第十二話 成長する異能

「敦さん」

 気付けば鏡花は、彼の背中に抱き付いていた。

 粉状の硝子が、膝の下で痛い音を立てる。

 たった数十分なのに、ずっと探していた人――。

 気まずい沈黙を破るように、国木田が小さく咳払いをする。

「怪我人も居るし、ここで良かろう。怪我人は与謝野医師の手当てを受け、安静にできる状態で集まるように」

 与謝野が救急箱を持って怪我人たちを診て回る中、鏡花は敦の襯衣シャツの右袖を慎重にめくる。

「あぁ、大丈夫……。虎と一緒、なんだ……」

「……敦さん?」

 敦は鏡花の腕の中で、すやすやと気持ち良さそうな寝息を立てていた。

「まったく、訳の分かんないことをしてくれるねェ」

 一通り手当てを終えたらしい与謝野がやれやれといった調子で云いつつ、鏡花から敦を引き受けて軽々と抱き上げると、清潔な寝台へと運んでいった。

ずは、最も大切な話をしよう」

 武装探偵社の調査員と社長が各々おのおの寝台や単椅子に落ち着くと、国木田が前に立って話し始める。

「敦の異能力についてだ」

 全員の視線が、吊下布に覆われた寝台に集まる。

「敦の異能力は、正確には『月下獣』ではない」

「敦君は虎だけじゃなく、色んな生物に変身できるんだよ」

 太宰がにやにやしながら、国木田を見上げ、話の一番重要な部分をさらっていく。

「その異能を名付け直すなら、『変身』ってとこかな」

 そんなことには動じない国木田は、淡々と話を続ける。

「敦は虎と人間の間のような手足を使ったり、虎の嗅覚だけを使ったりと、訓練と社長の異能によって、元来の虎の異能に非常に繊細な調整を加えることができていた。そして――ここからはあくまで仮説になるが、それはつまり、どんな生物にでも変身できる可能性があるということだ。生物というものの基本的な構造はどの種においても同じであり、我々人間は、進化の過程で見れば、ねずみや、砂粒のような微生物だった時代もあった。虎と人間の身体的特徴をあのように微妙に組み合わせて利用することができるのならば、例えば虎と人間の共通の祖先に自身を変身させるといった方向で異能が成長することも考えられる。虎に治癒能力があるのも、敦の異能が『月下獣』というよりも『変身』だからだ。傷付いた部分を変身させて、元の虎の身体に戻していたと考えることができるだろう。――とまあ、このように云ったが、異能力というものは人それぞれで全く異なる部分も多いからして研究が進んでいないため、詳細は不明だ。だが、特に十代から二十代前半というのは、異能力の成長がいちじるしい時期であって――」

「丁度一年前くらいだよ」

 太宰がまた、国木田の話を掻っ攫う。

「黒毛の野良猫を可愛かわいがっていた敦君の手に、その猫と同じ毛が生えてきてね。それからその毛に飲み込まれるみたいに、猫になったのさ。虎と同じ猫科だから、きっと変身しやすかったんだろうね」

 そう云った太宰は、にゃあと猫の鳴き真似まねをしてみせる。

 国木田は無視して話を続ける。

「その時はまだ使い物にならなかったが、訓練を重ねると、虎とほぼ同様に制御できるようになった。そこから、他の様々な生物――犬、兎、毒虫、ふな朱雀すざく――そしてついには、人間にも変身できるようになった」

 全員の視線が今度は、にこにこしている賢治に集まる。

「そうだ。敦が最初に変身できるようになった実在の人間が、賢治だった」

「推測だけど、素直な者に変身しやすいんだと思うよ。ほら、猫や虎なんか、とっても素直でしょ。ご飯をもらえば喜ぶし、嫌だったら噛む」

 太宰が人差し指をふいふいと左右に振って、気楽そうに云う。

「だが、課題も多かった」

 国木田は訓練の様子を思い出してか、目を閉じる。

「敦は変身する際、脳までその変身対象のものへと変化させる。それによって、変身対象の身体を適切に動かす力を得ているんだ。しかし一方で、対象の記憶や思考までをも完全に自分のものにする。つまり、自我を失う」

「制御が下手くそな場合ってことね」

 太宰が慣れた様子でウインクをして付け足す。

「ああ。だが、その一部は伝説である白虎になる場合や、生物の写真や実物を見ずにそれに変身する場合はまだいい。その脳にあるのは本能のみで、独自の記憶や思考は無い。よって、これまでの敦の力があれば、身体の動かし方と最低限の本能を残して、敦の自我が入り込む余地を作ることができる。しかし、実在する生物、特に実在する人間となると途端に難しくなる。例えば初めて賢治に変身した時は、何故先刻まで畑仕事をしていた自分が訓練場にいるのか分からず、使える異能は『雨ニモマケズ』だけで、もちろん敦本来の異能を解除する方法も分からなかった」

「だから私が練習に付き合ってあげてたって訳」

 太宰は偉そうにふんぞり返って自慢する。

 ここで顔色の悪い谷崎が、寝台に座ったまま口を開く。

「じゃ、じゃあ、敦君は、実在の人間になる時は、その異能も……?」

「そうだ」

 国木田は頷き、説明を続ける。

「敦は実在の人間に変身する際、その人物の記憶や思考だけでなく、異能も身に付けた状態になる」

「ついでに、服装や身近な持ち物もね。この原理は分かんないけど、虎になる時も服は破けないし、いちいち着替えなくていいのって便利だよね」

 太宰が呑気に付け足す。

「でも、なんでそんな強い異能のこと黙ってたんだい」

 単椅子に座っている与謝野が足を組み、眉をひそめる。

「わざわざ他所よそに訓練用の土地を借りたのも、敦の異能が寮の社員の目に触れないようにする為だろう? 敦のその力が出たのが、丁度一年前ってことはさ」

「ええ、そうです」

 国木田は左手に持った手帳の辺を、右手のひらに軽く打ち付ける。

「そしてそれは、自身と変身対象のバランスの制御ができるようになるまで、変身の力は全く使い物にならなかったからです。その段階で、過剰な期待が敦にかることを避けたかったのです。それに――」

「あまりにも強すぎるからね」

 先刻とは打って変わって重い太宰の口調に、元々静かだった医務室が痛い程に静まり返る。

「例えば、敦君が万が一にも、ポートマフィアの首領ボスに変身できるようになったら――」

 森鴎外の思考が――何もかもが筒抜けとなったポートマフィアは、総力を挙げて敦を殺しに来る。

「だが、限界はそう遠くないことが分かってきた」

 太宰の話を国木田がぐ。

「賢治にですら、たった数十分変身していただけで疲労して制御が効かなくなる。そして、危険性よりも有益性の方が高いことも分かった。敦がいるだけで、怪力頑強の調査員が一人増えたのと同じようなものだ」

「あとはまあ、今日の為にね」

 再び飄々ひょうひょうとした顔に戻った太宰が、ぼろぼろの面々を見渡して薄く笑う。

「でしょ。国木田君」

「ああ。今日のこれは、敦の昇給試験をねた全調査員の抜き打ち訓練だ」

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