第31話 戦況は一進一退、なのかも

 そうして林の中で一夜を明かし、朝になった。ヴィンセント様の足は、もうかなり良くなっていた。激しい運動は難しそうだけれど、歩くだけならもう大丈夫だ。


 わたしたちはまたトレを先頭にして進み、林を抜けた。そのとたん、並んで進軍している敵軍に出くわしてしまう。


「何、背後に回り込まれただと!?」


「撃て!!」


 いきなり現れたわたしたちの姿に、敵の兵士たちがどよめいた。偉そうな雰囲気の人が叫んだのと同時に、彼の周りにいた兵士たちが弓を構える。


 すると、スリジエさんがおかしそうに笑いながらしとやかに歩み出た。


『ほほ、甘いのう。そんなものでわらわたちを害そうとは。百年早いわ』


 彼女はそのままふわりと舞い上がり、空中でひらりと回る。降り注ぐ矢は、彼女の翼が起こした風にあおられて勢いを失い、ぱらぱらと落ちていった。


 誰一人傷つけることなく落ちていく矢の雨の向こうで、敵たちは大いにうろたえていた。さっきの偉そうな人を見ながら、隣のヴィンセント様に尋ねる。


「ヴィンセント様、あの人は立場が上みたいですけど……敵の総大将ではないですか?」


「いや、違うな。おそらく彼は弓兵隊の隊長だ。総大将がいるとしたら、おそらくあちらのほうだろう。俺がつかんでいる情報と、昨夜君たちが見た光景とを足し合わせて推測すれば、だが」


 ヴィンセント様はそう言って、斜め前のほうを指す。


「この戦を一刻も早く終わらせることを目的とするのなら、このまま奇襲をかけて敵の総大将を討ち取るのが最善だろう。ネージュたちの力があれば、それも可能かもしれない。だがそうすれば、君を危険にさらすことになる」


