人類最後の日に魔王を倒しても

谷川人鳥

初めまして勇者、さようなら人類



 人類最後の日の空は、目を細めなければ直視できないほどの、どこまでも澄み渡る快晴だった。

 朝日差し込む窓の外を眺めながら、俺は意外に思う。

 てっきり灰鼠の寒空の中、冷たい雨が降りしきってるものだと勝手に思い込んでいた。



「……どうかされました? ギル様?」



 物思いに耽る俺の隣りから、凛とした声がかかる。

 月光のような気品さを漂わせる銀髪に、魔族の象徴である血のように赤い瞳。

 皺一つないスリーピースを着込んだ彼女は半吸血鬼ハーフヴァンパイアのアリシア・ルナエンド。

 いつもと変わらない無愛想な相貌を眺めながら、彼女が今日まで生き延びてくれたことを嬉しく思う。


「……いや。てっきり今日は雨が降ると思っていたからさ」


「驚きました。まさか、“全知の魔王”ことギルオデオン・ダークグレイス様にもわからないことがあったのですね」


 本当に驚いているらしく、アリシアは珍しく瞳を大きくしている。

 ゲーミングチェアに比べたら座り心地の悪い魔王城の椅子の上で、俺はそんな彼女の様子を見て苦笑した。


《ダーク・リ・サクリファイス》


 大学生時代に何周したかわからないほどやり込んだ、カルト的人気を誇るアクションRPG。

 戦火と疫病が蔓延し、魔族と呼ばれる怪物が跋扈する世界で、“聖禍トーチ”なる異能に目覚め、魔族を殺すたびに力を得るという力を手に入れた主人公があらゆる災の元凶とされる魔王討伐を目指すというダークファンタジーゲームだ。

 そしてこのゲームのラスボスである魔王の名が、ギルオデオン・ダークグレイスだった。

 もっとも、俺がプレイしている時は、“全知の魔王”なんて異名は存在しなかったが。


「あ、そういえば今日、勇者が俺を殺しにくるよ」


「友達が遊びに来るみたいな調子で言わないでください。でも、ギル様がそうおっしゃるのなら、そうなのでしょうね」


 アリシアが一瞬目を伏せた後、僅かに声を震えさせる。

 賢い彼女は、きっと気づいているのだろう。

 俺がもう、この世界に見切りをつけていることを。

 もっとも、見切りをつけている理由は、勘違いしていそうだけれど。


「……それほどまでに、強いのですか。勇者は」


「まあそりゃ、勇者だからね。強いよ」


「私よりも?」


「アリシアじゃ、勝てないだろうね」


「ギル様、よりも?」


「いや、今の俺なら、勝てるかな」


「では、どうしてっ——」


 ——そんなに寂しそうな目を、しているのですか?


 そう俺に訊く彼女の声は、最後はほとんど囁き声になった。


 前世の記憶を持っている俺が、ダーク・リ・サクリファイスのラスボスである魔王ギルオデオンに転生したことに気づいた時、最初は嬉しかった。


 だけど、すぐに緩やかな絶望と諦観が襲いかかってきた。


 それは俺がこの世界を知れば知るほど、どこまでも全てが知っている通りだと理解すればするほどに、際限なく深まっていった。


 このゲームは、俺にとって最高だった。


 荒廃としていてドライな死生観のあるハードボイルドな世界設定。

 殺した魔族の種類によって変化する主人公の独創的なスキルツリー能力。

 一癖も二癖もある個性豊かなキャラクターは、人類側も魔族側も共に魅力的。

 意外な伏線が幾つも練り込まれた上質なストーリーテーリング。

 しかしほとんど欠点のないように思えるこの作品が、世界的ヒット作品とはならず、あくまでカルト的人気を誇るマニアックゲームの域を出れなかったのには、もちろん理由がある。


