第五章

第十四話 潜入

 夜が明け、B班全員とマイアは港区に向かった。

 港の埠頭には、貨物船など多くの船が停泊しており、その内の一隻に七霊夢アイランドへの直行便となる専用客船が用意されていた。豪華なクルーズ船とまではいかないが、三百人はゆうに乗船できそうな大型船である。

 早朝にもかかわらず、埠頭には旅行客で溢れかえっていた。様々な客層が期待に胸を躍らせ、今か今かと島への出発を心待ちにしているようだった。

 乗船も始まり、長蛇の列が次第に出来上がる。B班一行もそれに倣い、紛れ込んで進んでいく。

 今回はレアも同行することになった。

 というのも運営側のセキュリティチェックがかなり厳しく、こちらの潜入を気取られないようにする必要があった。彼女のクラック技術で身分を架空のものとすり替え、スタッフによるチェックも彼女の小型端末から機材にクラック。容易に乗り込むことに成功した。

 これだけ客がいれば時間がかかるのか、発進のアナウンスが流れる頃には三十分が経過していた。船が大きく揺れ、満席となった船内がどっと湧く。一時間超の長い船旅である。

 B班は男女に分かれ、それぞれの客室で到着までの時間を自由に過ごすことになった。男性陣とレアはなんだかんだと船旅にテンションが上がっているのか、プロムナードデッキに行ったようだ。

 一方で、女性陣の客室では。

 初めての海に緊張するマイアを気遣い、ユリカとアイサが寄り添っていた。


「前から思ってたんだけどさ、ほんっとマイアちゃんの髪って綺麗だよねー。羨まし~」

「そ、そうでしょうか……」

「ええ、とっても。どんな絹織物にも負けない手触りですよ」


 姿見鏡の前に座るマイアを挟んで、アイサとユリカが彼女の銀髪を丁寧に梳いていた。腰までの流れるような髪の毛に櫛が通る度に、心地いい音色が流れる。


「でも、お二人の方がもっと綺麗です。美人だし……」

「ありゃ、うれしいことを。でもね、そんなお世辞要らないからね。むしろ、お姉ちゃんって呼んで!」

「ふふっ、アイサちゃんったら」

「でも、お二人も戦ったりするんですよね? 怪我だってするだろうし、なのにお肌もすごく艶やかだし……」

「まぁ、そこは精保の最先端技術のおかげだから。じゃなかったら、アタシらどんだけボロボロか……」


 苦笑混じりにアイサは嘆息。マイアにとってはアイサが一番年齢が近い。直に戦う姿は見たことないものの、そこまで年が違わない彼女たちがインジェクターとして日夜身体を張ることに驚きを隠せなかった。

 だからか、マイアは違う意味で身体が硬くなってしばらく彼女たちのなすがままにされていた。そうして、アイサとユリカは手際よく左右それぞれで結って、マイアが痛くないよう自然と髪の毛を下ろした。


「出来上がり~。はい、かわいい~」

「あ、ありがとうございます……」


 鏡に映るツーサイドアップの自分を見て、頬を赤くしてうつむくマイア。おしゃれなど生まれてからしたことがなかったから、どう反応していいのか分からない。そんな初々しい反応が嬉しいのか、ユリカとアイサはお互いを見合って微笑んでいる。


「にしても男どもは薄情だね~。レアさんもさー。マイアちゃんを放っておいてバカンスを楽しんじゃって。いや、バカンスじゃないけどさ」

「本番はこれからですからね。今は穏やかに過ごしてるだけで、ちゃんと心の底では仕事のことを考えてますよ」

「いつものことと言えばいつものこと、か。B班らしいかもね。ね、マイアちゃん。私たちも外に出てみよっか?」


 自分の変化が新鮮なあまり、鏡に映る自分を見ていたマイアは急に話を振られてハッとしてしまう。「えっと……」と視線を彷徨わせ、マイアは軽く首を横に振った。


「いえ、その……私は遠慮します」

「ありゃ、ごめん。まだ気分が落ち着かない? それとも船酔いしちゃったかな?」

「そうじゃないんです。そうじゃなくって……」

「ん?」

「これからのことを……考えると、少し怖くて……」


 結ってもらった髪を指先で触りながらマイアはうつむく。何度も何度も。自分を落ち着かせるように。


「マイアちゃん……」


 ユリカがマイアの頭を優しく撫でる。事件の中心にいる彼女が自ら鉄火場に飛び込もうというのだ。ナーバスになってもおかしくない。


「でも、帰る気はないんだよね?」

「……はい」


 今度は力強く頷くマイア。瞳の輝きは強い。

 二人には頑固な性格に映っているだろうか。そんな性格では決してない。マイアを突き動かしているのは、あの声。同じように苦しんでいる子供たちがあの島に囚われている。そう思えば、東京で自分だけが精保に匿われているわけにはいかないのだ。


