いちばん嫌いな奴

「そんな、ミリヤラ……どこ……」


 私は禁忌であることも忘れて彼の名を何度も呼びました。

 しかし、彼は応えてくれません。


「ほう。お前ら、契約していたのか。

 このうちに宿ったあの精霊の想いが反応しているな。」


「お前、何を、言ってるんだ……」


 契約?

 ミリヤラが、私と?

 彼は絶対に嫌だと言っていた筈ですが。

 私が彼に抱いたのは愛などではなく、せいぜい思いやり、仲間意識、くらいのものです。

 そんな小さな友情の芽を愛だと判じるくらい、

 ミリヤラは優しくて、温かな───


 私の両の目から涙が溢れてきました。

 不凍の炎魔法を使っているので、涙はそのままひんやりと頬を伝っていきます。

 どうして君は、私に断りもなく、私を愛したのか。

 どうして君は、私に断りもなく、私を庇ったのか。


「返せよ、〈私〉……!

 私が共にいたいのはお前じゃない、ミリヤラだ!」


 私が叫ぶと、〈私〉はニヤリと邪悪に笑いました。


「そうか、お前には我が自分の姿に見えているのか。

 我は夜。夜は夢。自身の最も恐れ忌み嫌う者と対峙する時間。

 畢竟お前が今最も嫌悪しているのは、お前自身ということになる。」


「……悪趣味な。」


 私は強がるために吐き捨てましたが、〈私〉は気にする素振りもなく私の方に歩いてきます。

 〈私〉がこちらに一歩寄るごとに、闇のプレッシャーで心が押し潰されそうです。

 その顔が私のしないような恍惚の笑みを浮かべていたので、私は思わず目を逸らしてしまいました。


「フフ……面白い。

 我はお前と契約していた精霊を食った。

 そのせいか、お前に興味が湧いてきている。

 我と名を交換しろ、幼き美の神よ。

 我の力を求めに来たのであろう?」


 確かにその為に、極南を訪れたのですが。

 ミリヤラが、ここに連れてきたのですが。

 私がもっと強ければ、お前に頼らずとも。

 私は彼とずっと一緒にいられたのではと。


「強くなりたければ、この手を取れ。

 そうだな、契約してやってもいい。

 あの吹けば飛ぶような精霊よりも、我は役に立つぞ?」


 私を逆撫でするためだけに言っているのではないかと思うほど鼻につき、歯噛みしている自分がいました。

 しかしここで怒って破談にしてしまっては、それこそミリヤラが無駄死にになります。


「……名は、交換してやる。

 契約はお前達が勝手に決めることなのだろう。

 ミリヤラも、勝手に……私の知らない間に……。

 好きにしろ。私の役に立てば、それでいい。

 お前など……お前になど、頼ってやるものか……!」


 私の怒りが、まるで自分の栄養素だとでもいうかのように、満足そうな顔で〈私〉は頷きました。


「呼応。我の名はリン。」


「私の神名は、グラードシャイン。」


「ふむ……〈光の都〉か。我には相応しくないな。

 契約の代わりにお前の神名を奪ってしまおう。

 他の精霊と名を交わしたければ、新しい神名を授かるのだな。」


「何をする気……」


 胸ぐらを掴まれ、神の力を封じた宝玉を握られた私は、身の危険を感じ咄嗟に魔力を爆発させました。

 しかし〈私〉は人ならざる身のこなしで飛び退き、

 その手に握られた私の大切なものは、

 呆気なく握り潰され粉々になったのでした。



 あ、と声が出た、ような。

 自分の体が自分のものでない心地がして、

 指一本動かせず、その場に崩れ落ちました。

 リン。

 あまりにも暴虐な、夜の大精霊。

 そんな者の持つ名にしてはとても素朴で、

 恐らく、元は人が発する音ではなかったのでしょう。

 人の心を持たぬ古き精霊。

 そんなモノに手を出した私が愚かだったのだと思います。



「美の神!」


 突然私の周りに金色の光が満ち、

 金髪碧眼の女の精霊が薄虹色の羽で私を包みました。

