第23話 けっこう……厄介な人だった
オフィスで懸命に作業している者は、ヤスオ一人だ。
窓から夜となれば活気づく店舗が点す数々の照明が見通せた。
「おつかれさまです」
労いは声だけでなく、コップもまた差し出されてきた。
一旦モニターから目を離したヤスオは「すすすみません」と恐縮して受け取る。
ブラックで良かったですよね、と確認してくるプロジェクトリーダーだ。自分とは真逆のオーラを持つ人物と評価している
だ、大丈夫です、と答えるヤスオは内心で感心している。いつも自分が社内で口にする嗜好飲料はブラックコーヒー一択だ。この世で最も好む飲み物は煎茶だが、その分だけ味にうるさい。少なくとも家で淹れた以外のお茶を自ら求めはしない。
実はとても拘りを持っているヤスオなのだが、存在が薄いというか関心が持たれない立ち位置にある。そんな自分の好みまで把握している。上で引っ張っていく者は大変だと、さすが片桐修一だと思うわけである。
「加入していただいた有り難みを思い知った身としては当然です」
と、ユーモア混じりで持ち上げてもくれる。
ヤスオとしては恐縮の至りであった。
「いえ、こちらこそ昼間に抜け出させてもらってますので。ただの穴埋めで遅くなっているだけなので、片桐さんに気を遣ってもらっては申し訳ないですよ」
「こちらこそ、そんなに恐縮しないでください。一緒にやってくれるようになっただけでも本当に有り難いと思っていますから」
ずいぶん念を押してくる片桐だ。
謙遜ではなく真剣に自分を必要としてくれた気持ちがわからないヤスオだから尋ねる。
「自分なんかがいなくても、そう変わらないと思いますけど」
「いえいえ、ベテランのプログラマーは必須ですよ。加えてコミュニケーションが取れる相手となると、そうはいない」
むむむ? と唸るヤスオの頭には疑問が占めていく。
自分が、この安田ヤスオが他人とコミュニケーションできている? とてもとても信じられない。
軽く笑う片桐はヤスオの心情を汲み取れたのだろう。なんだかんだ同じ職場としてきた期間は長い。
例えば派遣で来ていた
ただでさえ社内の人間関係に薄いヤスオである。年単位の契約であっても別離は確約されている派遣社員であれば、思い出が残るほどの接触は皆無に近い。
ただ朋橋はいなくなってからの期間が開いてないせいと印象的な態度もあって記憶に残っているほうだ。
プログラマーとしての腕はあった。挨拶もしっかりしており、ヤスオと同年代だけあって社会的常識は身に付けている。と、当初の印象は良かった。だからこそ悪目立ちするようになってしまう。
慣れてくるに従って、他の、特に同業務に携わる者を見下すようになる。特に正社員には厳しく、どうして自分より出来ない者が良い身分にあるのか、とする愚痴を吐き出すようになったらしい。
らしいとしたのは、ヤスオは直接には耳にしていないからである。呑み会よりゲームとするから、仕事が終われば自宅へ一目散する。余程でなければ、帰りに付き合うはない。
片桐を筆頭例として、プロジェクトの立ち上げ指揮する者は人付き合いをおざなりは出来ない。言い方は悪いものの、派遣としてくる者は良い駒だ。期間限定であれば後腐れない関係で終始しやすいし、社員として採用になればなったで今後の付き合いで役に立ってくれる。けっこう仕事中は大事にしている。
朋橋は勘違いしてしまったか、それとも元々が問題を起こしやすい性質だったか。
「朋橋さんの後半は大変でしたよ。プログラム上の修正点について話し合いたいだけなのに、初めから聞く耳を持ってくれなくて。終いには年齢のことを持ち出されて、年上に対する態度がなってないとか始められた時は参りました」
珍しく遠い目を見せる片桐だ。本当に大変だったのだろう。
ヤスオだって職場に馴れ出した朋橋に思うことがある態度を取られた。裏で何を言われているか、大体は想像がつく。けれども無理に気を遣わなければならない立場でもなかったから、流せた。要は自分の気の持ちようで収められる程度の関係だった。
片桐の位置では、そうもいかなかったのだろう。なれば面倒を押し付けていた分くらいは彼の力になろうと張り切れる。
「やっぱり自分の仕事には安田さんが必要です。今回だけでなく、今後もお願いします」
たぶんおべっかもあるだろう、とヤスオはそう自身へ言い聞かせれば聞かせるほどだ。活力とするくらい喜ぶ気持ちもまた強く生まれてくる。頼まれれば反射的に濁してしまうこれまでと違って、「自分なんかで良ければ……」と色良い返事すら出来ていた。
「安田さん、今日のところはあまり無理しないでください。具合の悪いお知り合いの様子も気になるでしょう?」
「そこは別の人間に様子を見てもらうよう頼んでありますから、大丈夫です」
「頼りになる友人がいないと一人暮らしも大変なのは、自分もそうなのでよくわかります」
片桐が理解を示してくれて、ヤスオはとても有り難い。
だからというわけではないが、もう少し遅れた分は取り戻していきたい。
ではお先に、とする片桐へ快く送り出せるようヤスオなりに愛想を振り撒いた。凄くかわいい娘がいる場所を知っていますので今度一緒に、と出ていく間際にされた誘いには苦笑するばかりで返事は挙げられなかった。
これでヤスオは仕事へ集中とはならなかった。
入れ替わるように強敵がやってきたからだ。
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