第四話 交霊で見たもの

__イス皇国モアクイツ市ウェルミー5番通り新月の黒豹倶楽部__7月21日午後



 ジュジュはブリキ缶の粉末キノコをグラスに分け入れ、そこにココアパウダー入りの甘いミルクを注いでマドラーで撹拌し、最後にドバッと豪快にブランデーを投入した。オトが「うえっ」と顔をしかめたけれど、ほとんどキノコの香りはせず、むしろチョコレートボンボンみたいでおいしそうだ。


「乾杯」


 グラスをカチンと鳴らして口をつけた。味は想像通りで、舌に残るザラつきが少し気になる程度。ジュジュはあっという間に飲み干すと、グラスの底に残っていた粉をブランデーですすいで一滴残らず喉に流し込んだ。こんな飲み方をしていたら喉がガサガサに荒れてしまいそうだけど、イモゥトゥだからそんなことはないのだろう。

 

「よくそんなの飲めるね」


 空っぽになったスキレットを睨んで眉をひそめるオトはどうやらブランデーが好きではないようだが、それが少年らしい見た目にぴったり合っていて、なんだかおかしかった。ジュジュはそれを横目に椅子から立ち上がり、寛いだ様子でベッドに腰を下ろす。


「たぶん十五分から二十分くらいで効き始めるから、それまでルーカス・サザランの話を聞かせてくれる? 姿絵がないからなるべく多くの情報が必要だわ。どんな顔で、どんな服を着て、どんな家に住んでいたのか」


 わたしはイモゥトゥの血液の使い道が気になっていたけれど、それは交霊のあとで考えることにし、ジュジュの望み通りルーカスについて話すことにした。自分があの夜のことを冷静に振り返れるかどうか、確認したかったのかもしれない。


「ルーカス・サザランは――、金髪に琥珀色の瞳。前髪は長めで目にかかってる。目尻が下がり気味だから印象は柔らかくて、肌は色白。鼻筋の通った美青年よ。一般的なヨスニル男性に比べると小柄だけど、西クローナは比較的小柄な人が多いから、ロアナでは普通か平均より高い方かもしれない。

 喉が弱いからと言って、必ずスカーフを巻いてたわ。あの夜に初めて彼の首をまともに見たの。殺すと決めたら隠す必要はなくなったんでしょうね。ヨスニルで流行っているシンプルな折襟のシャツを着て、くっきりとした喉仏の横にホクロがあったわ。ふたつに見えたけど、意識が朦朧としてたから、もしかしたらひとつだったかもしれない」


「ふたつよ」とジュジュが見てきたように断定した。


「スカーフで隠してたってことは特徴的なホクロってこと。だから絶対ひとつじゃなくてふたつだわ。ところで、ちょっと気になることがあるの。ルーカスには使用人がいたんでしょう? 使用人にも顔を見せてた?」


 ジュジュに言われてハッとした。


「いたわ。ロブという名前の若い使用人だけど、ルーカスは彼の前でも顔を隠していなかった。それなのに、どうして交霊ではロブ視点の記憶を見なかったのかしら?」


「ロブが極度の近眼だったり色覚異常があったりしたら、そういうこともあり得るわ。見かけで同一人物と判定するのが難しくなるから」


「そう言えば、オールソン卿は研究所で眼鏡をかけていたわ。普段は外しているようだけど時どき目をすがめていたし、視力は良くないと思う。ルーカスを紹介された時、彼は眼鏡をかけていなかったはずよ」


「意図的かどうか微妙なところね」とジュジュは思案顔で腕を組む。

 

「でも、思い当たるのはオールソン卿だけ。ロブが近眼だったとは思えないわ。彼は眼鏡をかけなくても問題なくあの家の家事をこなしていたし、料理の腕前もかなりのものだった。色覚異常の可能性は否定できないけれど、もしそうだったとしてもあの家にはもう一人同居人がいたのよ。ロブと子ども、二人ともが色覚異常だったとは考えにくいし、何かもっと違う方法で交霊を回避していたんじゃないかしら」

 

