膵臓癌ステージⅣと告知されてから~膵臓がん患者の心の動き~

うぃんこさん

日記本文

序文

この日記というか癌治療の経過を記録に残そうと思ったきっかけは、自分が膵臓がんにかかったことで、これから死を迎えるまでどんな風に癌が進行して、どの位の期間延命できるのか?抗がん剤治療や副作用がどんな風に現れるのか、痛みはどうなのか?これから先に起こる事を知りたかったからである。


インターネットや闘病記録の本など探してみたけど、自分が知りたいことってあまり情報がなかった。


だったら自分の経験を記録として残し、これから膵臓癌になって治療をされる方の参考にしてもらいたいと考えたからである。



私ががんと最初に出会ったのは、1996年5月のこと。


私が34歳で、長男がもうすぐX歳で次男がX歳の時、住民健診の超音波検査で乳癌が発見された。


検査結果は厚生連の保健師さんが、急ぎの知らせで当時の職場であるO村役場に来てくれて、「個室で話がしたい」と言われ、そこで乳がんの精密検査が必要と告げられた。


その時の気持ちはよく覚えていないがまだがんと決まったわけではないし、どこの病院がいいか相談した記憶がある。


当時、Y医大所属の乳がん専門のSF先生がN病院にいらしたので、そこで検査してもらった。


マンモグラフィーと乳房に直接針をさして、細胞を吸引。結果は早期発見で、乳腺にそってがん細胞が広がっているため、部分切除ではなくて全摘手術が必要になるとのこと。


当時はまだ若かったので、この年齢で癌になるんだということと、左胸を全部取ってしまう事への抵抗が強かった。


「旦那さんともよく相談をしてください」


とSF先生に言われ、悩んだ末全摘手術を選び、手術を6月下旬に済ませ、約1ヶ月仕事を休ませてもらった。


当時も乳房の再建術はあったが、術後改めて休みをもらわなければならないこと、医師としては経過観察には邪魔になるという意見もあって、再建術は選ばなかった。


普段の生活の中では、専用のブラジャーとパットを使えば見かけは問題ない。一番心配したのは、温泉に入った時に他の人が見て不快にならないようにしなければいけないということ。それは、タオルで胸を隠せばすむことで、湯に浸かってしまえばわからない。


当時、N病院には私の母の弟、すなわち私の叔父さんが脊椎損傷のため入院していて、母がよく病院に行っていたので、入院にあたり二人部屋を確保してくれていた。


なるべく人数が少ない方が気を使わなくていいという配慮だったのか?手術は午後だったので、手術が終わり麻酔から覚めたら6時を過ぎていただろうか。


目が覚めた時は、術後であることがすぐにはのみこめなかった。


「手術終わったんだ。」


胸の脇から出ているドレーンの痛みが一番つらかった。早く抜いてほしかったけど土日を挟んでしまい、月曜日まで抜いてもらえず、多分そんなに排出するものはなく、乾いていて痛かったのではないかな?と想像する。


摘出された腫瘍は夫が見せてもらったが、自分も見たかったな。せめて写真でもいいから。


見たくない人の方が多いのかもしれない。



入院は実質7日間だったか?(今は4日だとか)夫が子供を連れて毎日のように見舞ってくれたのを覚えている。


手術の傷を子供に見せたら怖がっていた。ごめんね、あんなものを見せて。見せるもんじゃないね。


退院日は病院近くのレストランでパスタを食べて帰った。術後は左腕を上げるリハビリテーションが必要、首を回すのも痛かったので、車の運転が大変で、体ごと左右に動かして周囲の確認をしていた。


なんだかんだ言って、その頃ゴルフにはまっていた私は、術後1ヶ月後にはコースに出ていた記憶がある。医師に聞くと、ドライバーを使わなかったらやってもいいと言われたのだが、幸い当時私は5番アイアンで第一打を打っていたので、問題にはならなかった。


胸を片方失ってつらい寂しい気持ちを癒しに、リゾナーレのプールに行って、1人黄昏れていた。その後10年間癌は再発することもなく無事完治。


実は、11年目の病院受診の予約日を忘れてしまい、自己判断で人間ドックを毎年して経過を追えばいいとしたのだった。




そして私が2回目の癌とのおつきあいを始めたのは、2021年12月13日(59歳)のことだった。


毎年行っている人間ドックの結果、超音波検査で膵管が拡張していることを指摘されたのだ。膵管が拡張しているということは、膵液がスムーズに流れることができない何かがあるから膵管が広がっていると考えられるとの説明。


指摘は『膵管軽度平滑拡張』


軽度ってあるし、どうせたいしたことないよとその時は思っていた。それでもすぐその場で人間ドックをしている厚生連の外来に膵臓専門の医師がいるという事だったので、造影CTの検査を12月17日に予約をした。大学病院だとすぐには予約が入らないと聞いた事があるから、厚生連にしてラッキー。


造影剤を入れると、体の中がとっても暖かくなってまるでおしっこを漏らしたような感覚になる、初めての経験。息を吸ったり、止めたりしてが少しだけ大変だった。


そしてびっくりしたのが、12月21日の夕方に厚生連の所長Y先生自ら電話を頂いたのだ。CTだけではわからないから、MRI検査をする必要がある。明日であれば検査をする時間が取れるとのこと。


「これは一大事だ」


と心臓がドキドキした。















12月22日にMRI検査を行い、検査結果の報告は当初1月5日であったのを、12月28日に早めてくれた。こちらの都合は関係なく……


「なあるほど、やっぱりこれは早く進めなければヤバイやつだ」


早く検査をして結果も素早く進めてくれ感謝だ。その日の帰宅途中に、膵臓がんの本とエンディングノートを購入。すっかり癌患者になりきって、覚悟を決めた。


その日の夕食時、癌の可能性が高いという話の中で、長男が「生きているうちに何をしたいか」聞いてきた。


なんか旅行くらいしか思い浮かばない。その時は、まだ行ったことがない県に行きたいと答えていた。


次男は「髪を切ってくれる人がいなくなるのが困る」と照れ隠しの反応?


本を読むと膵臓がんの生存率の低さにはさすがに驚いた。


ステージⅣで3年生存できる人が8%。


私はかなり気が早く、入院が決まったわけでもないのに、入院に必要なものを準備。


年金がもらえるのが65歳。せめて年金をもらってから死にたい。せっかくかけてきたんだから。


そしてできたら、母が亡くなった72歳まで生きたい。

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