灰かぶり姫は敵国王子に溺愛される ~愛する人々を救うためなら何度でも死に戻ります~

倖月一嘉

第一章 再会編

第0話

 ――望みなんて、何一つない人生だった。



 灰が降っていた。

 真っ白な、雪のような灰だった。

 そんな灰の積もる平原に、エレンはぽつんと、ただ一人佇んでいた。


「は……」


 息を吐く。吐息は揺蕩う雲のように、白く濁って消える。

 仰いだ空は白鼠色の、冷たい冬の色をしていた。


灰かぶり姫アシェンプテル〉――と。


 エレンを最初にそう呼んだのは、誰だっただろう。

 その名が『姫』と呼ばれるほど綺麗な意味を持たないことを、エレンは知っている。


 薄汚いドブネズミ。

 成り上がりの婚約者。

 全てを焼き尽くす悪魔。


〈灰かぶり姫〉が立った戦場には、必ず死の灰が降る。

 そんな風に揶揄されるようになったのかがいつからも、覚えていない。


 あぁ、でも――と思う。

 その呼び名はきっと、自分に相応しい名だと、エレンは思う。

 視線を下ろして、ゆっくりと周囲を見回す。


 白、白、白――灰の、白色。


 見渡す限りどこまでも続く広大な平原は、灰に覆い尽くされていた。

 草も木も、灰となった。人も武器も鎧も、全て燃えて消えた。

 エレンが焼き尽くした。


 ――三万。

 それが、この戦場でエレンが殺した人間の数だ。


「……エレン」


 積もった灰に足跡を残し、一人の青年が歩いてくる。

 エレンはゆっくりと、彼を振り返った。


 隣国の第二王子である彼は、軍服を身に纏っていた。歩みに合わせて、肩や胸に付いた装飾品がシャラシャラと揺れる。


 かっこいいな、なんて。こんな時でも場違いに、エレンはそんなことを思ってしまった。

 青みを帯びた銀髪が周囲の灰色を映して、まるで彼は、景色に溶け込んでいるようだった。その灰色の中で、海のような蒼い瞳が二つ、煌めいている。


 綺麗だなと思った。


 血のような赤髪に、くすんだ灰色の目。みすぼらしい自分とは大違いだなと、エレンは愛しい彼を見る度に、そんな劣等感を覚えてしまう。

 昔も、一年と半年ぶりに会った、今も。


 会いたかった。ずっと。

 会いたくて、会いたくて、仕方なくて。

 できるなら、こんな戦場で会いたくはなかった。

 けれど、こんな戦場でしか会えなかった。

 彼が指揮すべき兵士はもう誰もいない。

 全てエレンが殺した。


「……これ以上、君を生かしてはおけない」


 彼はエレンから数歩離れたところで止まって、言った。エレンはその言葉を、そうだろうね、と。まるで他人事のように聞いていた。


「君を生かしておけば、この先、君はもっと大勢の王国民を殺すだろう」


 間違っていない。

 エレンは道具だ。


 皇太子の婚約者に据えられ、帝国の救世主だと持ち上げられても、それはただエレンを縛り付けて、言うことを聞かせるための材料に過ぎない。


 エレンはただの、殺戮兵器だ。

 命じられた通りに戦場に赴き、命じられるがまま人を殺す。

 それはきっと、この先もずっと続く。


「だから僕は、そうなる前に君を殺さなきゃいけない。今を逃せば、永遠にその機会は訪れないから」


 彼が腰のベルトから、短剣を抜く。

 乳白色に輝く、蛋白石オパールのような短剣だった。角度によって、刃の奥から虹色の光が瞬いている。


 エレンはその美しい刃を、じっと見つめていた。

 これから自分を貫くであろう、その刃を。


 彼がエレンに向かって、歩き出す。

 力でも体術でも、彼に敵わないことは、魔法学校時代によく知っていた。唯一の武器だった魔法も、もう使えない。


 ――空っぽ。

 この戦場を燃やし尽くして、魔力はとうに尽きていた。


「……ごめん」


 と彼は言った。その声は震えていて、どうして、と尋ねるようにエレンは彼を見た。

 けれど彼は応えなかった。その代わりにもう一度、


「ごめん」


 と――言って、クシャリと顔を歪め、微笑んだ。


「僕が君を、許せそうになくて。――君が、皇太子あいつのものになるのが」


 だから彼は、エレンを殺す。

 たとえ、心を通わせた恋人であったとしても。


 瞬間、頬に冷たいものが触れた。

 それが灰だったのか、雪だったのか、それとも別の何かだったのか、エレンには分からない。分からなくても、構わなかった。

 ただただ――嬉しかった。

 嬉しくて、嬉しくて、どうしようもなくて――


 エレンは笑った。

 二人で、笑った。

 泣いて、泣き出しそうに微笑んでいた。



 そうして薄い刃が、エレンの胸を貫いた。



 崩れ落ちるエレンの身体を彼が抱き留める。


「……ごめなさい。大切なものが、一つじゃなくて」


 エレンは口の端から血を零しながら、彼の背に手を回す。

 彼はゆっくりと首を振った。


「僕こそ、ごめん。そんなことを、言わせてしまって。君だけを愛したかった」


 触れ合った頬が温かい。ポタポタと、積もった灰の上に雫が滴り落ちる。それは林檎のような赤色と、もう一方で透明な涙の色をしていた。


 ゆっくりと刃が抜き取られる。途端に血が湯水のように溢れ出し、全身から力が抜けていく。

 彼はエレンの身体を、まるで宝物を扱うような、優しい手つきでそっと地面に横たえた。それから彼は、自身の首筋に刃を当てる。



 そして彼は、一息に己の喉を掻き切った。



 鮮血が噴き上がり――ドサリと彼の身体が倒れる。衝撃に積もった灰が巻き上がって、彼の上にパラパラと積もる。

 その様子を、エレンは地に横たわったまま、ただただぼうっと眺めていた。


 灰が降っていた。

 雪のように真っ白で、冷たい灰だった。


 二人の血がじわりじわりと、大地を赤く染めていく。

 その赤すらも、灰は覆い隠していった。


 手を伸ばす。けれど伸ばそうとした手はピクリとも動かなくて、手を伸ばせば届く距離に彼はいるのに、決して届かない。



 ――望みなんて、何一つない人生だった。


 男爵家の養子になったことも、帝国一の魔法学校に入ったことも、皇太子の婚約者になったことも。

 何一つ、望んだことではなかった。

 エレンはただ守りたかっただけだ。

 生まれ育った孤児院を、子供たちを――帝国に人質に取られたみんなを。


(でも……)


 それでも、叶うなら――



「アレス」



 わたし、あなたと幸せになりたかった。

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