「ほんっと、レイジに似てるわ。そういうとこ」

「そ、そうでしょうか」


 呆れながらアイサは放った言葉に、ユリカも苦笑を漏らす。


「ん? どうかした、マイアちゃん?」


 ふと表情に影を落としたマイアに、アイサが心配そうにのぞき込む。


「あっと、その……」


 言い淀むマイア。逡巡し、意を決してマイアは口を開いた。


「すごい言い辛いんですけど、織笠さんって変ですよね」

「へ、変? レイジが?」

「どういうことでしょう?」


 マイアにとって織笠という存在は、非常に形容しがたい存在だった。

 親切にしてくれる人。親身になっているのは事件の被害者であり、自分がまだ子どもだから。あくまでそれだけ。優しく温かい男性だが、家族ではない。自分に兄がいればこんな感じなのだろうか、と思う部分はあるのだが、お互いにまだ他人行儀なためにいまいち関係性を踏み込めないでいる。


「昨晩なんですけど、あの人、部屋で自分しかいないのに大きな独り言を言っていたんです」

「独り言……」

「夜中に目が覚めちゃって。それでたまたまあの人の部屋の前を通ったら声がして。そっと覗いたら、電気も消したままずっとブツブツと……。それが何かを確認しているわけでもなくて、まるで誰かと会話しているような感じで……」

「あ……」

「あの人って、いつもああなんですか?」


 マイアの疑問に、アイサとユリカは顔を見合わせた。どこか思い当たる節があるのか、困ったような表情を浮かべる二人の顔を交互に見てマイアは眉根を寄せた。


「何か知っているんですか?」

「そっか……。マイアちゃん、見ちゃったんだね……」

「え?」

「アイサちゃん、それは――」

「うん。本当は本人の口から聞くべきこと、なんだろうけどね……」


 軽く諌めるような声色でユリカが言うと、アイサはこめかみ辺りを掻いた。奥歯に物が挟まったように言いよどむ二人。あの純朴な青年には何か得体の知れない秘密があるのだろうか。


「口止めはされてないけど、きっとこれはマイアちゃんも知っとくべきこと、なのかな……」

「何ですか、私にも関係あるんですか?」

「う~ん……」

「教えて下さい」


 そこまで言われてしまうと、尚更気になってしまう。迷っているアイサの腕を強く掴んで、マイアは彼女に詰め寄った。


「落ち着いて下さい、マイアちゃん」


 ユリカがマイアの手をそっと包み込む。細くひんやりとした細い指先は、マイアの急激に上がった熱を冷ましていくようだった。ハッと冷静になったマイアは、アイサに謝って慌てて手を離した。


「あのね、マイアちゃん」

「は、はい……」


 さながら、親が子を諭すように。アイサはマイアの瞳をじっと見据えて、静かに言った。


「レイジはね。きっとリーシャ姉の幻影を視ているんだと思う」

「リーシャ、姉……?」


 初めて聞く名前だった。来日して日の浅いマイアには、こちらの世界の知り合いなんてB班の面々とレアぐらいしかいない。知らなくて当然なのだが、姉というからには織笠の姉弟かなにかだろうかと妙な想像をしてしまう。


「白袖・リーシャ・ケイオス。昔、私らB班のメンバーだったんだ。それが、ある時を境に、犯罪者になってしまったんだ」

「えっと……、どうしてそんな……」

「理由はリーシャ姉の境遇にあるんだけどね。前・陽のマスターに恨みを持つあの人は精保を離反。消息を絶ち、復讐するための準備を周到に進めていた。そして憎悪の権化となって、この国全てを破壊しようとした」


