第35話 僕の本業
高さ10メートルほどの幹が細い木々がたち並び、その木々の間を小さな猿の群れが移動していく。猿といっても日本みたいに茶色の毛でお尻が真っ赤な猿とかがいるわけじゃなくて、もっと小型で、灰色で、尻尾がやたらと長い奴を頻繁に目にするようになる。
日本では見る事がないバナナの木やマンゴ、グワバ、パパイヤの木なんかそこら辺に生えているから、猿も食料で困ることなんてないんだろうな。ちなみに日本人は熟れる前のまだ青いパパイヤを漬物にして良く食べるんだけど、僕はオレンジに熟れきったパパイヤを豪快にスプーンですくって食べるのが好きだ。
ちなみにブラジル人はパパイヤのことを『ママオン』と呼ぶ。ブラジルではお母さんのことを『ママイン(お母ちゃん)』『マイン(お母さん)』と呼ぶんだけど、彼女たちが『ママオン』と呼ぶから、でっかいお母さん?それってどんなお母さん?と、僕なんかは不思議に思っていたんだよね。
まあ、でっかいお母さんじゃなく、パパイヤだったんだけど、パパイヤの中にある大量の真っ黒でつぶつぶした種が、僕には結構グロテスクに見えたりするってわけさ。
パパイヤっていうのは緑色の細い幹から直接、鈴なりに実がなるんだけど、こんなの日本では見たことない。りんごとかみかんみたいに、木の枝にぶら下がるように実がなるわけじゃない。本当に不思議・・と、僕がどうでも良いことを考えていると・・
『今日はちょっと森の奥の方まで見まわりをすることにしよう』
と、カマラーダのリーダーであるジョアンが言い出した(と思う)。今日は害獣の生息範囲を確認することになっているため、五人のカマラーダで移動をしている。
広大な珈琲畑で働く労働者は日没と共に仕事を終えることになるんだけど、その行き帰りに被害があったら困るということで、僕らカマラーダは空砲を撃ちながら獣避けをするんだけど、その日は少し遠回りをする形で森の中を進んでいくことになったんだ。
「アイッ(痛っ!)」
獣道みたいなところを進んでいたんだけど、それほど農場からは離れていない。回り込む形で居住区へと通じる灌木に囲まれた道を進んでいたんだけど、やたらと鋭い棘が生えている薮を踏みつけたらしくって、ルイスが声をあげたんだよね。
普段であれば、のんびりと散歩を楽しむような森の中の道なんだけど、最近、この辺りから野犬や狼の遠吠えが聞こえてくるのが問題になっていたんだ。
数ヶ月前に起こった山火事で逃げ出した動物の中には豹やアメリカ虎の他にも狼の群れも居るみたいで、放置するのも問題だって言われているんだけど・・
5センチくらいの棘が無数に伸びる枝の中に足を突っ込んでしまったルイスが、自分の足を引き上げたんだけど、真っ赤な血がべっとりとズボンを濡らしているような状態になったんだ。
「ノッサセニョーラ」
周りの奴が血だらけの足にタオルを巻きつけているけれど、本当に『ノッサセニョーラ』だよ。血の匂いは獣を引き寄せることになるんだからさ。
ちょっとまずいな・・という感じで、見回りに来ていたカマラーダ5人(僕も含める)で目と目を見合わせていると、
『おい!あの変な光はなんなんだ!』
というようなことを、カマラーダの一人が言い出した(んだろう、たぶん)。
「オオ!メウデウス(ああ、神様)」
日が暮れて森の中は薄暗くなっていたんだけど、木々が生い茂る隙間に浮かび上がる闇の中に、黄色い小さな光が浮かびあがる姿が見えたわけ。
本当に、普段であればのんびり歩いても問題ないような場所だったんだよ。何しろ農場の敷地からそんなに離れていないし、山の中を入ったと言ってもそれほど深くまで進んだわけじゃないからね。
アホなルイスが、どうやったらそんなに足が傷つくのっていう怪我をしているのが問題で、その血の匂いに惹かれて来たんだろうなぁ。結構な数の狼が僕らの周りに集まり始めている。
ブラジルには赤茶色の毛の、小型の狼が生息している。血の匂いを嗅ぎ付けた狼は不気味な影を作りながら僕達の方へとやって来たんだ。
「ローボ(狼だ)!」
若いカマラーダが猟銃を構えて引き金をひいた。かちりと空しい音だけが響く。
そりゃそうだよね。森に入る時に、猿とか鳥に向かって景気よく撃っていたもんね。弾丸、空になっていることに気がつかないなんて・・素人か!いや、素人なのか?
