第4話 異世界

「じゃあまず、俺たちの今置かれた状況を整理するぞ」


 第1教室のホワイトボードを背に、航海科の高見原が立っている。傍らには俺が居て、残りの20余人は長机へまばらに着席し、こちらの様子を伺っている。見張りのために船橋に残されていた航海科実習生も合流したから、今この教室にいる24人が、この船に居る全乗組員ということになる。


「航海科・機関科双方の確認した事実として、今この船に我々以外の乗組員は居ない。これは間違いない。船長・機関長以下士官、乗組員のほか、実習生46名が行方知れずというわけだ」


 すでに知られている事実とはいえ、改めて口にされると、皆に同様の気配がみられる。これだけの異常事態を飲み込むのは難しい。俺だって、実はみんな船底に隠れていて、ひそかに「ドッキリ大成功」の機会を伺っているのではと思ってしまう。


「これに関して航海科からの情報だが、暴露甲板に係留していた救命艇、救命いかだライフラフトのうち、交通艇と2号艇以外の全艇、全基がなくなっている。係留装置の状態からして、通常の手順通りに救命艇が展開されたらしい」


 教室内、特に機関科に衝撃が走る。救命艇が展開されていたなら、それはもちろん総員退船部署が発令されていたことになるが、しかし…


「…その点について、機関科からひとつ報告がある」

「金元だったっけ? どうぞ」


 俺は高見原と、彼ら航海科実習生たちに、機関室内機器に危急停止の痕跡がみられないことを伝えた。


「つまり、非常用発電機にも重力タンクにも作動した形跡がなかったということは、それほどの緊急事態がなかったということになる。そんな状態で、総員退船が発令されると思うか? 俺はそうは思わない」

「……その疑問は、次の議題と合わせて考えよう」


 高見原はひとまずホワイトボードに浮上した情報をまとめると、息を整えて次の話題を振った。


「本船の位置についてだ。結論から言えば、今俺たちがどの海にいるのか、まったく不明で、見当もつかないというのが、航海科の考えだ」

「……? どういうことだ。多少流されるだのはあるだろうが、それほど航路から外れることもないだろう。それに、電子海図はどうした」


 すると、高三原や航海科の実習生たちが急に押し黙って、重苦しい雰囲気を漂わせはじめる。


「そうか。機関室に窓はないんだったな。お前ら、空は見たか?」

「空…? あー、俺は見ていないが。大平、お前は?」


 聞くと大平は首を横に振る。


「いや。私たち、発電機回すのに手いっぱいだったから…」

「外出て見てきなよ。…腰抜かして海に落っこちるなよ」



 高三原に従って、俺たちはヘビードアをくぐりSSデッキの舷外通路に出る。渡された手持ちの方位磁石を見るに、太陽は西の空にあった。


「…特におかしなところはないと思うが」


 青い海と空。風は冷たすぎず、心地よい風速で吹き、少し生臭い潮の香りを運んでくる。なんてことはない。毎日見る、俺たちのよく知る海の通りだ。


「そう思うか? じゃ、右舷側に出て見ろ。東の空だ」


 俺たちは続けて移動し、中央通路を抜けて今度は右舷側の舷外通路に出る。


 俺にはどうも、この高三原という男の態度が妙に思えてならない。何となれば、こいつの言動は一貫して冷静ではあるものの、結論をさっさと話さず引き伸ばす。まるでマジシャンか大道芸人のように、「さあさ皆さん、寄って自分の目でご覧なさい」とこちらを遊んでいるみたいで、なんとも鼻につく。

 いったいこいつは俺たちに何を見せたいのか。乗組員の消えたこの船内よりも凄まじい光景がそこにあるとでもいうのか。

 そんな俺たちの懸念は、舷外通路に出た途端吹っ飛んでしまった。


「右舷4ポイント、上を見ろ」


 言われるよりも早く、俺たちは視界に飛び込んできたそれを見上げていた。

 青い空に浮かんでいたのは、ぼんやりとした丸い輪郭。月だ。太陽の光にいまにも負けそうなそれは、けれどしっかりとそこに存在していて、それ自体は問題じゃない。


 数だ。青白い月の輪郭のとなり、少し離れた場所に、もうひとつ薄っすら赤い円がある。


「月が… 2つ……?!」

「そうだ。俺たちが言った意味が分かったか?」


 そう言うと高三原は大仰に両手を広げ、自分たちが今いるこの大海原を指し示しながら宣言する。



「本船は、太平洋のどこかを漂流しているんじゃない。俺たちの知る地球とは違うどこか。異世界とでもいうべき惑星の海洋に浮かんでいるんだ」

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