 それは、致命的なエンディングの後味の悪さだ。


 こういったちょっと他とは違う、天邪鬼的ダークファンタジー作品にありがちなように、ダーク・リ・サクリファイスも純粋なハッピーエンドでは終わらない。

 何度も仲間との出会いや離別、死別を繰り返して、最終的に勇者は魔王の下に辿り着き、見事倒して物語は一応終わる。


 問題は、その後のエピローグだ。


 魔王討伐の長い旅路を経て、祖国に戻る勇者である主人公はあることに気づく。

 それは確かに魔王ギルオデオンを倒したことで、魔族の侵略や戦火は無くなった。

 だが、自然災害や疫病の類は収まらず、むしろ悪化を続けていること。

 そしてやがて世界各地で同時多発的に大規模な火山噴火が起こり、火山灰で空は覆われ、猛毒の雨が降り注ぎ、星そのものが崩壊し、人類滅亡に陥って物語は終わるのだ。


 魔王を倒しても、人類は救われない。


 悪趣味極まりない、シナリオライターの暴走としかいえない胸糞悪すぎるこのエピローグのせいで、ダーク・リ・サクリファイスは名作ではなく迷作止まりになってしまったというわけだ。

 もっとも、こういった斜に構えたストーリー展開が好きな俺みたいな捻くれ者はどハマりしたわけだが、実際にこの世界に転生すると絶望しか感じない。


「そういえば、二人でネクロポリス山脈にある温泉いったよね。あそこ、良かったなぁー。あれ以来、アリシアと一緒にお風呂、入ってないな」


「な、なんですか、いきなり変なことを思い出さないでください。死霊ゴーストと混浴なんて、二度とごめんです」


「思ったより、大きかったなぁ」


「温泉が、ですよね? もしそうではなかったら、私、勇者側に寝返るかも知れません」


「……」


「視線を顔から下げるのやめてください!」


 陶磁みたいに白い頬を赤らめて、アリシアは両腕で自分の胸の辺りを抱きしめると、俺をジトっとした目で睨みつける。

 もちろん、原作知識を意識して、俺なりにこの世界に抵抗を全くしなかったわけじゃない。

 色々試した結果、人類滅亡は防げないことはわかったけれど、変えられたことだって幾つかある。


「ありがとね、アリシア」


「何がですか? 感謝の意図がわかりません」


「俺の側に、最後までいてくれて」


「……当然です。ギル様は魔王で、私はその側近。この命尽きるまで、お供いたします。嫌だといっても、離れませんよ」


 慈しむような優しい眼差しで、アリシアが俺を見つめる。

 俺がプレイしたストーリー上では、勇者が魔王の下に辿り着く時に、彼女はいない。


 なぜなら、アリシア・ルナエンドはダーク・リ・サクリファイスにおいて序盤のボスであり、本来はもうとっくのとうに死んでいるはずのキャラクターだからだ。


 俺のエゴで最後まで付き合わせてしまったことは、ほんの少しだけ罪悪感があるが、こうやって彼女の笑顔を見ていると救われた気持ちになる。


「なんかさ、やり残したこととかある?」


「特に思いつきませんね」


「お母さんとお父さんに会いに行きたいとか」


「毎週文通してますし、常にギル様の傍にいろと言われているので、大丈夫です」


「親、公認ってことか」


「そうです。責任、とって頂きますようお願い致します」


「……言うねぇ」


「ふふっ。どちらかというとやり残しがあるのは、ギル様の方みたいですね」


 元々のアリシアは、半吸血鬼ということで両親を殺され、人々から迫害され、魔王の配下となり人類に復讐心を抱いていたが、実は両親を殺したのも、人々に吸血鬼の悪評を吹聴したのも魔王ギルオデオンの手引きだったという、露骨な魔族ヘイトを集めて勇者である主人公側に感情移入をさせるためのキャラクターだった。

 しかし、俺は原作を無視してアリシアを両親ごと救い出した。

 どうせ人類は皆滅ぶんだ。

 ちょっとくらい他人の人生を勝手に明るくしても、いい気がしていた。

 

「アリシアって、一応吸血鬼なんだよね?」


「純潔ではありませんが、そうです」


「俺の血、吸う?」


「吸いません」


「魔王の血だよ? 吸わなくていいの?」


「吸わなくていいです」


「……いいよ、きて」


「だ、だから、吸いませんからね! 変な声ださないで下さい!」


 額に薄ら滲んだ汗を几帳面にハンカチで拭きながら、アリシアがわかりやすく目を泳がせる。

 からかうと可愛らしい反応見せる彼女は、俺をいつだって幸せな気持ちにしてくれる。

 彼女のことを救ったつもりで、実際は救われているのは、俺の方かも知れない。

 

