サキュバスの恋愛講座 実践編①

 あの後、俺たちは互いにごめんと言ってううんと首を振り、お互いに許し合うと仲直りにまた体を重ねた。

 

 それに何の意味があったかは分からない。少なくともニーニャの食事でないことだけは確かだった。食事という意味ではもはや過剰なまでに彼女に注ぎ込んでいる。最早おかわりは必要ないはずだった。

 

 けれど、俺たちには必要なものに思えた。だから、また再び敏感な肉を埋めて、擦り合わせて二人で甘い快感を享受した。淫魔である彼女も本当に感じているらしいことが驚きだった。

 

 まるで無尽蔵のように思える。流石に精は打ち止めだったものの、彼女を求める心は尽きることがないようだった。

 

 お互いに許し合うための、慰め合うための情事。それは確かに心のために行為だったのだろう。

 

 そして、翌日。

 

「……おはよう」

「おはようございます」

 

 どちらからともなくキスをして起き上がった。

 

「……」

「……」

 

 気恥ずかしさと後ろめたさと、そして──重い感覚。


 セックスの後に残る気怠さだと後から知ることになった。


 彼女はこの後に及んでも俺と一緒にはなれないというだろう。つまり、関係性は以前と変わっていない。

 

 なら、今この雰囲気はお互いを傷つけてしまうだけだ。もうそろそろ止めにしないといけない。

 

「……そろそろ出店が開く頃だな」

「そうなのですか?」

「ああ、マゼンダ達に奢る約束しているからな。遅れたら大目玉を喰らう」

「……マゼンダという方は女性なのですよね?」

「ああ、そうだが」

「ならば好機です! 主人様の好みではないのかもしれませんが、経験を積むことに越したことはありません! 是非、仲を深めておきましょう!」

「……マゼンダ相手に仲を深めるというのも今更な気がするが、まあ、そうだな。ニーニャが言うなら、そうに違いない」

「はい、そうです……」

 

 彼女はどこか寂しそうに俯いた。

 

「……なら、行ってくる。しばらくは食事も大丈夫なのだよな?」

「はい、問題ありません。一週間はいただかなくても大丈夫です」

「じゃあ、行ってくるから。誰か来たら──」

「動かぬふりをすること、ですね? 大丈夫です。主人様がいない時はそもそも動きませんし」

「そうか、それなら」

 

 行ってくる、そう言い残して家を出た。

 

「……はい、主人様。行ってらっしゃいませ」

 

 ニーニャの言葉はバラッドに届かない。


 ◇


「──あいつら、どこにいるかな……」

「バラッド!」

「うお!」

 

 急に肩を組まれる。この感じはマゼンダか?

 

「急に肩を組むなよ」

「今日は奢ってもらう約束だったよな」

「ああ、何でもいいぞ」

「よーし、男らしいな。流石はバラッドだ。ベックとは違う」

「あれ、あいつは?」

「あいつなら何やら女の多い店に行ったぞ。まったく、少しは隠したらどうかね」

「別に女が好きなのはいいことだろ」

「それはそうだが、すぐに店に行くというのが問題だ。それを隠さないのもな」

 

 正論だった。ごめん、ベック。フォローできない。

 

「何が食いたい?」

「そうだな……」

「あっ、あれお前が好きそうじゃないか?」

「どれだ?」

 

 イナゴの佃煮が売っていた。こういうの、確か上手いんだったよな。

 

「おっ、分かってるじゃないか。おっちゃん、ちょいとくれ」

「三枚だ」


 マゼンダの代わりに俺が支払いを済ませる。今日のために銅貨は多めに持ってきた。

 

「ん、うまい」

 

 基本的に、食事屋というのはその場で食べるか持ち帰るかの二択だ。こういった催し物の時には大抵前者の形式がよく取られる。

 

 ザルの上に乗せられたイナゴを頬張りながら、むしゃむしゃとマゼンダは口を動かしていた。

 

「んん、うまい。ほら、バラッドも食えよ」

「じゃ、一口」

 

 マゼンダの指につままれたイナゴをそのまま齧る。なるほど、これは塩気が効いてていいな。

 

「うまいな、これ。おっちゃん、俺にもくれ」

「あいよ」

 

 金を渡して二人で食う。

 

(……確か、ニーニャにマゼンダとの仲を深めろと言われてたな)

 

 確か、彼女に女性のエスコートの仕方も教えてもらっていたのだった。

 

 ここで実践しろということだろう。同業相手は少し気が引けるが、失敗しても問題ないという点ではむしろいい練習だろうか。

 

「次はどこ行く?」

「そうだね、適当に歩こうか」

「あいよ」

 

