第5話 天才と呼ばれた男

「奏ちゃん、ヴァイオリンのお時間ですよ」

「いやだ。やりたくない…」

「まだそんなこと言うのね…ママ困っちゃうわ」


うちの両親は楽団で出逢ったらしい。

父さんは今は指揮者をやっているけど、昔は母さんと同じヴァイオリニストだった。

当然、そこに生まれた俺は有無を言わさずヴァイオリンを持たされる。


「もう放っておきなさい。やりたくない奴にやらせたって上達しない」

「パパはいつも甘やかして…」

「奏一朗にもいつかやりたいことが見つかるはずだ」


母さんは俺にヴァイオリンをやらせたがったけど、父さんは違った。

昔から放任主義というか、どこか俺には興味がないように思えた。

今思うと、俺にはヴァイオリンが合わないと感じていたのかもしれない。


俺は無理やりヴァイオリンをやらされることが本当に嫌だった。

母さんはただ自分の思い通りに俺を育てたいだけだったから。

俺は母さんのこともヴァイオリンのことも嫌いになった。


小学校に上がって、俺は全くヴァイオリンに触らなくなった。

それが当時は嬉しくて、今まで練習で孤独だった反動か、外で友達とたくさん遊ぶようになった。


そしてある日、音楽の授業が終わって教室へ戻る前、楽器倉庫を覗いてみた。

やっぱり俺は音楽自体は好きだったから、色々な楽器を見たくなった。


「亘くん?何か忘れ物?」

「いや、そうじゃないけど…楽器が見たくて!」

「あら、そうなの!先生とっても嬉しいわ」


俺は音楽の先生が大好きだった。

優しくてピアノが上手で笑顔でいつも授業してくれた。

うちの母さんと同年代だからか、母さんと比べていたのかもしれない。


「先生!これ、ドラムだよね?!さわってもいい?」

「良いわよ〜あ、でもお高いから丁寧にね」

「うん!わかった!」


俺がドラムセットのイスに座ると、先生はスティックを持ってきた。

そしてこうやって叩くのよ、と少し教えてくれた。


音楽番組や楽団のコンサートでよく見て憧れていたドラムセット。

見様見真似で8ビートを叩いてみた。

そのとき、俺には『弾く』より『叩く』が合っていると直感で思った。

なんて楽しいんだ…!

演奏することが嫌いになっていた俺は、衝撃を受けた。


「亘くんすごい!ドラムは初めてじゃないの?」

「初めて!でもすっげーかっこいい!おれ、これやりたい!!」


生まれてはじめて、心からやりたいと思った楽器がドラムだった。

それからというもの、俺はドラムの魅力にどっぷりハマっていた。


毎日休み時間は音楽倉庫で勝手にドラムを叩いた。

あとから聞くと、当時音楽の先生は俺の熱中ぶりを見て黙認していたようだ。


楽譜を自分で用意して叩いたり、好きな曲を耳コピして歌いながら叩いたり。

俺は友達と遊ぶより、ドラムを叩く時間のほうが長くなっていた。

それでも教わることが嫌いな俺は、ドラム教室に通ったりはしなかった。

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