『エリカをわらわの背に乗せて、上空に逃がすという手もあるぞ? ただそれじゃと、わらわが暴れられんしのう』


「ああ、スリジエ。この状況で、お前という戦力を削がれたくない。だから、俺たちはブラッドとの合流を優先する。そうして軍を再編成し、今度こそ敵軍を追い返す」


『また、けんかするの? トレ、嫌だなあ。とっても嫌。すごく嫌』


 そんなことを話しながら、全員で前に進み、敵軍に近づいていく。


 敵に出くわしたら、そのまま敵陣を突破して、向こう側に突き抜ける。そういう予定になっていた。怖いけれど、みんながいれば大丈夫。そう信じて、一生懸命に歩く。


『さあて、そろそろおれの出番だな。ヴィンセント、おれたちが道を作る。おまえはエリカをしっかり守ってろ』


 どことなくうきうきした口ぶりで、ネージュさんが進み出る。それから彼は天に向かって、高々と吠えた。


 その声と彼の大きな体に、周囲の敵兵たちがひるむ。その中に、ネージュさんは悠々と歩み寄っていった。わたしたちも隊列を組んで、その後に続く。


 多くの兵士は剣を構えてはいたけれど、気おされているのかじりじりと後ずさりしていく。


 しかし時折、勇気を出して切りかかってくる者もいた。ネージュさんにではなく、わたしや兵士たちに向かって。


『おい、おれを無視するな弱虫ども。遊びたいのなら、おれが相手になってやる!』


 けれどそんな兵士たちの刃は、わたしたちには届かなかった。


 やけに楽しそうな声のネージュさんがひらりと身をひるがえし、そのたっぷりとした白い毛で剣をやすやすと受け止めてしまったから。


 そんなことをしても、ネージュさんの毛は一筋たりとも切れはしなかった。ネージュさんはふさふさの尻尾を一振りし、ひるんだ兵士をなぎ払っていく。


 兵士たちは後ろ向きに倒れこみ、他の兵士を巻き込んで地面にのびてしまう。すぐに、弱々しいうめき声が聞こえてきた。


『敵であろうと、できれば傷つけたくない。それが、エリカの願いじゃからのう。それにわらわたちは、平和を好む優しく穏やかな幻獣じゃ。さて、わらわも遊んでやるか』


 スリジエさんが愉快そうに笑いながら、大きな翼を一振りする。


 たちまちつむじ風が巻き起こり、敵兵たちを次々と舞い上げていく。そのまま後ろのほうに吹き飛ばされて、地面に落ちた。みな生きてはいるようだけど、ちょっと痛そうだ。


『トレもやる。けんかよくない。だから追い払う』


 張りきった様子で、トレがぴょんぴょん跳ねる。と、地面から可愛い花が生えてきた。花はすぐに実に変わり、はじけて種をまき散らす。


 どういう訳か種は、全部敵兵に向かって飛んでいった。そうして敵兵にぶつかった種から、大量の粉のようなものが吹き出した。


「……敵のみなさん、くしゃみしてますね。あれはあれで苦しそうです」


「不思議な種だな……だが、敵の戦意を下げることには成功している」


 謎の粉を浴びた敵兵たちは、みな剣を放り出してくしゃみを連発し始めたのだ。目がかゆいのか、かぶとを取って顔をこすっている。


 スリジエさんが生み出した風の壁に守られて、その粉はこちらまではやってこない。……あの粉を浴びなくてよかったと、心からそう思った。


『さあ、この隙に駆け抜けるぞ!』


 うっかり足を止めてしまったわたしたちをせきたてるように、ネージュさんが朗らかに言い放つ。


 すっかり大混乱におちいってしまった敵陣の中を、わたしたちは一塊になって走り抜けた。




「あっ、ヴィンセント様だ!」


「みんな、ヴィンセント様が戻られたぞ!」


 敵陣を抜けて、味方の軍のところに向かう。


 味方の兵たちはヴィンセント様の姿を見て、泣きそうな顔になる。でもみんな、ネージュさんたち幻獣と、ヴィンセント様の隣にいるわたしを見て驚いていた。


 けれどここが戦場だからなのか、兵士たちはすぐに真顔に戻る。剣を手にしたまま、きびきびと礼をした。


「ヴィンセント様、ブラッド様のところまで案内いたします!」


 兵士が一人、進み出る。彼の案内に従って、わたしたちは味方の陣の奥へと向かっていった。背後からは、双方の兵たちが激しく剣を交えている音が聞こえ続けていた。




「ヴィンセント、無事だったのか!! しかしどうして、エリカ殿までここに? 幻獣たちまで連れて……」


 味方の陣の奥深くで、わたしたちはブラッドさんに出迎えられた。前に屋敷に遊びに来た時はにこにこと柔らかく笑っていた彼は、今は見違えるほど厳しい、鋭い表情をしていた。


「彼女たちは、俺を救いに来てくれた。それよりもブラッド、戦況はどうなっている?」


「五分五分、よりもわずかにこちらが不利だ。君が爆発に巻き込まれて行方不明になった、その動揺を私では抑えきれなかった」


「いや、お前はよくやった。俺が思っていたよりもずっと、布陣は安定している。ここからは俺が指揮をとろう。全軍に伝えてくれ、俺が戻ったと」


「ああ、もちろんだ!」


 それからヴィンセント様は、ブラッドさんや他の兵士たちとあれこれ話し合い、次々と指示を飛ばしていった。


 彼が騎士として働いているところは初めて見たけれど、近寄りがたいほどの迫力だった。普段屋敷で暮らしている時の彼は無口で、ゆったりと穏やかだけれど、あれはとてもくつろいでいる姿だったのだなと、そんなことを思う。


 邪魔にならないように少し離れて、ネージュさんたちと話す。


『それで、どうするエリカ。無事にあいつを救い出せたのだし、おまえはもう戻るか?』


『あやつも、それを望んでおるようじゃしのう』


『トレ、戦場嫌い……ヒトも草も、ぼろぼろのずたずた』


「……帰ったほうがいいのは、分かってるんです。でも、もしまたヴィンセント様に何かあったらって、そう思えてしまって……」


『なら、おれがここに残ろうか?』


 ネージュさんが心配そうにこちらをのぞきこんでくる。スリジエさんとトレも、同じような表情をしていた。


「そうですね。それが、一番いいと思います……」


 本当のことを言えば、ここを離れたくなかった。ヴィンセント様のいない屋敷の中で、じっとヴィンセント様の帰りを待つ。考えただけで、辛かった。


 でも、わたしはここでは足手まといでしかない。早く、ここを立ち去らなくては。


 そろそろとうなずいたまさにその時、遠くで爆発音がいくつも聞こえた。恐ろしさに身をすくめると、ふわりと舞い上がるスリジエさんの姿が見えた。


『最前線で爆発じゃ。一、二……全部で五か所。こちら側に被害が出ておるのう』


 伝令よりも早く状況を伝えてきたスリジエさんに、ヴィンセント様が呼びかける。


「スリジエ、正確な位置を説明できるか?」


『わらわを誰だと思うておる。ようく聞いておれよ、まずは……』


 そうしてスリジエさんは語り出した。爆発が起こったのはわたしたちの軍の左翼、森を背後にして戦っていた部隊が大打撃を受けてしまったらしい。


「一番守りが薄いところを強行突破して、俺をまっすぐに討ちにくる作戦か」


 ヴィンセント様が歯を食いしばっている。その知らせに、ブラッドさんたちの顔色も悪くなっていた。


 しかしその時、下から思いもかけない声がした。


『ヒトいっぱい死んだ。森いっぱい壊れた。トレーフル怒った。あのヒトたち、許さない』


 それはトレの声だった。けれどいつもおっとりとしている彼の声は、明らかに激しい怒りに満ちていた。


 どうしたの、と声をかけるより早く、彼の姿が地面に沈み込んで消えた。


『トレの堪忍袋の緒が切れたようじゃの。わらわはこのまま上空から偵察しておるゆえ、なんぞ気づいたら教えてやらんでもない……っと、なんじゃあれは!?』


 上空から、スリジエさんの驚いた声が聞こえてきた。彼女が何に驚いているのかは、すぐに分かった。


 さっき爆発があった辺り。そこにとてつもなく大きな樹が姿を現していた。そしてそれは、ものすごい勢いで天へ天へと伸びていたのだ。


「なんだ、あの樹は……」


『まあ、状況から見てトレがやったんだろう。しかし大きな樹だ。長く生きているおれでも、あそこまで大きな樹は初めて見たな』


 呆然としていたら、いきなり何かが飛んできた。あっという間に、その何かはわたしの体にからみついて、縛り上げてしまった。

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