23*どっちが好きかなんて -02-

「婚約者……」


 呟いている。


 ロイは笑みを絶やさない。

 相手の反応を窺っているように。


「一年前のアイリス殿は、そのような方はいらっしゃらない雰囲気でしたので、少し驚きました」

「最近そのような関係になったので。なぁアイリス」

「え、ええ」


(急に話を振らないで)


 アイリスはなんとか笑みを作った。


 少しフレディの様子が気になる。あっさり「そうなんですね」と言うかと思えば。もしかして今の間に不自然だと思う箇所があったのだろうか。まだ会って数分しか経っていないのに。


「最近というと、いつ婚約を?」


 探るような言い方だった。


 アイリスは内心気が気でない。もしや先程まで喧嘩のようなものをしたせいで、二人の間に距離感が出ているように見えたか。それなら反省ものだ。上手く演技できていないことになる。


「三ヶ月前くらいでしょうか。それが何か」


 ロイがさらっと答えた。


 実際は一ヶ月前だが、それだと急すぎる。だからといって半年前だと言えば、日が遠すぎる。三ヶ月くらいが妥当かと、アイリスも納得していた。


 返答を聞いても、フレディの様子は変わらない。

 沈黙が流れるが、息を決したようにこう言った。


「次にアイリス殿にお会いできたら、交際を申し込みたいと考えていました」

「……え?」


 予想もしていなかった言葉に。

 思わず素の声が出てしまう。


 隣にいるロイは無言だが。

 フレディは至って真面目な顔をしている。


「一年前に出会った時から恋焦がれておりました。婚約者だとしてもまだご結婚はされていないはず。どうか私にもチャンスをくれませんか」


(ええ……?)


 これは現実なのかと、アイリスは混乱した。そもそも婚約している女性に気持ちを伝えるなど、自国ではご法度だ。だが隣国は違うのだろうか。


 アイリスは驚きすぎて頭が真っ白になる。


 冷やかしでもなく、見た目や身分とかでもなく、アイリス個人を好きだと言ってくれる人がいるなんて。初めての経験だから、どう反応すればいいのか分からない。自分を好きだと思ってくれる人がいることすら、奇跡だと思っているのに。


「アイリス殿。共に剣を振るい、話をしたあの時間、自分は楽しかったです。アイリス殿はどうでしたか」

「それは……楽しい時間でしたが」

「私と話す時、笑顔を向けて下さったと思います。それを可愛いと思いました」


(可愛い……!?)


「久しぶりに再会できると知り、会えるのを心待ちにしていました。どうかチャンスをください。でなければ、諦めきれません」


(な……え……?)


 隣国に来て驚くことばかりだ。


 レナードのこともモネのことも。リアンの態度のことも。ロイとのことでも色々悩んでいるのに、ここでまた別の話が出てくるのか。自分に関係する話が。


 一年も前から、好いてくれていたなんて。当時優しい眼差しで話しかけてくれていたとは思うが、それでも。その先を望むような振る舞いは見られなかったのに。同じ騎士として、剣技を極める者として、仕事の話が楽しかったというだけなのに。


(……チャンスが欲しいと言われても)


 彼のことは同じ騎士、仲間としか思っていない。チャンスを与えたら、彼はもっと諦めないだろう。断ることも考えたが、すぐには納得してもらえない気がする。


 アイリスは思わずロイの方を見てしまう。


 自分でも情けないような顔になっていたように思う。すると察してくれたのか、微笑んでくれる。大丈夫だと言うように。


「では、私と剣の試合をいたしませんか」

「試合を?」

「騎士同士、一番納得できる形だと思います。勝てばチャンスを与えます。負ければ潔く諦めてください」

「……! 分かりました」


 レナードに話は通しておくと言い、フレディは一度敬礼した後、部屋を出る。その時に目を合わせられたような気がしたが、アイリスは逸らしてしまった。どんな顔で相手を見ればいいのか分からない。


 彼が部屋を出てから、気が抜ける。

 思わずよろめきそうになった。


 それを、ロイが支えてくれる。


「大丈夫か」

「すみません……。フレディ殿があんなことを言うとは、思わなくて」

「前から言っていると思うが、アイリスには魅力がある。それが隣国の人にも伝わっていただけだ」


 そんな風に言われても。

 驚きすぎてそれ以上何も思えない。


「……この件、リアン殿下にもお伝えしないといけませんね」


 さすがに主人を抜きに話を進めるわけにはいかない。レナードに話が行くなら、自ずとリアンの耳にも入るだろう。少し憂鬱だ。何を言われるだろう。自分のせいで試合をすることになるのだから。