 わたしはテーブルに頬杖をつき、ジュジュはベッドにゴロンと仰向けに寝そべった。頭の中がふわふわとして、ブランデーなのか幻覚キノコなのかわからないけど、少しずつ効果が現れているようだ。


「ねえ、二人とも。答えはあんがい簡単なことかもしれないよ。目を伏せていればロブの記憶にご主人様の姿は残らないし、使用人が雇用主を直視しなくても不自然じゃないと思わない?」


 オトはちょっと得意げな顔でグラスに口をつけた。中身はブランデーも幻覚キノコも入っていないただのココア。


「あり得るわね。その子どもだって、同じ家にいても顔を合わせなければ済む話だもの」


 ジュジュの頬はほんのりと赤味を帯びていた。暑気を逃がすようにブラウスの胸元をつまんでパタパタと扇ぎ、ベッドの上でスカートの裾を乱れさせた妙齢の女性は、いかにもウェルミー五番通りの店主。


 アカツキがこの光景を目にしたらどんな反応をするのだろう――ふと、そんな疑問が頭をかすめた。彼本人やそのまわりの話を聞く限り、過去には恋人もいたようだし、女性をまったく知らないというわけでもなさそうだった。研究所内では無遠慮にからかってきても、たまに一緒に街に出たときには慣れた様子でエスコートし、それがいかにも貴族という感じではなく、わたしの求める最低限のものだったのが彼らしい気遣いだった。


「そろそろね」と、ジュジュがふにゃふにゃした口調で言う。


「ジュジュは交霊のときに口述する癖はある? 研究所のイモゥトゥはみんなそうだったけど」


「治したわ。酒に酔っ払ってうっかり交霊状態になって、いきなり変なこと喋り始めたら怪しいじゃない。こういう商売してたら酒飲まないわけにはいかないしぃ、あー……、また後で話すわ」


 ジュジュは陽光を避けるように背を向け、ふっと明かりが落ちたのはオトが鎧戸を閉めたようだった。頭の片隅でそれを意識しながら、わたしが見ているのは幾重にも重なったここではない・・・・・・別の景色。どれもぼんやりして焦点が合わないけれど、見覚えのある濃いブラウンの髪に意識が向いた。


『自殺のはずありません!』


 突然聞こえたのはアカツキの声。眼鏡をかけたように視界が一気に鮮やかになり、酷く焦った様子のアカツキ・ケイが、交霊の視点人物に迫っている。窓の外にはチェレスタ七番通りの行きつけカフェが見え、彼の背後を行き来するのは警官ばかり。場所はおそらくソトラッカ市警のようだ。


『ケイ卿』


 中年男性らしい視点人物はアカツキに向かって申し訳なさそうな声で呼びかけ、小さくため息をついた。


『落ち着いてください。事故か自殺、どちらの可能性もあると申し上げただけで、自殺と断定したわけではありません。まあ、エイツ男爵のご令嬢ですから、事故として処理することになると思いますがね』


『……嘘だ』


 アカツキは両手で顔を覆い、声を震わせた。その姿を見ていられず、わたしは無意識に「他には?」とつぶやいていた。視界がぼやけたかと思うと、またすぐにアカツキの姿が現れる。彼はソファに体を埋めて煙草をふかし、テーブルにはグラスがふたつと白ワインのボトルが置かれていた。


『セラフィは恋人のところ?』


 この呼び方をするのは、かつてわたしの婿候補に名前があがったレナード・ウィルビー。アカツキは返事をせず、こちらを一瞥して肩をすくめる。すると、レナードがククッとおかしそうに笑った。


『セラフィのことは心配しなくても大丈夫さ。ロアナ出身でサザラン伯爵家と言われたら、おまえだって興味を持つだろう? 会ったことはないからどんなやつか知らないけど、セラフィにとっては恋愛対象というより研究対象なんじゃないか?』


『たしかに恋愛感情があるようには見えないし、義務感で会いに行ってるように感じることもある。それが心配なんだ。結婚の話が出たらセラフィアが同情心でそれを受け入れるような気がして』