「ノッサセニョーラ」
いや、最近、夜の遠吠えの数から結構な群れがいるんじゃないかな?とは思っていたんだけど、薮の中から現れた狼は8頭、
「マツ!」
ジョアンに声をかけられた僕は、とりあえず先頭の一頭を撃ち殺した。
「ノッサ!」
「キッ!ペーナ!」
今日の見回りは、害獣駆除もするかもしれないってことで、若手のカマラーダが興味津々でついて来たんだよね。この若手のカマラーダとは、ルイスを筆頭に、僕ら日本人をバカにして、時には四人組を小突いたりしてきた奴らなんだけど、自分たちよりも体が小さな奴には偉そうな素振りを見せても、いざとなれば役に立ちそうにないってことは、奴らが真っ青な顔で震えている姿を見ているだけでよく分かる。
「バイ!(行け!)」
ジョアンが大声をあげた。
「バイバイバイバイ!(行け!行け!行け!行け!)」
ジョアンも狼を撃ち殺したけど、結構な数が現れたので彼も度肝を抜かれているような状態だ。
「バーモス(一緒に行こう)!」
怪我をしたルイスを担ぎ上げたジョアンが声をかけてくれたんだけど、僕まで一緒に逃げ出したら、絶対にあいつはやってくる。
「バイ!ジョアン!バイバイバイ!」
「ワーーー!」
わーって言うのは人種関係ないんだな。
ルイスを担いで走り出そうとしてあっさりと転んだジョアンを狙って狼が飛びかかる。
僕は銃床を右頬に当て引き金を引くと、
「バイ!バイ!バイ!(行け!行け!行け!)」
そう叫びながら後ろを振り返って更に一発狼におみまいする。
僕はこのシャカラ・ベンダという農場で何度か死にそうな目にあったけれども、この時がまず死にそうになった第一号といえるだろう。
僕の持つ旧式の散弾銃は弾を2発こめるタイプで、僕が支給されて持っている実弾はたった10発だ。
今すぐにも襲いかかろうとしている狼を速射で一匹倒すと、周りの狼は動きを一瞬止めた。
無意識のうちに弾込めをしながら夕暮れの中に浮かび上がる奴の姿をひたすら探す。
風が強い日で、木々は悲鳴を上げるように枝をしならせ、揺れ動く黒々とした葉の合間から真っ赤な夕日の光が地上へと降り注ぐ。その真っ赤な光を浴びるそいつは、ひどく禍々しいものに僕には見えた。
酷く長い時間が経ったように感じたけれども、呼吸にしてほんの二呼吸の間の後に、引き金をことりと落とした。
大きな岩の上に悠然とした姿で立っていたそいつは、始め酷く驚いたような顔をしたように見えた。
そうして悲痛な声をあげて岩の上から落ちていく。
その姿を見て取り囲む狼達は明らかに動揺したようだった。
そりゃそうだ、一番大きな狼、群れの長をたった今殺したんだからさ。
僕は再び引き金に指をかけると、そのまま後ろ歩きに農場の方へとむかう。
狼達の姿が徐々に小さくなり、森の闇の中へと消えていく。
その時、森が作りだす闇の向こう側に、悠然と歩く金色に輝く物体を僕はその目に捉えることになったんだ。
「オンサ(豹)」
そいつは森の主みたいな奴で、狼と僕らの小競り合いを悠然と木の上から眺めていたのかもしれない。距離は相当離れてはいたけれど、木から降り立ったそいつは悠然と森の奥へと消えていく。
そいつに標準を合わせたまま僕は後ろ歩きで後退をしていたわけだけど・・
「燃えてきた〜!」
と、口の中で呟いた。やっぱり僕の本業はこっちだな。せっかくブラジルまで来たんだもの。森の主に挑戦するのも良いのかもしれない。
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私は学生時代、語学のテストは壊滅的だったんですけども、自分の命(生活)がかかってくると必死さが違うというか、とにかく相手の言っていることが先に理解出来るようになってくるんですね。今現在、松蔵、必死にリスニング中『 』内はこんなことを言っているんだろうな〜という内容となっております。
ブラジル移民の生活を交えながらのサスペンスです。ドロドロ、ギタギタが始まっていきますが、当時、日系移民の方々はこーんなに大変だったの?というエピソードも入れていきますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!
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