第10話 菊幢丸の新たな一日(昼の部)

 朝は剣術の稽古、朝食、学問の授業を経て、本日より導入された昼食を終え昼に入る。

昼から夕方までは自由時間だ。

 これまでは近習たちと馬に乗ったり、義晴の家臣を借りて狩りなんかの真似事をして過ごしていた。

 そんな菊幢丸は、今日はキサラと近習衆を連れて村へと来ていた。

 来たばかりで地理どころか文化、生活習慣など不慣れなキサラに色々と教えるのが目的だ。


「ところで、侍女さんがキサラに似合いそうな着物を用意しなかった?」


 ポニーのような小さな馬にパカパカ揺られながら進む一行の先頭は菊幢丸。それとほぼ並走してキサラ。その後ろに近習衆。


「ああ、あれは動き辛そうな上に体のラインも満足に見えんから丁重に断った」


 キサラに羞恥という言葉は母親の胎内に置き忘れたようであるので、もうそこには突っ込むまいと決めていた菊幢丸であるが、目立つのはどうなのだろうか。


「普通の精神状態の者が見れば、アタシの身体はやる気が漲ってくるものだし、いいだろう。まあ、血に飢えて異常な精神状態の連中は邪な感情を抱くんだけどな」


 キサラはここで最初に出会った男達を思い出す。

 平静の魔法でも掛けてやれば良かったかと今にして思いはしたが、山賊まがいな連中だ。いずれ同じ罪を犯しただろうから、まあいいかと考えを改めた。


「キサラのその恰好は、見せびらかすためにしているのか?」


「そうだとも。美しい物がそこにあるのに見れないのは人生損してるぞ」


 どうやら露出狂という訳ではないらしい。

 彼女の価値観は一般人には理解しづらいが、キサラ自身には一本しっかりとした柱が立っているようだった。

 そういえば、この中で一番強いのは満場一致で彼女ではあるが、それでも何かあれば自分がキサラの為に身を挺する覚悟が近習連中から感じ取れる。

 自分への警護はどうした、と思わずにはいられない菊幢丸であった。


 さて、そんな事を話してる間に目的の村に着いた。

 菊幢丸一行に気が付いた村人が慌てて駆け寄ってきて平伏する。


「楽にしてくれ。今日は昨日来たばかりの異国の娘を案内がてら視察に来た」


「へ、へえ。それじゃあ、オラは仕事に戻らせていただきますで」


 鍬を肩に抱えて戻っていく農夫を見送り、菊幢丸はキサラに振り返った。


「さてと、何から知りたい?」


「ふむ。人を支える最たるものは食だ。これまでに見たところこの国の一次産業は農業だな。なら、それを詳しく知るべきだろう」


 見るべきところは見ているんだな、と思う菊幢丸は、快諾した。

 直ぐに作業に戻った農夫の後を追い、作業を見せてもらえるように説得(命令ともいう)した。

 頼まれた男は緊張に身体が強張っていたが、やがて調子を取り戻し普段通りの農作業風景に戻った。


「これだけの作業で疲労が溜まっているな。効率の落ちが早い」


「え? そんな風には見えないけど?」


 キサラの言葉に菊幢丸が異を唱えると近習の皆もそれぞれに頷く。特に万吉は顕著である。


「相手の様子の些細な違いが見抜けると戦場で長生きできるぞ。鍛えておけよ」


 と何とも無茶なことを言うとそのまま農夫に近づくキサラ。

 そして、気安く声を掛ける。


「おい、アンタ。その鍬の代わりにこれをやるから使ってみろ」


 と、菊幢丸にはお馴染み、他の者には驚天動地のタンクトップから鍬を取り出して渡す。

 それに吃驚した農夫だが、渡された鍬にも驚いた。


「こ、この鍬、全部鉄製でねえだか!?」


 そう、キサラが用意したのは総鉄製の鍬であった。

 オリハルコンだとかアダマンタイトだとかでない分は常識があったようだ。


「こ、こんな高けえもん、貰えねえだ!」