『結婚に関しては、家が絡むせいかセラフィは自分の考えをあまり主張しないよね。ぼくらとセラフィの結婚話が持ち上がったときも、家のために我慢しなきゃって思ってたんだろうな。あのときどちらかが承諾してセラフィアと結婚してたらどうなってたと思う?』


『その話はエイツ男爵としたよ。男爵はセラフィアのためを思って婿を探そうとしたわけだけど、研究とエイツ家の後継者の妻を両立するのは難しい。男爵は新貴族な上に夫人を早くに亡くされてるから、ご婦人たちが集まる社交の場をあまり重要視してなかったようだ。でも、ああいう場は半ば強制的に引っ張り出されるものだしね。

 おれがそういう類の説明をしたら、男爵はあっさり結婚話を取り下げたんだ。おれの方も縁談を断りたくてそんな話をしたもんだから、逆に申し訳なくなったよ』


『へえ、そういう経緯があったなんて知らなかった。エイツ男爵は良い父親だね』


『そう思うよ。クゥヤも良くしてもらってる』


『アカツキ、後悔してるんじゃないか? セラフィと結婚しておけば良かったって』


『おれにエイツ家の事業を任せるのは無謀だろう? それに、セラフィアとは研究所で知り合ったから今の関係を築けたんだ。あのとき結婚したとしても、うまくやっていけたとは思えない』


『今ならいいんじゃないか? エイツ家はクゥヤに任せて、おまえとセラフィは夫婦仲良くイモゥトゥ研究に勤しめばいいだろう?』


『何言ってるんだ。セラフィアが今誰と会ってるか知ってるだろう?』


『知ってるさ。研究対象のサザラン君だろう? 君が話を聞きたいと打診しても断るくせに、セラフィならいつでも大歓迎の人見知りで病弱な青年』


 レナードの言い方がおかしかったのかアカツキはフッと頬を緩め、唇の端から紫煙がこぼれた。


 この同僚に、ルーカスの家に行って一緒に話を聞かないかと提案したのはわたしだ。ルーカスと恋人関係になる前のことで、アカツキはロアナ王国に興味があったし、ルーカスも友人が増えれば喜ぶだろうと考えたのだ。けれど、ルーカスはわたしが友人を伴って訪問することに乗り気でなかった。「人が多いと疲れるから」とやんわり断られ、その後も何度か打診してみたけれど答えはいつも同じだった。


『セラフィアお嬢さま』


 一段低い場所でアカツキがニヤニヤ笑っていた。視点人物は馬車から降りるところで、差し出された手をパシッと叩いてから「そういう呼び方やめてよね」と文句を言った。これは、わたしの記憶だ。


 このあと彼の手を借りてステップに足をかけたはずだけど、交霊で体感できるのは視覚と聴覚だけ。過去に巻き戻ったように景色は変わっていくのに、アカツキの手の感触はここにはなかった。わたしはセラフィア・エイツではなく、その記憶をのぞき見ているイモゥトゥのユーフェミア・アッシュフィールドだから。そう自覚した瞬間、アカツキの悪戯っぽい笑みはサーッと消えてしまった。


 オトの顔が間近にあり、驚いて身を引くと「おかえり」と彼は笑う。なぜか急に気持ちが緩んで、ポロポロと涙がこぼれてきた。


「ねえ、オト。ダーシャってこんなに泣き虫だったの?」


「泣き虫なのはダーシャじゃなくてセラフィアじゃない? 色々あって情緒不安定になってるんだよ」


「でも、セラフィアは人前で泣いたりしなかった」


「セラフィアは悲しいことも辛いことも我慢してたんだね。でも、この体の涙腺はそれに耐えられないんだよ」


 オトは子ども相手にするように、ポンポンとわたしの頭を優しく叩いた。タオルはいつの間にか片付けられて、気候がカラッとしているからか、髪はもうほとんど乾いている。


「そういえば、ジュジュは?」


 もう一人の交霊者に目をやろうとしたとき、後ろからギュッと抱きしめられた。その柔らかさと甘い香りでジュジュ本人だとわかる。


「ジュジュ、何か見えた?」


「セラフィア・エイツの死に際。やっぱりホクロはふたつで間違いなかった。わたしが見たのはそれくらいだわ。ロブに意識を向けてみたんだけど、たぶんロブも対策をしてるんでしょうね。うまく見られなかった」