 アイサの淡々とした説明に、呆然とするマイア。

 まるでおとぎ話のような出来事だ。幼い少女には理解不能だし、それが実際に起きていたなんて信じられなかった。

 ただ、彼女も事件の被害者として精霊使いが悪事を働くことの不条理さは身に染みている。

 そう、この国は便

 精霊使いにも感情や理性がある。誰しもが平穏でいられるわけではない。向こうの世界でもある魂の軋轢が、こちらでは殊更、強まってしまう。


「そこに、レイジさんが関わってくるのです」


 沈んだ声で、ユリカが付け足す。そして、まるで自分のことのように苦しそうに顔を歪めて、言葉を吐き出した。


「レイジさんは……世にもおぞましい人体実験の犠牲者でした」

「じ、人体実験?」

「マイアちゃんも、二属性持ちの精霊使いが存在するのは知っていますよね?」

「は、はい。ただ、すごく珍しくて数は少ないとか……」

「そう。そんな稀有な精霊使いを意図的に生み出す――レイジさんは、数々の犠牲者の上にようやく成功した唯一の生命体だったのです」


 その意味を徐々に理解するごとに、マイアの瞳はじわじわと大きく見開かれていく。


「大元になった遺伝子が、リーシャ姉のお母さん。そもそもそんな非道な実験を企てたのが元・陽のマスター。そして、その因果によって生まれた人造精霊使いが、織笠零治という個体。半年前のあの事件は全てそこから始まった」


 肩の力を抜くように、アイサが深く長い息を吐き出した。

 東京全土を巻き込んだ『伊邪那美の継承者』事件。簡単にではあるが、そんな説明だけでも、おぞましくて全身が震えてしまう。


「そんな……」


 呻くように、言葉をようやく絞り出す。


「その事実を知って、レイジさんはどうしようもなく打ちひしがれてしまった。生きる気力を失うほどに」

「それから……どうなったんですか?」

「絶望しながら、レイジはある決断をしたんだ」


 アイサが窓に近付き、物憂げな瞳を大海原に投げる。彼女自身、口をするにも躊躇っているのか。壁にもたれたアイサは、マイアをじっと見つめポツリと言った。


「リーシャ姉を殺して、自分も死のうとしたんだ」

「…………!?」


 絶句するマイア。


「そんな、でも……」

「そう、レイジは生きてる。刺し違える覚悟でレイジは挑んだけど、リーシャ姉の方がそうさせなかった。レイジに殺されるシナリオをリーシャ姉は選んだんだ。そうすることで精霊使いの悪しき歴史を絶やさないように、とね」

「あの実験は負の遺産。ああいった闇が、まだ隠れているかもしれない。だからレイジさんは自らを楔とするしかなかった」


 ユリカが歯噛みしながら自分の肩を強く握る。

 織笠零治は、精霊使いの生きる戒め。正義のために存在すると表現するには生ぬるく、また少し違う。悪しき者のための予防線、そして特殊な精霊社会の生贄だ。


「だからきっと、レイジの中ではまだリーシャ姉が生きてる。比喩なんかじゃなく、それがアイツの前に幻影となって現れているんだと思う」


 自分の常に傍らにいた青年の真実。

 マイアはこちらの世界でいきなりスラム地区に飛ばされ、そこで絶望を経験したが、織笠の場合はそれよりも酷い。未だ地獄にいながら抜け出せないでいるのだ。死ぬことを許されなかった彼は、どんな気持ちで生きているのだろうか。


「私には……よく分かりません」


 そんな陳腐な返答しか、もうマイアには出来なかった。


「ホントだよね~。マイアちゃんも、もし機会があったらアイツに言ってやってよ。“このバカ”ってさ」


 十二歳の少女にはあまりに重すぎる話に、アイサは苦笑して精一杯茶化した。

 B班の面々も、あの事件からようやく踏ん切りがついたところなのだ。代え難い経験を糧に、今後どう生かすのか――彼等はそれぞれの思いを胸にインジェクターという職務に向き合っている。


「…………」


 一方、マイアは呆然とうつむいたまま、それから喋らなくなってしまった。やはり刺激が強かったかと、アイサとユリカはバツの悪そうな顔を浮かべてマイアに寄り添う。

 短いはずのクルーズが、あまりに長く感じられるほどにゆっくりと時間は流れていく。






 船から降りた一行は、入場手続きを済ませアイランド内に踏み入れた。

 精霊によって造られた疑似太陽が鮮やかな青空に浮かんでいる。年中温暖な気候を維持させることによって、南国のような気分を味わえる。真っ先に飛び込んできたのは視界を覆いつくす一面のビーチだ。色とりどりのパラソルが砂浜に花を咲かせ、水着姿で遊ぶ観光客が賑わいを見せていた。