「気にするな。その程度幾らでも何とかなる。アンタが使って具合が良いようなら,村全部に配ってやる」


 そこまで言うならと、農夫は鍬を振り上げて土に振り下ろした。

 サクッと小気味よい音を立てて鍬は深く地面に食い込む。


「お、おお! こいつは楽だぁ! 固い土も簡単に掘り返せるべよ!」


「そうか。それでは、その鍬で頑張って仕事をこなしてくれ」


「ああ、ありがとよ!異人さん!」


 感謝の声を背に戻ってきたキサラに菊幢丸が詰め寄る。


「ちょっと、村中に鉄の鍬なんて配れるの!? この世界の鉄は安くないんだよ!」


 菊幢丸は熱弁をふるう。

 鉄鉱石は限られた場所にあるにはあるが、諸外国に比べて少ないこと、普通は砂鉄を集めて鉄にすることを説く。

 近習たちはその知識の豊富さに感心しきりだが、キサラの表情には若干の呆れが浮かんだのであった。


「無いところから持ってくるのが魔法の基礎だ。見てろ」


 と、農夫から受け取って来た木製の鍬を眼前に突き出して見せる。

 一瞬微かに光ったかと思うと、鍬の色が木とは思えない光沢を放っていた。


「あれ? これ、鉄?」


「そうだ。この世界にある物質だし高度な魔法式も使わない簡単な魔法だから、この世界の魔元素でも大した問題なく使える」


 まあ。どちらかと言えば錬金術に近いが、必要な道具もいらないしこちらが早いとキサラは言った。


「じゃあ、キサラが村中の鍬を鉄製に変えるんだ?」


 と言えば、菊幢丸の頭にゴチンといい音が響いた。


「何を寝ぼけている? 菊幢丸も手伝うんだぞ。魔法は派手なだけじゃない。生活に密着するほどに尊敬され、親しまれていくんだ、覚えておけ」


 見事なタンコブをこさえて涙目の菊幢丸に教え込む。

 近習達は主人に拳を振るったキサラに驚きつつも「殴ったね、父上にも打たれたことないのに」と言わない菊幢丸の器の大きさにも感心していたとか。


 さて次に来たのは堆肥置き場だ。

 昔は各家の厠から直汲みして畑にまいていたのを、菊幢丸が一所に集めて藁やら被せて発酵させた物をまかせている。

 

「トイレの廃棄場か?」


 独特の臭気を放つので村はずれに置かれたそれを見て、キサラは言った。

 

「間違ってるような、間違ってないような……」


「どのみち、人間のうんちとおしっこのため場だろ?」


「身も蓋もないな、せめて糞尿とかそれっぽく……」


「では聞く。菊幢丸は急にもよおした時に糞尿が漏れそうだーって言うのか?」


「いや、それはないかな……」


 言われてしまうとキサラが正しい気がしてしまう。


「でも、これは只のトイレの廃棄物じゃなくって、それに草木灰やレンゲソウ何かを混ぜ込んだ有機堆肥のつもりなんだけどなぁ」


「ふむ。言いたいことは分かるぞ。アタシの故郷の古い年代でもあった事だ」


 なんだ、知ってるんじゃないか。と思う菊幢丸。

 だが、その後に言われた事に唸り声を上げた。


「だが、人や肉食獣の物はやめておけ、あれらは寄生虫の良い住処だ」


 戦国時代の人間の胃腸は現代人のそれほど柔ではないが、体内で飼っていい物ではないのは確かだった。

 

「でもなぁ、馬とか牛も多くないし、そこは目をつむるしかないんじゃないかなぁ?」


 頭を捻ってもいい案が浮かばない菊幢丸。未来人の知識持ちの彼がそうであるからして近習の者達にも良案があるはずもなし。


「いないなら増やせばいいだろう。魔法を使えば簡単なんだが、これは馬鹿にならない魔力を使うからな、普通に数を用意して繁殖させれば1年で増える。受胎,非受胎は簡単に判明できるし、雌雄が偏らないように調整も可能だ。自然任せより効率よく増やせるぞ」


