#8 歌姫とのひと時


 こうして、俺は昼の時間をジュウオウ村で過ごし、夜の時間を海の底でナキと共に過ごすという生活を続けていた。

 その間も、俺はナキと繋がりを持つ為に“お願い”をし続けた。毎晩願いを叶えて貰った。

 願いを言えばその日に叶えてくれるものもあれば、次の日にまたと言われる日もあった。


 ある日の俺は、こう願った。

 

「――美味しい食事が、食べたいです」


 地上の貧しい村では満足な食事に有りつけない。

 だから、その日の俺はそう願った。

 すると、ナキはこう答えた。


「ええ、わかりました。わたしも丁度、お腹が空いていたところです」


 ナキは胸に手を当て、目を瞑る。

 それだけで、目を開けたナキは薄く微笑んで、


「少し、待ちましょうか」


 と、そう言って歩き出した。


 俺はそのままナキと共に、並んで海底をのんびりと散歩する。

 辺りには淡い光を放つクラゲたち。

 まるで俺たちが暗闇に包まれる海底で迷子にならないように、見守ってくれている様に、一定の距離を保って漂っている。


「ねえ、空間さん。空間さんの居た世界って、どういった所なんですか?」


 ふと、散歩をしながら、ナキはそんな質問を投げかけてきた。


「そうですね、ここよりも騒がしくて、ごちゃごちゃした所ですかね」

「ごちゃごちゃ、ですか」

「ええ、色んな物があります。ジュウオウ村なんか目じゃないくらい高い建物があったり、もっと豊かで、人間も嫌になるくらい沢山居ます」


 そう答えれば、ナキは少し困ったように眉を下げる。


「ごめんなさい。わたし、ジュウオウ村にも行った事がなくて……」

「ああ、そうでした。すみません」


 俺は謝ってから、慌てて言い直す。


「ええと、そうですね――この深海の世界よりも、ずっと明るいです。夜になっても街に灯りが溢れています。

 あと、俺の住んでいた所は、四季って言って暑かったり寒かったりしますね。

 寒い時期には、雪っていう――この砂よりも白くて冷たいものが降って、積もれば辺り一面真っ白になって、綺麗なんですよ」


 そう言って、俺は足元の砂を一掴みして、その辺に放る。

 白い砂はゆっくりと水中に舞って落ちて行き、まるで雪の粉の様。


 きっと、それでナキにもなんとなくの雰囲気は伝わったのだろう。

 横目で様子を窺えば、深海色の紺の瞳は輝いて見えた。


 そんな話をしつつ海底を歩いて居ていれば、ぐるっと回ってきたのか、いつもの岩の机と椅子のあるナキの家に戻って来ていた。

 机の上を見れば、そこには種類は分からないが新鮮な魚が捌かれて、刺身として皿代わりの平らな石に盛られて用意されていた。

 隣にはグロテスクなお頭が添えられている。知識は無いながらも深海魚の類に見える。


「お待たせしました。少し歩いて、お腹も空かせて、美味しく食べる準備は万端です」

「ありがとうございます。それじゃあ、一緒に食べましょう」


 こうして美味しい食事を食べたいと願えば、海の幸で持て成された。

 海の底で食べる新鮮な魚の刺身は、これまで食べたどれよりも美味しかった。

 それは場の幻想的な雰囲気の効果か、それともナキと共に食べたからか――。

 ともかく、この願いはその日の内に叶えられたのだ。


 

 またある日は、こう願った。


「――ずっとこうしているもの退屈じゃありませんか? 何かして遊びましょう」


 それは願いというよりも、提案に近かった。

 それでもナキはそんな俺のしょうもない願いにもにこやかに答えてくれた。


「ああ。それなら、これを――」


 と、その辺りに放られてるガラクタの山の中から、何かを掘り出して持ってきた。


「前に用意して頂いたのですが、一人では遊べなくって、困ってたんです」


 ナキは照れくさそうにはにかみながら、それを机の上に広げる。


 それは格子状の線が引かれた木製の板と、桶に入った黒と白の石。――つまるところ、碁盤と碁石だった。

 桶の中の石には欠けた物や形が歪な物も多いが、遊ぶ分には問題ない。


「いいですね。やりましょう」


 それから、囲碁のルールをきちんと知らなかった二人は五目並べをして、しばしの時間を遊んで過ごした。


「――もう、空間さんずるいです!」


 そして、ナキは拗ねてしまった。


「ごめん、ごめんって! ほら、もう一回やりましょう」


 ナキは弱かった。めちゃくちゃ弱かった。

 俺も手加減したつもりが、いつの間にか勝ってしまっているのだ。それくらい弱かったのだ。


「むぅー……」


 ナキは頬を膨らませながらも、盤面を片付けて次の準備をしている。

 その姿が可愛らしくて、つい吹き抱いてしまって、それがまたナキの不評を買うのだった。


 こうして暇を持て余して何かで遊ぼうと願えば、流石にテレビゲームは出てこなかったが、碁石と碁盤が出て来て、ナキが一緒に遊んでくれた。

 この願いはその日すぐにその場に在った物で叶えられたが、それ自体は以前にタテシマ様が持ってきてくれた物だったという。



 そしてまたある日は、こう願った。


「――お金とかって、お願いしたら出てきたりするんですか?」


 単なる興味本位だった。

 寝床も職もクスノキに紹介してもらって何とかなっているので、急ぎ金が必要な訳では無かった。

 だから、こう付け足した。


「ああ。でも、別に沢山は要らないんです。山の様に在っても持って帰れないですから」


 俺がそう言えば、ナキは少し悩む素振りを見せた後、


「ええ、承りました。では、明日までには」


 と、その願いは翌日に叶えられる事になった。

 