「交流試合のようなものだから大丈夫だろう。リアン殿下は剣の試合を見るのが好きなお方だ」


 確かに自国の剣術大会を運営するくらいだ。

 毎年欠かさず試合を見守ってくれている。


 互いの騎士が剣を振るう姿を見られるのは、喜ぶかもしれない。それはいいが、試合をする経緯を知られたら何と言われるか。からかわれるのが目に浮かぶ。


 それがちょっと嫌だ。


「アイリス。一つだけ確認したい」

「?」


 彼の目が真っ直ぐ見つめてくる。


「勝って、いいんだな」

「……!」


 ロイなりに返答が気になっていたのだろう。

 確かにフレディには何も言えなかった。


 だがそれは、どう断ればいいのか分からなかっただけで。ロイが提案してくれたことに、どれだけ救われて、心がほっとしたか。


(私がフレディ殿の元へ行くことは、決してないわ)


 自分の中で気持ちはすでに決まっている。


 ロイが好きであると。

 選べと言われたらロイを選ぶ。


 決まっているから迷うことはない。

 アイリスは深く頷く。


「はい。勝ってください」


 迷わず、堂々と伝えた。


 するとロイは、優しく笑ってくれる。

 言い切ったアイリスの気持ちが、嬉しいように。


「分かった。必ず勝つ」


 ロイも揺るぎない声色で誓ってくれる。

 それにアイリスは顔がほころんだ。


 フレディと試合をしたことがあるので、彼の実力は理解している。元々国の代表騎士として選ばれていたし、対戦して引き分けだったので、実力は折り紙付きだろう。ロイに試合を提案されても、動じていなかった。王国一の騎士であると知ってもなお、彼の意志の固さを知る。


 だがそれでもロイは、騎士の中で誰より腕前があり、剣を扱うのが上手い人だ。そんな人が堂々と約束してくれるのだから、心配はしていない。ただ信じればいいのだと、思える。


「剣術大会を思い出すな」

「今回私は、最前席で見られるわけですね」


 自国で開催される剣術大会は、多くの人が集まる。

 会場が満席になるくらいに。


 それ故に、前で見られるとは限らない。


 だが今回は、アイリスを巡っての試合だ。きっと一番前に立って見ることになるのだろう。目を逸らさず、最初から最後まで見届けたいと思う。


「アイリス。俺が勝ったら、褒美が欲しい」

「ほ、褒美?」

「リアン殿下が報酬を増やすと言っていただろう。少し羨ましかったんだ」


 今年の剣術大会から、報酬を増やすことが決まった。「ロイが出場できないから」だが、ロイからすれば、羨んでしまう気持ちはあったようだ。


 それに今年はグレイが出場する。彼と手合わせしたかったと言ったロイの顔は、本当に悔しそうで、それが少しだけ可愛く見えた。褒美が欲しいなどと素直に言われては、叶えたくなる。


「分かりました。これは元々私から始まったことですし、なんでもどうぞ」

「なんでもいいのか」

「私にできることなら」


 ロイは無謀なことを言ったりしない。

 だから微笑んでそう伝えた。


 のに。


「口づけが欲しい」


 アイリスは目を見開く。

 時が止まったような感覚になった。


 相手は真摯な眼差しを向けてくる。

 冗談を言っているわけではないと伝えるように。


 急なフレディの告白で、いつの間にか空気は変わっていた。


 重苦しいものから、普段のものへ。成り行きではあるがいつも通りに話すことができて、ほっとしていたのに。


 それが今、ぴんと糸を張ったような。

 緊張感に包まれた。







「……分からないわ」


 アイリスは項垂れる。


 先程の会話が。

 彼に伝えてしまった返答が。


(どうしてあんなこと言ってしまったの)


 悩むように眉を寄せてしまう。


 普段の自分であれば決してあんな返しはしていないはず。なぜ、と聞けばよかった。冗談だろう、と笑えばよかった。それともロイの言葉を聞かなかったことにすればよかっただろうか。


 結果、どれもできなかった。


 あろうことか、承諾してしまった。

 心の中で悲鳴を上げてしまう。


(なんで、なんでわかりましたと言ってしまったの私はっ。普通にできませんと言えばよかったじゃないっ。私にできるわけがないでしょう!?)