 問題ないとばかりにキサラ。

 それに対して、魔法って何でも出来るんだなぁ、と菊幢丸。


「アタシの様に幅広く魔法を修めてる奴はそうはいないがな」


「流石、全知全能」


「褒めても何もやらないぞ」


「いや、でもね……最初の馬を集めるだけでもかなりのお金がかかるんだよね」


「馬なんて、そこいら辺にいるんじゃないのか?」


 小首を傾げるキサラに菊幢丸が説明する。


「鹿とか猪なら何処にでもいるけど、馬となると広い敷地と良い草がたくさん茂ってる場所じゃないとダメだよ。この辺にはないよね、万吉?」


「そうですね。馬なら、木曽や関東、奥州が有名でしょう」


 菊幢丸に頼られて得意満面の万吉。チラリと見せた視線がキサラにどーだと言ってるようだ。


「遠いのか?」


 そして何の痛痒も与えられずスルーされるまでがデフォルト。


「遠いね。一番近いのが木曽」


「ふむ。まあ、今は置いとくとして、次は田圃でもみようか」


 移動は馬に乗ってるから楽だし速い。

 菊幢丸は前世に乗馬の経験はなかったが、チャレンジしてみれば何のことはない。

 前世で自転車に乗るために練習したような、そんな感じであった。

 実際には大分違うが、戦国時代の子供にとって馬に乗る技術は現代人の自転車に乗る技術と同じようなものという意味合いだ。

 因みに、キサラに言わせると、馬に乗るより歩く方が速いらしい。

 普段歩いてる速度は意図して周囲に合わせているのだとか。徒歩で故郷の大陸を横断もしたそうだから、足腰が強いのだろう。


「ほぉ……奇麗な田圃だな」


 馬が足を止めたのはそんなキサラの一言だった。

 まだ夏真っ盛り、稲は青いが整然と並んだ田圃は確かに見事である。


「これも菊幢丸様のご指導の賜物なのです」


 何故か偉そうに踏ん反り返るのは万吉である。


「幼き頃、田の雑草を取り除く作業を大変そうにしているのをご覧になられた菊幢丸様が、間隔を開けて植えればいいのではないかと申されたのです」


 当然、前世知識だ。

 ただ、この時代じゃそんな事して収穫量が減るんじゃないかと反対意見が当然のように出た。

 そこで、菊幢丸は年貢は取れた分でだけ収めるようにして欲しいと義晴に訴え、義晴が朽木植綱に一年限りで命じた。

 その結果、作業が楽になっただけでなく、収穫量も減らず、むしろ少し増えた位であった。

 そして菊幢丸が年を経る事に、塩水選や苗床を作ってから植える等の技術革新をもたらして現在に至っていた。


「なるほどな、提案の悉くが全て理にかなってる。流石は菊幢丸だ」


 キサラが褒めたのは彼の知恵でなく前世知識である。

 それが分からない万吉は鼻高々である。

 そこで疑問に思ったのが菊幢丸である。

 文明が科学と魔法で違うとはいえど、高度に発展したそれらは似通ってはいないのだろうか?


「ああ、ウチの方じゃ米にしろ麦にしろ特定範囲にばらまきしてるから、こんな綺麗には整ったりしないな」


「え? そうなの?」


「ああ。景観より実利効率優先でな、大地は特定の作物のみが最上にしか育たないように調整され、撒かれる植は病害虫旱魃冷害長雨に強く沢山実りをつけるんだ。そんな環境で、ここみたいな事をするのは無駄でしかないんだよ」


 農業は大変だというこの世界の常識を軽くぶっ飛ばす異世界農業の実態であった。

 こうして一通り村の農業関連を見て回った一行は夕暮れ前に帰途に就いたのである。

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