 ごめんね、とジュジュが耳元で囁いた。あの夜の苦しみがわたし一人のものではなくなったようで、少しだけ救われた気がした。


 オトが鎧戸を開けると、東向きの窓から午後の陽光がやわらかく差し込んでくる。朝食のときと同じ席に落ち着くと、二人は気遣うような眼差しでわたしの顔をのぞきこんだ。


「何を見たのか話せる?」


「別に、泣いてもいいよ」


「……わたし、やっぱり死んだみたい」


 窓の外を過った鳥影が蒼穹へと吸い込まれ、喪失感と解放感が体を突き抜けた。


「同僚がソトラッカ市警にいるところを見たの。そこにわたしの遺体が保管されてるのかもしれない。警官が、エイツ男爵の令嬢は自殺か事故だって言ってたわ。死因はわからないけど、ルーカスがうまく偽装したみたい」


「自殺ねえ」


 ジュジュは頬杖をつくと、幻覚キノコとブランデーの残滓を払うように首を振った。


「自殺と明言していないのなら、遺書があったわけではなさそうよね。でも、事故死と断定するには違和感があるってこと。そして、殺人を疑ってはいない」


「ねえ、ジュジュ。ヨスニルまでの旅費を借りられないかしら。殺されたのに、自殺や事故で片付けられるなんて納得できない。借りたお金はちゃんと返すから」


 ジュジュとオトはちらと視線を交わし、ウェルミー五番通りの住人らしい企むような笑みを口元に浮かべた。


「返さなくていいわ。ヨスニルまでの旅費は準備してあげるし、向こうに着いてからの宿泊代も出す。ツリズ通りの黒豹倶楽部に泊まってもいいわ。その代わり、ソトラッカ研究所のことを教えてくれない? できれば伝手も欲しいんだけど」


 悪くない取引だった。ユフィに憑依して研究員ではなくなってしまったけれど、イモゥトゥ相手なら情報共有はむしろ積極的にすべきだし、それに伝手を作るのも案外簡単にできそうだ。何と言っても今のわたしはイモゥトゥだから。


「いいわ。わたしが研究所に保護してもらう」


 二人にとっては予想外の返事だったらしく、言葉もなく呆然とわたしを見ている。


「何を驚いてるの? わたしが研究所に入れば伝手ができたも同然でしょう?」


「でも……」


 オトが言いづらそうに目を泳がせたのは、研究所に対する警戒心の表れに違いなかった。


「心配しないで。イモゥトゥと認定されても強制的に施設内に監禁されるわけじゃないの。基本的には自由行動だし、外出もできる。本人が希望するなら研究所の外で暮らすことも可能よ。今のところ、まだ希望者はいないけどね。

 研究所の保護を受けるにあたって、イモゥトゥがやらなきゃいけないことといえば定期的な身体検査。あとは血液や皮膚片を採取するくらいで、それ以外の研究協力は本人の了承を得ない限りしないわ。お酒が飲みたくて『飲酒時の反応をみる実験しませんか』って言ってくるイモゥトゥがいたくらいよ。手紙の内容を検分されることもないから、外部と連絡をとるのも問題ない。それに、研究所のイモゥトゥや同僚がどうしてるのか、わたしが知りたいの」


「そっか」


 ジュジュはどこか拍子抜けしたような声を出した。


「ソトラッカ研究所がイモゥトゥのシェルターっていうのは事実だったわけね。一番知りたいのはそこだったから、ユフィがそうしたいなら止めないわ」


 こうしてわたしのヨスニル行きは決まったのだった。


 すぐにでも出発したいところだけれど、ユーフェミア・アッシュフィールドの旅券を偽造するのに時間がかかり、旅行カバンを手に新月の黒豹倶楽部を出たのは夾竹桃祭りの日から二週間近く経過したクローナ歴五五五年八月二日。ウェルミー五番通りを馬車で行くわたしの向かいには、オト改め〈オト・アッシュフィールド〉の姿があった。

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