第20話 キサラの日常4

 それはまさかの出来事であった。

 キサラをして、一日に2度もこの衝撃を味わうなど何時以来の事か。

 或いは、初めての事やもしれない事に、身を震わせた。

 カッと見開かれた目に映りこむ尾と少しばかり身が千切られた魚。

 調理法は塩で焼いたのみのシンプルなもの。

 だが、分かってしまった。

 それこそが、この魚を最も美味く食べる手段であると。


「これが……鮎か」


 小魚の様に小さくなく、小型だがそれなりのサイズがあるその魚は骨ごと頭まで食べられるという。

 故に、キサラは暫し逡巡し尻尾から齧った。

 魚の頭は往々にして食べやすい部位ではない。完全に鮎という魚に慣れてからの方がいいだろうと判断した。

 尾鰭とそれが付いたちょっとの身の部分。

 さて、どのようなものかと思ったが、尾はパリパリと香ばしく身は川魚とは思えない上品さでキサラの舌を迎え撃った。


「旬は先月あたりまでだそうでございますが、今は脂こそ落ちましたが、メスが卵を持っておりまた別の美味しさがあるのだとお伺いいたしました」


 感動するキサラに配膳係をしているディネが聞いたことを丁寧に伝える。


「はむ。もぐもぐ……旬の物も食べてはみたいな」


「ご用意いたしましょうか?」


「やめておこう。食べられるまで待つのも料理の醍醐味というものだ」


 ディネが何をしようとしたのか理解できるキサラは即断すると、また鮎に被りつく。

 すると食感が変わり、プチプチとした粒状の何かが心地よく歯を押し返した。


「お。これが卵か。うむ。これもまた美味」


 うまうまと箸は進み、綺麗に膳を平らげたキサラは至福の表情で「美味かった」と言った。


「松吉には感謝せねばいけないな」


 そう、この鮎、キサラが熊一頭を譲渡した松吉の礼の品であった。

 熊一頭に対しての返礼にしては大変に恐縮していたらしいが、熊はアランフォードでも食べた事のあるキサラにとっては、この鮎の方が何十倍も嬉しいお返しだった。

 それも偶々、川に仕掛けた網罠に一匹だけかかっていたとのことで、今日の昼餉に供されたのはキサラだけである。

 

「何か、礼をするか」


 顎に手をやって思考するキサラを見てディネが告げる。


「主様ならそう仰られるであろうと思いまして、厄受けの石を差し上げておきましたわ」


 厄受けの石とは、持ち主に災いが訪れた際にその被害を受けて無害にする魔法の石である。許容量はあるが1回分の命の危機ぐらいは防いでくれるであろう物をディネは渡している。


「気が利くな。それでいいだろう」


「うふふ……主様のお考えをお察しするのであれば、この私、誰にも負けない自負がありますわ」


「そ、そうか……殊勝と褒めるべきか、気色悪いと貶すべきか迷うな」


「どちらもご褒美でございます。お好きなようにどうぞ?」


「むぅ。ならば、近くに寄れ」


 言われるがままキサラに1歩近づくと更に頭を下げるように命じられ、素直に従うディネ。


「よくやった。偉いぞ」


 そう言って、プラチナブロンドの髪を優しくなでるキサラに、ディネはアメジストの瞳を大きく見開いた。

 先ほど、キサラの思惑を察するのに右に出る者なしと言った彼女をして意表を突かれた。

 歓喜が有頂天になったディネは完璧メイドの矜持を何処に忘れたのか、食べ終わったキサラの膳をダンスをしながら運んで行った。いや、完璧メイドだからか運ぶ膳は全身の激しい躍動にも全く小動もしていない状態で運ばれてはいたが。


_____________________________________


 有意義な昼餉の時間を終えて、午後の自由時間。

 キサラと菊幢丸の姿は作業小屋にあった。


「案山子?」


「これでもゴーレムだ」


 十字の人型をした物を見た菊幢丸の感想に注釈を加えるキサラ。


「歩かないの?」


「起動すれば地面から抜け出す仕様だ」


「強そうに見えないね?」


「卜伝翁の気合の一撃にも耐えうる性能だ。その辺の雑兵には倒せんさ」


「マジで!?」


 卜伝の凄さは身をもって知ってるだけに驚いた。

 シャロンの評価も「このお爺さん、神様のいない世界で誰を相手に戦うつもりなんだう?」と疑問を呈していたほどだ。


「魔法で強化したの?」


 菊幢丸が習ったゴーレム製造法では素材には特別に魔法を使うことはなかった。土だとか形が崩れやすい物を固定化する魔法は使うそうだが、この案山子は普通に組み立てられている。


「いや。この世界の知識を使わせてもらった」


 キサラは三国志演義の藤甲兵の鎧の話を伝えた。

 

