過ぎですよ! 私は、まだ学生なんです! ただでさえギリギリの生活を送っているのに、そんな金額払えるわけないじゃないですか!」 

 いくら抗議しても、灰本はお得意のキラキラの笑顔を浮かべたままだ。その魅力的な笑顔は、金をむしりとるためにあったのか。ムカムカしてきたせいなのか、焦りなのか、手汗が出てくる。

 焦る私に灰本は、ニヤッと笑って、てを引っ込めた。

「と、いいたいところですが……今回の案件。僕の満足感が足りないので、お代は結構です」

「え……何でですか? それはそれで怖いんですけど」

 べらぼうな金額を吹っ掛けてきた後は、タダ? 何か騙しのテクニックだろうか。眉根を寄せると、灰本は困ったような笑みを浮かべていた。

「そんな警戒しなくて大丈夫ですよ。無料にしたからって、他に何か要求することは、ありません」

「じゃあ、理由を言ってください。このままじゃ、怖すぎます」

 私が警戒心丸出しにそういうと、灰本はふうっと息を吐いて、お茶を口にしていた。

 あんまりいいたくなさそうな顔をしている。だが、灰本がごくりとお茶が喉を通ったところで、真剣な眼差しを向けてきた。


 

「捕まったバント広告代理店の男たちプラス一名は、ただの呼び出し役と運び役だったんです。あなたのご友人に直接危害を加えたのは、実はそいつらではない。別にいるんですよ」



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