 翌日、俺がナキの元を訪れると、岩の机の上に小さな手の平サイズの麻袋が置かれていた。


「空間さん、これ。昨日のお願いの物です」


 そう言って、ナキはその袋を俺の方へと机の上を滑らせて渡す。

 受け取り中を見てみれば、そこにはほんの僅かな枚数の小汚い硬貨が入っていた。

 自動販売機の下に落ちている青錆びに覆われた十円玉をイメージすると分かりやすいだろうか。

 そういった感じに汚れた硬貨が一、二、三……多分、五枚くらい。

 ジュウオウ村で俺が買い物をしようとすれば、だいたい一食分ほどで無くなるくらいの金額だ。

 この場で全部出して数えだすのも嫌らしい気がして、俺はそのまま袋を閉じた。


「ありがとうございます。本当に出て来るとは思わなかったです。どうやったんですか?」

「いくら弱っていると言っても、タテシマ様のお力を以ってすれば、このくらいなら」


 と、ナキは心なしか鼻高々だ。


「ふふん」


 どや! と聞こえてきそうなほど。その様はあまりにも可愛らしい。


 しかし流石は神様だ。もしタテシマ様が弱っていなければ、この比ではない金額が降って来ていたのだろうと思うと恐ろしい。


 こうして、試しにお金が欲しいと言ってみれば、ほんの僅かだが汚い硬貨が渡された。

 これは願いを言った翌日に用意されていた。

 


 そして、またある日。

 俺が最も願ったのは、やはりこの願いだろう。


「――また、歌が聞きたいです」


 俺がそう言えば、ナキは我が子を慈しむ母親の様に、優しく微笑む。


「空間さんは、本当にそればかりですね。欲の無い方です。もっと、欲しい物とか、やりたい事とか、ないんですか?」

「いやいや。お金とか、お菓子とか、色々貰ったじゃないですか」


 ナキはどうにも俺を過大評価している節がある。

 なんだか照れくさくなって、手をひらひらと振って否定する。

 でも、やはりナキの俺を見る目は変わらない。


「でも、お金もほんの僅かでした。お菓子も、きっと空間さんはもっと美味しい物を食べた事があるんでしょう? もっと楽しい遊びだって、知っているんでしょう?」

「まあ、それは……」


 俺は歯切れ悪く答えるが、ナキはにこにこと笑っている。


「それでも、空間さんはそれを喜んでくれました。ありがとうって言ってくれました」

「それは当然でしょう。どれもナキさんが俺の為にってやってくれた事なんですから、それは嬉しいです。ありがとうですよ」


 俺がそう答えれば、ナキはやはり嬉しそうに笑っていた。


「それに、ほら。前に出してもらったお魚の刺身。あんなに美味しいのは、俺も食べた事が無かったですよ」

「そうなんですか? 気に入って頂けたのなら、わたしも嬉しいです」


 それから、ナキは歌を聴かせてくれた。

 美しい凛と鳴る風鈴の音の様なその声は、俺の耳を優しく撫でて行く。

 その歌声に身を任せながら、ゆったりとした時間をしばしの間過ごした。

 そして、歌い終えたナキはおもむろに口を開く。


「ねえ、空間さん。前にも、空間さんの世界のお話、聞かせてくれましたよね」

「はい」

「もっと、そのお話を聞きたいです」


 俺はこの日、その歌の礼代わりではないが、自分の世界の事をナキに話して聞かせた。


「そうですね。例えばお菓子、そう呼べる食べ物だけでも色々な種類が有ります。茶色くて甘いやつとか、芋を揚げた塩辛いやつとか――。

 あと、前に話した雪。その雪降る季節には、雪と同じで白くて、甘くて、ふわふわのお菓子を食べる行事が有ったり――」


 そう話している間、ナキは紺色の瞳は輝かせて、食い入るように傾聴していた。

 そして、俺に聞こえないくらいの小さな声でぽつりと、こう零した。


「いつか、わたしも、行ってみたいものですね」


 “歌を聴かせて欲しい”――この願いは、勿論すぐにその日の内に叶えてくれた。

 そして、同じように願えば、何度でも、何度でも――。

 


 そうやって、俺の足は毎晩海へと赴いていた。

 真に何かが欲しい訳では無かったが、それでもナキに会いに行く言い訳として、足を運ぶ度にどうでもいい願いを言っていった。

 そうしていく内に、ナキとの中も深まって行った――と、思う。

 

 いつの日か元の世界に帰るチャンスが訪れるかもしれないし、一生このままかもしれない。

 それでも、時の流れに揉まれる内に、少しずつどうでもよくなっていった。

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