 アイリスは頭を抱える。


 だが言い訳はさせてほしい。

 できるから承諾したのではない。


 あの眼差しでずっと見つめられて。

 自然と口からこぼれてしまったのだ。


(……ロイ殿は一体どういうつもりで言ったの)


 理由を述べてくれたら納得したかもしれない。


 勝利の褒美としてアイリスがその行為をすれば、フレディもやっぱりアイリスの気持ちはロイなのだと、分かってくれる、とか。いっそそう言ってくれたら、受け入れることもできたかもしれないのに。


 ロイは頷くことしかしてくれなかった。

 それ以外は何も言ってくれなかった。


 なんだか淡白な様子だった。

 どういう気持ちで言ったんだ。


 その後は気まずくて、互いに会話を交わすことはなかった。リアンが散策に行ったことを知ったメイドが、気を利かせて各自の部屋に案内してくれた。


 それ以上余計なことは言わなくて済んだわけだが、本当に欲しい情報が手に入っていない。それに、言われた側はこんなに悩んでいるのに、言った側は涼しい顔だった。段々腹が立ってくる。


「何が分からないんですか?」


 高く柔らかい声にアイリスははっとする。

 目の前にいるモネが、可愛らしく首を傾げていた。


 今彼女と話しているのはアイリスだけ。


 ロイとリアンは、急に剣の試合を行うことが決まったので、レナードと集まってどのように行うか話し合っている。一人になってしまうアイリスを気遣って、モネが呼んでくれたのだ。


 彼女の質問に、苦笑気味に答える。


「男性の思考が、たまに分からないことがありまして」

「私もお兄様の考えがよく分からないことがありますわ」

「そうですよね……」


 モネはふふ、と微笑む。


「ロイ様のことを考えていらっしゃいました?」

「!」

「なんとなく、そうではないかと思って」

「……モネ殿下には隠し事ができませんね」

「ふふふ。本当にロイ様がお好きなんですね」

「え」

「とても可愛らしいお顔になっていましたわ」


(……どういう顔ですか)


 とは、聞けず。


 誤魔化すように亀のように首を縮ませる。このままでは自然とロイの話になってしまう。今の状況だとより耐えられないので、早々に話題を変える。


「リアン殿下の様子を隠れて見る、というお話があったと思うのですが」

「はい」

「モネ殿下は、荒い口調の方をどう思いますか?」

「荒い口調?」

「その、敬語がなく、少し上からのような……」


 リアンがモネに嫌われるのではないかと心配していたため、事前にどうにか聞き出せないだろうかと考えた。が、口で説明するのが思った以上に難しい。相手もきょとんとしている。


 そもそも第一王女であるモネにそんな口調で話す人などいないだろう。だからといって「野蛮な」という言葉を彼女の耳に入れさせるのもどうかと。アイリスは悩みながらどう伝えようかと迷う。


 するとくすっと笑われた。


「過去に一度、そのような方に出会ったことはあります」

「え」

「私が十四の話です。生誕祭があって、馬車で国民の前に姿を見せる機会がありました。城へ帰ろうとする時に馬車にトラブルがあり、しばらく道で止まっていたんです。私は城下にあまり行ったことがなくて、美味しそうな香りにつられて一人で移動してしまって」

「……まさか」

「迷子になってしまったんです」


 モネが反省するように笑っている。


「一人で移動してしまい、従者も傍にいなくて。どうしようかと思っていた時に、ローブを着ていた男性……私より少し年上の青年に会ったんです」

「えっ。大丈夫でしたか?」


 目の前にモネがいるのだから身は安全であったことは分かるが、それでも男性に出くわすなど、当時のモネからしたら怖かったんじゃないだろうか。案の定、最初は驚いて震えていたらしい。