「まったく、勇者が来るというのに、ギル様は変わりませんね」


「こういう小さな日常が、大切だったりするのさ」


「まるでもう、日常が終わってしまうような言い方ですね」


「……風、強くなってきたな」


 窓の外に視線を逃す俺は、分かりやすく話を逸す。

 空を流れる雲の速度が、増し始めた。

 俺はもう、すでにエピローグの中にいる。

 

 今日で、俺の知っているダーク・リ・サクリファイスの物語の中で、魔王ギルオデオンが死んでから、ちょうど一年が経つ。


 つまりは賛否両論、というかほとんど否のレビューが集まった魔王討伐後のエピローグの当日がまさにこの日ということだ。

 原作知識を使って、体術も魔術も極めた俺は、きっとこの世界の勇者より強い。

 でも、勇者を倒したところで、人類滅亡の日が遠のくわけじゃない。

 

 だから俺は、ただ、ただ、思い出を作ることにした。


 勇者の行動を読み切り、徹底的に遭遇を避け、アリシアと共に沢山の思い出を作った。

 冒険者の真似事をしてダンジョンに挑んで、そこで偶然出会った蛙頭の魔法剣士と食人植物に齧られながら朝まで飲み明かしたこともあった。

 隠しボス的な存在のエンシェントドラゴンの背中に乗って空を飛んで、意外と龍種というのが猥談好きだと知った。

 人間の国に忍び込んでご当地グルメを食べ歩いて、十三連続で婚約破棄をされている王女様の恋愛相談をきいたりもした。

 どれもこれも素晴らしい記憶ばかりで、走馬灯に収まり切らないかも知れない。

 

 やり直したことは、俺も特に思いつかない。


 俺はもう、十分、幸せに生きた。



「ギル様」


「ああ、ついに、来たね」


 

 コツ、コツ、とやけに乾いた音が聞こえる。

 これまで感じたことのない、異質でいて、神聖さを感じさせ、どこか懐かしい気配。

 俺の隣で、緊張でアリシアが表情を強張らせるのがわかる。

 

 勇者だ。


 勇者が、来た。


 せめて、魔王らしく見えるようにと、横柄に足を組んで、勇者が俺の下に辿り着くのを静かに待つ。


「ギル様、私はもう、十分、幸せに生きました」


「奇遇だね。俺も、ちょうどそう思ってた」


「でも、ギル様にはもう少し、生きていて欲しいです」


 悲壮な表情をしたアリシアの瞳には、仄かに涙が浮かんでいる。

 世界は守れないけれど、きっと彼女のことは、守り抜ける。

 その涙を、流れ落とさせることは、しない。


「そっか。じゃあ、もう少しだけ、頑張っちゃおうかな」


「勇者に、勝てますか?」


「勝つさ。世界は救えないけど、アリシアのことは救ってみせるよ」


「それでこそ、私の魔王です」


 瞼からこぼれ落ちそうな涙を、アリシアが自らの手の甲で拭う。

 それを見届けた俺は、大広間の入り口にある扉が音を立てて開かれていくのを、どこか新鮮な気持ちで見守る。



「初めまして、勇者」



 でも、さようなら人類。


 勇者が死のうと、魔王を倒そうと、エンディングは変わらない。


 開け放たれた扉の外側から現れた勇者は、あの夢中でゲームをプレイした当時の見慣れた顔そのまま。


 まるで過去の自分自身を見ているようで、目を細めなければ直視できないほどに、気恥ずかしい気持ちになる。


 この世界でも、勇者は、魔王の下に辿り着いた。


 でも、今日は人類最後の日。


 勇者である君も、こんな無駄にかっこつけていて、その癖そっけない世界なんて救おうとせずに、もっと身近の小さな、だけど幸せな日常を積み重ねるべきだった。


 魔族を殺し、仲間との別れを重ねながら、何度も傷つく必要なんてなかったんだ。


 だけど残念ながら、勇者きみが今から十分幸せに生きたと感じられるような思い出を作るための、時間は残されていない。


 

魔王おれを倒しても、もう遅い」



 どれだけ後悔しても、本当に、もう遅いんだ。

 


 



 

 

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