「あれか……でもあれって諸葛亮の火攻で全滅してなかった?」


「ああ、そこで菊幢丸に、このゴーレムに耐火魔法を永続化して掛けてもらうことにした」


「そうか、耐火の魔法を僕が掛ければ弱点は克服……ちょっと、待ったぁ!」


 納得しかけたところで大声でそれを打ち消す菊幢丸であった。


「魔法の永続化って無茶苦茶魔力使うじゃんか! 木曽馬の時より過酷だよ!」


 木曽馬100頭召喚した時の地獄を思い出して、猛抗弁。

 キサラに魔法の事で反目すると手酷いしっぺ返しに遭うのは経験済みだがそれでも言わなければならない程に必死な形相だった。


「安心しろ。そこまで辛くはならないさ」


 魔法講義に置けるキサラ語録的に安心しろは安心できないにあたるのだが、それをキサラに言っても通用はしない。シャロンは納得してくれたんだけどと諦観する菊幢丸。


「元々、ゴーレムは永続使用が目的の為にあるからな。製作の段階で魔法の永続化を補助する魔法式が複雑に組んであるから、必要魔力は大分少なく済む」


 説明されて、そう言えばゴーレムの講義はまだ途中だった事を思い出す。


「それに耐火と言って何も数千万度の火に耐えるような物を用意しなくていい。アタシがこの世界の現在の文化水準上で求める耐火温度は1500程だ」


 摂氏1500と言われてもパッと来ない様子の菊幢丸に、軽い溜息をついて、建物が燃え落ちるくらいの温度だと教えてやる。


「そうか。それぐらいの火に耐えられればこの時代なら十分だね」


「耐火魔法の式に一五〇〇℃を加えて使えばいい。やってみろ」


 促されるままに案山子ゴーレムの前に移動して手をかざす菊幢丸。


「う~んと……”我、火を妨げる力を一五〇〇℃与えん”」


  手が輝き、次いで案山子が光り魔法は成功した。

 したのだが、菊幢丸は脳天に痛みを覚えてつい蹲る。


「ばかもん。永続式がぬけてるではないか」


 手刀を落としたキサラにダメだしされた。

 

「ぶ、ぶたなくてもいいんじゃないかな……キサラだって、言ってくれなかったじゃんか」


「阿呆か、今やろうとしてるのは耐火魔法の永続化をゴーレムに掛ける事なんだぞ。それを忘れる方が悪い」


 言われてみればそうなのかもしれないと思い抗議を諦める。

 頭を撫ぜてみるとコブがあるが気にしたら負けだ。

 コブで鏡餅を作る気は無い。

 そして魔法を掛け直すと、今度は褒められた。


「中々、魔力の通し方が上手いぞ」


 頭を今度は撫でられ、ちょっと菊幢丸は照れた。

 そして、あれっと思って頭を触ってみるとコブが無くなって痛みも消えている。

 もしかして、治してくれたのかとキサラを見るが、彼女は平常通りで、


「ほら、残りの二体も片付けるんだ」


 言われるがまま作業する菊幢丸。

 キサラはただ横で突っ立ているだけに見えるがその目は真剣だ。

 僅かな歪も見逃すまいという意気込みを感じさせる。

 人はそれを凛とした佇まいと称するのだろうが、生憎、菊幢丸にそれを観察するようなゆとりはない。

 緻密で複雑な魔法式に精密に魔力を施す作業は、精神力を鑢で削られ、集中力を維持する神経はどんどん摩耗していく感じで、非常に疲弊する。

 キサラ語録はやっぱり正しいという愚痴さえ考える暇もない。


「ファンタジー小説やゲームなんかだと、MP使って呪文唱えれば簡単に魔法が使えてたんだけどな……」


 作業を終えて疲れ切った菊幢丸の第一声である。

 しかし、菊幢丸は知る由もない。

 アランフォードの魔法もそう難しくはないことを。

 彼が習っている魔法はそのほとんどが異世界最高の大魔法使いであるキサラが改良、細分化したものである。

 通常、耐火の魔法で防御可能温度の調節などできないのだ。

 一般魔法学をアランフォードで習っているのなら、それは不可能であると教えらえるが、菊幢丸が教わっている相手は、どんな魔法も朝飯前で片付けてしまう魔法の申し子で、出来て当然、あるいは少し頑張れば出来ると考えており、そんな彼女の妹は魔法が使えない故に姉の魔法は凄いという事ぐらいしかわからない程度に常識に疎かった。


「ふむ。頭を使い過ぎたか? 頭部の熱が少し上がっているようだな」


「見ただけで分かるとか。サーモグラフでもついてるの、その目」


「サーモグラフ? なんだ、それは」


「物の温度を色で見れる道具。高いと赤系、低いと青系で表示されるんだ」


「ほお、魔法のない世界でそんな真似ができるアイテムがあるのか、興味深いな」


「今の時代にはないけどね。科学っていう学問の産物さ。行き過ぎた科学は魔法と同じ、とまで呼ばれるくらい色々できたんだけど。キサラを見てたら、とてもかなわないなぁ」


 さり気なく褒めそやす菊幢丸。

 将を射止めるには馬から作戦は継続中のようである。

 キサラの中で菊幢丸の印象が良くなれば、実はお姉ちゃんっこだったシャロンも菊幢丸を意識するかもしれない。


「まあ、そうだろう」


 しかし、攻撃は躱されてしまった!

 当たり前すぎだったかな、と作戦失敗を反省する菊幢丸だったが、まあ、焦る必要はないかと思う事にした。

 シャロンとは普通に仲が良いと思ってるからだ。

 そこにキサラの援護が加わってくれれば、という気持ちである。あと、シャロンとお付き合いしてもいいと思ってもらいたいのもある。

 キサラを倒すのは無理ゲーである。


「ところで、このゴーレムってどうやって戦うんだ? やっぱり殴ったり、蹴ったりするの?」


「近接格闘技で戦うから、それも勿論できる」


 ちょっと予想の斜め上な答えが返ってきた。

 空手や柔道でも使うんだろうか?


「おい、一号、ちょっと形を見せてやれ」


 すると菊幢丸が最初に魔法を掛けた案山子が一礼し、構える。

 右腕を前に出し、左腕は脇を締めて腰に。

 そこからスムーズに蹴り上げ、左正拳突き、右手払い、回し蹴り、アッパーカットやら捻りを加えたパンチとか、背負い投げのような動きまで披露し、手や足のみならず、肘や膝、踵、爪先、頭まで使った武踊からは対戦相手が幻視できるくらいにリアルで迫力があった。

 菊幢丸の前世の脳裏に焼き付いていたゴーレムモーションが音を立てて崩れていくのが少年には確かに聞こえたのだった。

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