「でも相手は私が王女であると分かったようで、声をかけてくれました」


 モネは微笑みを浮かべている。

 当時を思い出すように。


 優しく声をかけてもらったのかと思えば。

 「何やってるんだお前」と言われたらしい。


 アイリスは思わず眉を寄せる。


「ちょっと待ってください。初対面なのにその人失礼過ぎませんか」


 モネの代わりにアイリスが怒りたくなる。

 王女にお前呼ばわりとはなんたる無礼。


 彼女は慌てて首を振った。


「その後、彼が着ていたローブを被せてくれたんです。その格好だと目立って、王女だと分かってしまうからと」


 頭まですっぽり隠れた後、彼はすぐに道案内してくれたようだ。手を引っ張り、一緒に走ったと。おかげで従者がいる場所まで戻ることができた。彼はローブを脱ぐとき帽子を持っていたようで、顔や髪は見えないように隠していたという。だからどんな人物なのか、あまり覚えていないようだ。


「最後に彼は『もう迷子になるなよ』と優しく頭を撫でてくれました。言葉は少し不器用な感じがしましたが、一連の行動は優しさに溢れていましたわ」


 モネの表情はなんだか嬉しそうだった。

 相手の口調に嫌な思いはなかったということだ。


「また会えたらと国中を探したんですが、見つからなくて。お礼も言えていないんです。……もう一度、会えたらいいのですが。三年も経ってしまいました」


 モネは少し残念そうな顔になる。


 年数がかかっているなら、確かに会える可能性は低い。モネが成長したように、彼も成長しているだろう。背丈や雰囲気も変わってしまっているかもしれない。


「そうですわ。イナウ」


 近くにいたメイドの名前を呼び、モネはあることを頼む。するとメイドは頷き、その場を離れた。しばらくすれば、何かを持ってモネに近付く。


「これがその時のローブなんです」


 モネが笑顔で見せてくれる。


 土色のそれは、想像より生地が厚いものだった。フードの裏地もいい素材でできており、隠しポケットがいくつもある。簡素なものではない。何かあっても大丈夫なように、機能性がいい作りになっている。


(一般の人が手にするローブとは少し違うわね)


 アイリスは思わず細かいところまで見てしまう。するとフードの裾の端に、ある刺繍を見つけた。よく見ると小さく「K」の文字がある。


(これ、まさか)


 自国の高級洋服店「カルシディーク」を思い出す。そこは完全オーダーメイド制だ。自分の店で作ったものだと分かるよう、必ず刺繍をしている。大体は店の紋章を表しているのだが、特別な刺繍がある。


 それが「K」。

 「KING」。


 カルシディークは王族御用達の店でもある。


 「K」の意味は「国王」だが、これらは全て「王族の服」であることを示す。ということはつまり、王族のうちの誰かがこのローブの持ち主。これは側近のようなことをすることになった時、グレイに教わった。服の裏地の裾を見れば、王族のものかそうでないか分かると。


(……リアン殿下か、バルウィン殿下?)


 だが口調的にバルウィンは考えにくい。彼ならきっと、優しく接してくれるだろう。とするとリアンではないかと思うが、それならなぜ正体を明かさないのだろう。モネであることは知っていたはずなのに。


(いやでも、モネ殿下に対して常に挙動不審だし)


 アイリスは思わず口を開く。


「モネ殿下。このローブ、貸していただけますか」

「え……?」

「もしかすると、ですが、この持ち主を知っているかも知れません」

「っ! 本当ですか!?」

「断定はできませんが、もしかしたら。確認したいことがありまして」

「も、もちろんです。お貸しします。……だって私」


 モネはそっと自分の口元を両手で覆う。

 少し恥ずかしそうに。


「その方に憧れているんです。私も彼のように、人を助けられる人になりたいと」


 顔を見れば、恋の花が咲いているように見えた。

 アイリスは思わず微笑んでしまう。


 だが、身分上結ばれることはないと、おそらくモネは思っているのだろう。城下で会ったということは、彼の方が身分が下であると思っているから。


 ……いやもし彼がリアンだとして、なぜ隣国の城下にいたのだろうか。しかも変装をして。それも気になるところだ。


(さて、どう言おうかしら)


 アイリスは考え始める。


 素直に聞いたところで彼は賢い。今までの様子を見るからに、はぐらかされる気がする。だがモネに嫌われたくはないはず。両者の絆を結んでやろうと、アイリスは含み笑いをする。ロイと交わしてしまった約束は、この時だけは忘れていた。

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