 そして、私の名を呼んだのは。


「主神様……」


「お前は……! まさか、こんなところに居るとは……」


 精霊を憑依させた主神様が、私を抱きしめてくださっていました。

 嬉しいのに、誇らしいのに、堰を切った涙が止まりません。


「主神様……あいつが、あいつがミリヤラを……!」


「……主神。

 我が半身に免じて今回は見逃すが、

 その子は既に我のもの。

 その子の神名は既になし。

 、半端者の神となった。」


「神名など飾りだ、お前達の餌でしかない。

 。私の名を忘れた愚かな精霊よ。

 私達は世界に屈しない。

 自分の足で立ち、今を生きている。

 お前がそれをこの子から教わる未来がやってくると、

 私は予言してみせよう。」


 リンと主神様が、不思議な話をしています。

 私はバラバラになった心をかき集めながら、少しでもその内容を覚えているように、自分の体に祈りました。




「美の神。ほら、極北だよ。もう大丈夫。

 落ち着いて話せるか?」


 主神様に連れられて、暖かな白夜の極北に転移してきました。

 ここは、主神様の寝所、でしょうか。

 しかしその寝台に横になっているのは、本来の持ち主ではなくちっぽけな私でした。


「音楽の精霊が……ミリヤラが、夜の大精霊に会おうと極南を教えてくれて、二人でリンに挑みました。

 ミリヤラは、私の知らないところで私を愛してくれていて……契約を……でも、黙って私を庇ったんです。

 私の、せいです。ミリヤラがいなくなってしまったのは……」


 主神様は黙って私の頭を撫でながら、耳を傾けてくれています。

 それで私は存分に、ミリヤラの喪失を悲しむことが出来ました。

 彼への思いやリンへの恨み言を紡いでいる間に、私は眠ってしまったのでした。





┼ ┼ ┼ ┼ ┼ ┼


 美の神が眠りに落ちた後のこと。


┼ ┼ ┼ ┼ ┼ ┼





 眼の前の美しい子が寝入ったのを確かめて、主神は溜息をついた。


「……呼応。其ははじまりの精霊。現前せよ、リン。」


「良いのか? その子を慰めるのが先ではないのか。」


 主神の雑把な詠唱に応えて現れたのは、小さい美の神の姿をした夜の大精霊だ。


「リン、お前の本質は人の心を映す影だ。ならば、この子が最も慕う者の姿にもなれるだろう。」


「可能だが……?」


「その姿になってもらえないか。」


 リンは不思議そうに瞬きをして、それから闇の中で姿を変えた。

 現れたのは、赤髪の気さくな青年の姿をした精霊。


「……まさか、この姿で我が愛し子に接していろと?」


「いや。この子の心を確認しただけだ。」


 主神は微笑もうと口元を動かしたが、悲しみの力が目元からかかり、笑顔を作るのに失敗した。

 彼はいつもそうやって、微笑みを作れないでいる。


 彼が美の神の眠った額に手を翳す。

 ふわり、と白檀の香りが漂った、次の瞬間。


 夜の大精霊は、主神の似姿に変化していた。



「……今、何をした。

 我の姿が書き換わったことだけ覚えている。

 我は……」


「さて、ね。ああ、もう良いよ。

 私の姿で居られると面倒だ。

 この子の最も嫌う者の姿にでも───」


 主神は夜の大精霊が再び姿を変えたのを見て顔をしかめた。


「私の心を、読まないでくれるか。」


「いや? 我は愛し子の心を映しただけだが。

 そうか、貴様もこの男が嫌いなのか。」


「……嫌いだという強い思いを乗せるには、つらいことがあり過ぎた。

 本当なら顔も見たくないが、そばに居て欲しい大切な者でもある。」


 主神は美の神に向き直る。

 大切な二人の、大切な宝物に、そっと手を触れる。


「……俺の。相棒、だったんだ……。」

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