無題.2

 暑い。ただただ暑い。何もしていなくても汗が噴き出てくる。体の底からじわじわと、込み上げてくる。


 熱。体に熱がこもる。おばあちゃんの迎えの車から降りて、家に向って歩いているだけの一瞬であってさえも、異常なまでの暑さを感じてしまう。


 こういう時。果たして昔は今みたいな灼熱地獄だっただろうかと思い返すことがある。向こうの都会で生活しているときだってそうだ。


 都会ではアスファルトが悪さをしているだとか、密集した建造物の影響でマクロ視点の気流に影響を与えているから熱が都市部にこもりやすいだとか。色々とお偉い学者の人たちがデータに基づいたうえで主張している。


 化石燃料を燃やすと二酸化炭素が出るという。それが温室効果を持っているため大気は熱を宇宙に逃がしにくくなっているらしい。さらには温度上昇によってさらなる温室効果ガスなんてものが大気中に増えてしまうなんてことも言われている。


 果たして地球はどうなってしまうのだろうか。俺はそのなかでどうやって生きていけばよいのだろうか。


 色々な言説が飛び交う現代。それを技術に乗っかることで観測できるようになった人が増えてしまった現代。


 俺は何を信じて、何を信じなければいいのだろうか。そんなことを、大学生1年生ともなると、少しは考えてしまう。



「くそあつい」

「水道で頭でも濡らしてきな。ほら、こんなこと都会ではできんでしょう?」



 後ろを歩いていたおばあちゃんがそんなことを言った。指さす方向には、ちょうどグルグルに折りたたまれたホースがあった。少し青くて、日に焼けて色褪せてしまったホース。子供のころからずっと変わらない、色褪せたホース。



「おばあちゃんもする?気持ちええで」

「あほいうとれ。そんなんしたら、おばあちゃんの髪の毛はげるはげる。水流つよし、肌弱しなんやから」

「いや、もう気にしないでもいいくらい剥げてるよ、おばあちゃん」

「なにいうとんのや。これ以上、はげへんようにせなあかんのやろ」



 おばあちゃんはそう言うと、水道の蛇口をひねって、太陽で作った熱湯を吐き出してから、ホースの先を俺に向けた。


 水。どぷどぷと流れ出る水流。



「ほれ、頭出しぃ」


 

 おばあちゃんの俺への接し方は、何も昔と変わらない。少しだけ恥ずかしい気もするが、そう感じてしまうのは俺が大学生になって少しだけ大人になったから。


 この世界が変わっていくように見えるのは、自分が変わっていくから。もちろん周りも変化していく。でもその受け手の感性は年齢だったり環境だったり、周りの少しの変化であっても、影響を受けて大きな変化を遂げていく。


 今の俺はどんな存在だ。ホームシックになって、彼女と故郷を求めて、帰ってきた俺という人間はなんだ。



「うわっ……冷たっ」



『じゃばっ。じゃばっじゃぶっ。じょぼぼぼぼぼ』



 髪の毛がどんどんと水にのまれていく。それにつられて体にこもっていた熱気が随分となくなり、マシになっていくのを感じる。


 俺はそんな心地のなかで、頭をばしゃばしゃと、お風呂場にいるときのように手櫛で洗った。


 とても、故郷に戻って来た感覚になった。


「あんた、それにしても、向こうにだいぶ染まったなぁ。言葉遣いもなんか上品になってしもた」

「そうかな……」

「ほら、そこそこ。そやろか、せやろか。こっちではそう言ってたのに」

「あはは、長いものには巻かれる人間でして」

「それ、あんまり自分でいう言葉ちゃうでぇ、あんたぁ」



 おばあちゃんは、まったく変わっていない。


 俺はそう思った。今回変わってしまったのは、俺のほうだ。



 これからも、俺は向こうで向こうの人間として生きていくことになるのだろう。ここを捨てて、家族を残して。


 そして……


 君を……

 

 君を。。。



「ほれ、もう家あがりぃ」



 おばあちゃんはそう言って、ホースの先をさっきまで乗っていた軽自動車に向けて適当な洗車をした。



「車さんも水浴びせな、やってられへんやろ」

「あはは、感性が幼稚園児みたい」

「せやろぅ。こうやって老人は子供みたいになってくんや。でも案外いいもんやで。私は迷惑かけずにコロっと向こう逝けるようにするでな。心配せんといて」

「そんな死に方できる人少ないんやろな」

「せやな、まぁ。おばあちゃん、頑張るでな」




 俺はそんな感じで、おばあちゃんと久しぶりの会話をしながら、家に上がった。


 平日だからか、久しぶりだからか……


 家は昔よりも静かで埃っぽい雰囲気が漂っているような気がした。


 ギシギシと軋む床。家の急な階段。おばあちゃんはもうすでに、二階に上ることを家族会議で禁止されたとか、そんなことを車のなかで言っていた。


 久しぶりの実家。


 俺は適当なところに荷物を乱雑に置き、畳のある縁側へと向かい寝転がる。



『しゃわしゃわしゃわしゃわ……』




「セミが鳴いている。クマゼミだろうか」




『ちーん、ちーん、ちりーん』



 風の良く通る縁側に寝転がり、俺はしばらく風鈴の音色を聞きながら、涼んだ。



 故郷のとても、ゆっくりとした時間が、ただただ流れていった。




★★★★★★★★★★★★★★★★


 


「さて、そろそろ会いにいこうかな」




 夕方になった。太陽も傾き、少しだけ気温が落ち着いてきたように思える。


 セミの鳴き声もクマゼミ以外のものも混じってきた。そんな少しだけ儚げな雰囲気に包まれて、俺は外に出た。


 おばあちゃんを探したが、家にはいないようだった。おそらくだが、畑仕事にでも出かけたのだろう。



「あいつも夏休みはあるって、言ってたし、急に行って驚かしてやろう」


 保育士になると言っていた彼女はいま、専門学校に通っているらしい。詳しいことは分からないが、自宅から車で通える場所に学校があるらしかった。


 俺はそんな、気楽な気持ちで、久しぶりに会える彼女のことを考えながら坂道を歩いていった。


 海の見える坂道。


 太陽がもうすぐで夕方になろうとしている頃合い。



「あいつは、どんな顔をするだろうか」



 連絡のしばらく取れていない、俺の彼女。


 俺は努めて、気楽になろうと試みる。



『カナカナカナカナカナ……』



 ヒグラシの鳴き声に包まれて、俺は坂道を上った。


 君の家まで。


 その、足を運んでいった。



★★★★★★★★★★★★

 



「ああ、あの子。あの子はさっき磯まで行ってくるって。家を出ていったばかりなのよう」

「そうですか」

「タイミングが悪かったわねぇ。それにしても、ちょっとお。帰ってくるなら、連絡しなさいよぉ」



 ……


 ……



 彼女のお母さんに捕まった俺は、しばらく玄関で立ち話をした後に、磯へ向かった。どうやら、本当にすれ違いだったらしい。



 その頃には夕日が俺を眩しく照らしていた。



 眩しくて先が見えない。



 目を細めて、俺は歩く。あの磯まで。



「磯に行くなんて、あいつ釣りは本当に下手くそだったのに。何のために……」



 ……


 ……




『カナカナカナカナカナ……』

『カナカナカナカナカナ……』

『カナカナカナカナカナ……』

『カナカナカナカナカナ……』




 ヒグラシが鳴いている。


 ヒグラシに包まれて、俺はあのとき、高校生のときの思い出の場所まで……


 早足で歩いていった。



【続く】

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