人工島アギト忍法帖

楠本恵士

アギト島忍びの事変

第1話・魔賀、妖賀乱れる

 大陸から離れた海上に建造された、人工島アギトへ向かう連絡船の甲板に立って波間に見える島影に。

『妖賀 熊女ウンニョ』は、吐き捨てるように言葉をもらした。

「いつ見ても、禍々しい島だ……二度ともどって来る気はなかったのだが」


 熊女のポニーテールにまとめて、束ねた髪が潮風に揺れる。

 船の舳先へさきに止まった海鳥を眺めながら、熊女は紫色の鞘袋さやぶくろに入った白木の日本刀を握り締める。

「忍びの掟など時代遅れだ……もはや、妖賀と魔賀の因縁の争いなど知る者もいないだろうに」

 熊女は、数週間前に通っていた大学を退学した……正確には、退学させられたと言った方が近い。

 現代に生きる忍び集団──妖賀と魔賀、その妖賀忍び衆のリーダーを務める熊女の祖父からの連絡。

『妖賀忍び存続の一大事、至急アギト島に帰還せよ』の通達を受け取った直後に、大学の方に退学届けが勝手に送られ、熊女は自主退学扱いになった。


「忍びは嫌いだ」

 そう呟いた熊女の耳元で、ヘビのような声質の男の声が聞こえた。

「妖賀の忍び、都会生活で忍びの勘も鈍ったか」

 振り返りざまに、鞘袋に入った白木の日本刀を振り払う熊女。

 甲板で飛び下がるスーツ姿の男の姿があった。

 ヘビのような目をした若い男が、口元に笑みを浮かべながら立っていた。

 熊女が男に向って言った。


「魔賀の忍びか」

「当たりだ、魔賀忍び衆リーダー『魔賀 蛇ノ目』……お見知りおきを」

 蛇ノ目と名乗った男の手にある学生証を見た熊女の顔色が変わる。

「わたしと同じ大学の学生?」

「学部は違ったから、面識はなかったが……妖賀 熊女、おまえのコトはインターネットの検索で知っている。学生武芸大会連続三位……優勝を狙える実力がありながら、本気を出さないのは忍びであるコトを隠しているためか……お互いに忍びは厄介なものだな」


 熊女が鞘袋から、白木の柄を覗かせて、抜刀の構えに入ったのを見た蛇ノ目が苦笑する。

「やめておけ……島に呼ばれた理由もわからないまま、船上で命を落とすのもバカバカしいと思わないか。それに、この船には魔賀の忍びも数名乗り込んでいる……当然、妖賀の忍びもな。リーダー同士で刃を交えれば忍びの死闘がはじまる」


 蛇ノ目が言う通りに、連絡船の随所から魔賀と妖賀の殺気が漂っていた。

「さて、島の桟橋も近づいてきたので荷物を取ってくるか……魔賀の忍びは緩い妖賀の忍びのように桟橋に出迎えには、来ていないからな」

 そう言い残して、蛇ノ目は船室へと消えた。


  ◇◇◇◇◇◇


 アギト島の桟橋に連絡船が着岸すると、桟橋には二名の妖賀忍びが熊女を出迎えていた。

 一人は少し太めの体型で、いつも何かを食べている『野槌 七転 のずち ななころび

 もう一人は日本刀を携えた、厳しい表情の中年男性『鵺 夜行ぬえ やぎょう』だった。


 船から降りてきた、熊女に夜行が言った。

「油断しすぎです、魔賀の忍びが乗る船の中で……敵のリーダーから背後を取られるとは、妖賀忍びの新リーダーとして情けない」

「なぜ、知って……」

 そこまで、言いかけて熊女は気づく。夜行クラスの忍びなら視力もよく、読心術で離れた敵の唇の動きで言葉を読むこともできたコトを。


 熊女が言った。

「まだ、妖賀のリーダーになるとは決めていない。おじい様が引退するから、勝手に話しが進んでいるだけだ……場合によっては断るつもりで島にもどってきた」

 妖賀軍師の夜行が、呼吸を整えながら言った。

「熊女さまが、思っているよりも事態は急変しています……その証拠に」

 素振りも見せずに夜行の日本刀の抜刀で、熊女の背後遠方を一閃する。

 連絡船から降りて歩いてきていた、キャリーバッグを引いた男性観光客の体が、螺旋らせん状にねじれ鮮血を噴き出して絶命した。

 キャリーバッグの中から、刃物や銃が桟橋に転がり出た。

「魔賀の下忍です、おそらく先に船を降りた蛇ノ目の指示で、熊女さまの命を狙っていたのでしょう……男ぎ持った吹き矢の筒先が、熊女さまの首筋を狙っていましたぞ……もう、船から島に降りれば修羅の世界です」


 七転がニヤニヤしながらかつかっ熊女に言った。

「オラが熊女さまを守る……敵の魔賀の忍者は全部、オラが喰ってやる」

 熊女は、すでにアギト島に上陸した瞬間から、平穏な社会生活から離れしてしまったのを感じた。

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