 俺は会話を終えてから自分の間違いに気づいた。


(マゼンダに決めさせてしまった……普通、男の方がリードするんだったよな。あー、ただ勝手に決めるよりマゼンダなら聞いたほうがいいからな。ここら辺が臨機応変か)

 

「兄ちゃん!」


 二人で歩いていると、遠くからガキどもの声がする。

 

「おーおー、どうした。お前らも遊んでるのか」

「兄ちゃん、出て行ったんじゃなかったの?」

「この薄情ものー」

「薄情ものー」

「悪かった悪かった、もう言わないから」

 

 ガキどもをあやしているとマゼンダが近づいてくる。

 

「薄情ものー」

「……お前もその薄情者の一人だよ」

「まあ、確かにね。アンタが残らなきゃ、アタシは間違いなくベレットにずらかってたし」

「あっ、おばさんも逃げようとしてたのー?」

「ずるーい」

「ずるーい」

「──んん? おい、ガキンチョ。誰がおばさんだって? お・ね・え・さ・んだろ?」


 眉間にぴくぴくと皺を寄せながら、マゼンダは座り込んでガキ達と目線を合わせる。


「おいマゼンダ、子供相手に本気マジになるな」

「なってないなってない。ただ、子供には社会の怖さってもんを教えないとね──」

「お前がいうとシャレになんねえよ……ほら、お前ら。早く行かないとこのこわーいお姉ちゃんに食べられちゃうぞ」

「「「わー!」」」

「このクソガキども……」

 

 マゼンダの恨めしそうな声に、まるで蜘蛛の子散らしたように子供たちは去っていく。


 元気なことだ。俺が残らなかったあいつらも今頃魔物達に……

 

「……」

「……いつも、あの子供達は絡んでくるのか?」

「ん? あ、ああ。というか、たまに遊んでやってんだよ」

「へえ、そうなのかい……バラッド、あんた子供が好きだったのか」

「まあ、苦手ってほどじゃないな」

「似合わないね」

「ガキ相手に凄んでたお前は似合ってたぞ」

「なにー?」

「あははは! やめろ、脇をくすぐるな!」

 

 すると、今度はベンダーにバーバラの姿も見えてくる。何やらバーバラは若干不貞腐れているようだが。

 

「おー、来たか。二人とも」

「ああ、今日は目一杯奢られようと思ってな」

「ベンダーの目一杯は洒落になんねえよ……財務係の目一杯って、やめろよ。マジで破産するからな」

「流石にそこまではしないよ」

「なんだー、バーバラ。何へそ曲げてんだよー」

「曲げてなんか……やめっ、あはは! やめっ、くすぐるな!」

 

 今度はバーバラの方が餌食になっていた。

 

「あっちの方にまだ回ってない出店があるからな。ちょっと言ってみるか」

「そうだな」

「あはははは! ちょっと、助けてくださいよ!」

「こいつを笑い殺したら追いつくー!」

「や、やめろっ!」

 

 それから俺たちは、主に俺の金で一緒に出店を堪能した。

 

 といっても娯楽は基本的に食うことだけだ。中には歌や音楽を披露しているやつもいたから、そいつらの周辺で物見をして、適当に賽銭を投げてみた。

 

「なんか売ってあるぜ。見てみよう」

 

 途中からベックも合流してきた。喉元に紅がついてるのは言わない方がいいんだろうな……マゼンダが若干白い目で見ている。

 

「……」

「何見てんだ?」

「──あっ、いや」

「……? これか?」

 

 マゼンダが何かを見ていた。


 彼女の視線の先にあったものを手に取ってみる。


 貝殻か……ここら辺じゃ海は遠い。確かに珍しいな。

 

「いやっ、別に欲しいとかじゃ──」

「……」

 

 慌てるマゼンダに、俺はニーニャの言葉を思い出す。


『女性は自分の欲しいものを素直に伝えられないことがあります』


(マゼンダがそう遠慮する性格とも思えないが……こいつも女だからな。もしかしたら遠慮とかもするのかもしれん)

 

 近くにいた男に値段を聞いた。


「店主、これいくらだ」

「いやいや、いいよ!」

「何言ってんだ。俺が買うんだよ」

「えっ、あっ、そうか……」


 マゼンダは目に見えて落胆していた。


「それで、いくらだ?」

「銀貨一枚だ」

「じゃあそれで」

「……」

 

 たぶん吹っ掛けられたんだろうが、わざと値切らなかった。


 マゼンダが俺の方を若干睨むように見てきたが、彼女に今買ったものを差し出すと、また驚いたような顔をする。

 

「えっ」

「俺が買った。やる」

「いや、でも……」

「いらんなら捨てるぞ。どうすんだ」

「いやっ、あっ……じゃあ、貰う」

「はい」

「……ありがと」


 貝殻を両手で握る彼女は、随分としおらしかった。

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