 そんな楽しげな人々を横目に、一行は最寄りのホテルへチェックイン。部屋に入り、改めて作戦会議を行う。


「こうして直に見ると、本当にリゾート地って感じですね。人気が出るのも分かります」


 生まれてこのかた東京を離れたことのない織笠が率直な感想を言う。高層階から見える景色に目を奪われて、自然と笑みがこぼれる。


「百年以上前には海外旅行なんてものもあったらしくてな。日本が滅んでからはそんな余裕もなくなったが」


 カイがワイシャツの襟をばたつかせて風を送る。いつも毅然とスーツを着こなす彼でもこの暑さは堪えるのだろう。

 オフィシャルサイトによれば、七霊夢アイランドは正に旧時代の南国を参考に設計されているらしい。といっても、そこからさらにテーマパークや水族館や映画館などの諸々の娯楽施設を詰め込んだごった煮の島国は、歴史から見ても初だろう。


「それがいまや精霊使い限定にしろ、心を癒せるような有意義な時間が出来る時代になったってことか」


 織笠と同じように窓から外を眺めるキョウヤがしみじみと言う。


「これで仄暗い裏事情がなければ、どんだけ素晴らしいか」

「こんな保養施設を考えるような人間と、さらわれた児童たちとの関係性……。気になりますね」


 織笠の呟きに、カイは軽く頷いた。


「簡単に整理しよう。俺たちのすべきことは二つ。誘拐された児童を見つけるのと煉原の拘束だ。それぞれ班を分けるぞ」

「あの~、それってまさか部屋割りに関係してます?」


 何か気付いたのか、アイサが控えめに挙手。

 予約したのは二部屋。割り当ては、織笠・レア・マイア組みとカイ・キョウヤ・ユリカ・アイサ組みだ。決めたのは当然レアである。


「大所帯で動いて相手に気取られるわけにはいかんからな。調査に合わせる形で予約した。お前らは仲のいい友人グループ、私たちは家族旅行として来島した具合にな」

「なんか、それ……私情入ってません?」

「まさか。いやぁ~、上手いこと二つ部屋が取れて良かった、良かった」


 半眼で睨むアイサにどこ吹く風で、レアは自前のPCを机に開く。彼女程の腕前なら、ホテルのネットワークの全権を掌握できるはずだがいまさら細かい部分を追求しても仕方がない。少し不満げなアイサとユリカは置いて、レアはキーボードを操作する。


「煉原がいるとすればここ、島の北に位置する一際高いビルだろうな。まぁ、オーナーズビルというやつだ。そこで運営を管理している」


 島全体の見取り図を空間に投影。全員が注目する。一般公開されていない各セクションの名称まで明らかにしていく。

 島の構造としては、大まかに三つに分かれていた。

 現在自分たちのいるホテル街からビーチ、ショッピングモールのある商業エリア。

 島の中央に広がる、遊園地や水族館といったアミューズメントエリア。

 そして、島の奥にある電力や水力といった島の維持に関係する集中管理エリアだ。


「集中管理エリアは一般人立ち入り禁止区域。警備も厳重なはずだ。俺たちが今ここにいるのが向こうに知られているかは定かじゃないが、剣崎が捕まったこととレイジと交戦した男が煉原に関係するのを含めればより警戒も強くなっているに違いない」

「じゃあ、誘拐された子供たちもそこに?」

「可能性は高い。ただ、この広大な敷地を闇雲に捜索するのも非効率だ」


 島の重要区画だけでなく、各エリアの隅々に網の目のような監視カメラが配備されており、死角は無いといっていい。演出として監視員すらも一般客として扮装しており、見分けがつかない状態で彼等の目をかいくぐるのは至難の業だ。どれだけ人で混雑しようとも、島を堪能することなくフラフラと嗅ぎまわる団体がいれば絶対に怪しまれるだろう。


「だから俺たちが先行して煉原に吐いてもらう方が手っ取り早いってことね」


 腕を組んで肩を竦めるキョウヤ。

 風の精霊使いは本来、戦いよりも諜報活動に適している。そういった意味では、キョウヤならば他者の機微を感じとることが可能だ。犯罪者の心理を常に探ってきた彼がいることで、上手く立ち回れるはずだ。


「まず俺たちが煉原の元に行く。レイジたちはここに待機していてくれ。煉原を拘束後、連絡する」

「分かりました」


 織笠は深く頷く。


「よし、それじゃあ取り掛かろう」


 カイの言葉に従って、キョウヤたちが部屋を続々後にする。彼等を見送って、織笠は部屋の隅でずっと不安そうなマイアの肩に手を置く。この島に到着したときからずっと元気がない彼女を安心させようと微笑むものの、自分に向ける視線がどこか痛々しく見えるのことに妙な引っ掛かりを覚えた。




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