20*隣国の姫 -01-

「予定変更だ」

「「……え?」」


 馬車に揺られながら渋い顔をしているリアンに、向かい合わせで座っているアイリスとロイは同時に声を出す。互いに正装を身に纏い、まさに隣国へ向かっている最中だ。それなのに予定変更とは何事か。


「今朝レナード殿下から手紙が届いた。別の人と会ってほしいらしい」

「はぁあ……?」


 ここに来て別の人とチェンジとは。

 アイリスは思い切り顔を歪めてしまう。


「その方はどなたですか」


 ロイは冷静に聞く。


 リアンは疲れたような顔で思い切り溜息をついていた。言いたくないのか、勿体ぶったように黙っている。しかめ面のアイリスは早く言ってくれと伝える。


「……モネ殿下だ」


 二人は思わず顔を見合わせた。


「レナード殿下の妹姫ですか」

「どうしてモネ殿下が?」


 昨日話題に出た人物の名前に、驚きよりも疑問が出てしまう。深窓の姫と呼ばれるモネ・ラングラスが、どうして会ってくれるというのだろう。


 するとリアンは額を抑えている。


「俺が知るかよ……。今朝急に手紙が来たんだぞ」


 どうやらリアンにとっても予想外だったようだ。


 明け方に手紙が届き、内容を読んで驚愕したという。出迎えはレナードがしてくれるようだ。その後、モネと面会することになるという。手紙は簡単な流れと謝罪しか書かれていなかったようで、結局は行ってみないとよく分からないらしい。


 リアンは息を吐きながら遠い目をしている。いつもは余裕の佇まいであるのに、あからさまに気分が下がっているようにも見受けられた。


 ロイが心配するように問いかける。


「昨日も気になったのですが、モネ殿下と何かあったのですか」

「えっ?」


 リアンは声を裏返した。

 明らかに何かあったと言わんばかりに。


「何したんですか……」

「何もしてねぇよ。そこ疑いの目で見るな」


 アイリスの正直過ぎる視線にリアンは声を荒ぶる。

 そっぽを向きながら言葉を続けた。


「……ほんとに何もしてないんだよ。挨拶とか少し会話をしたくらいだ。その時なぜか睨まれた」

「何かしたってことじゃないですか」

「だからしてねぇって。さすがに他の王族のこの態度は出してない。レナード殿下は別だけどな」


 リアンはいつもくだけた口調で話すが、目上の者や身分が高い者には礼儀正しい。会話をしたことがあるということは、その時は猫をかぶっていたのだろう。礼儀作法は身についているので、それだけで睨まれるのは確かにおかしな話だ。


「モネ殿下の様子を観察してみます。気になったことがありましたらお伝えしますので」

「さすがロイ。お前がいてくれて本当によかった」

「私も観察しておきますね。多分リアン殿下が百パーセント悪いと思いますけど」

「遠慮がないなお前は」


 いつもなら覇気のある言い返しだが、今日のリアンは小さく呟くだけにとどまった。その様子に、本当にただ事ではないのだと、アイリスも心配になる。


 リアンはまた深い溜息をついていた。

 これからモネに会うのが気が重いように。







「リアン~! よく来たね」


 隣国の城の前に到着すれば、第一王子のレナードが出迎えてくれた。長い金髪を揺らしながらぶんぶん手を振っている。友人の来訪を喜んでいる様子だ。するとリアンはすぐに彼の首を自分の腕で軽く締め、他の者から距離を取った。


「おいレナード。どういうつもりだ」


 周りに聞こえないように小声で聞く。


「やだなぁ。君がモネとのこと応援してほしいって言ったんだろう? 手順をすっ飛ばしただけだよ」

「こんな予定じゃなかっただろ。モネ殿下に何を言ったんだ」

「来てくれるとしか言ってないよ。君のことをよく知る幼馴染カップルと一緒にって。それを聞いて会ってみたいって急に言い出したんだ。モネも君のこと気になってたんじゃないかな」

「気になるってなんだよ。そんなに関わったことないだろ。大体だって知らないはずだ」

「それは本人に聞いてみないと分からないね~」


 のんびりした口調で言った後、レナードはするりとリアンの腕から逃れる。放置されていたアイリスとロイの目の前まで足を進め、丁寧に挨拶をしてくれた。


「この国へようこそ。歓迎するよ」

「お招きありがとうございます、レナード殿下」

「君が幼馴染のアイリスか。噂通り綺麗だね。リアンからは口うるさいと聞いていたけど、全然そんな風には見えないな」


(何言ってるのよあの人は)


 アイリスは内心、リアンに対して毒づく。

 するといつの間にかレナードに手を取られた。


「歓迎のキスをしても?」


 にこっと柔らかく微笑まれる。

 その笑みがまばゆく見えた。


「お気持ちだけで結構です」


 ロイの手が、二人の間に入る。

 丁寧な口調だが、少しだけ冷たくも聞こえた。


 するとレナードはロイを見てにやっと笑う。


「君がアイリスの婚約者?」

「はい。ロイ・グラディアンと申します」


 アイリスに恋人兼婚約者がいる、ということはリアンを通じて話しているはずだ。それも分かった上でレナードは今、こちらと話しているはず。


「そう。優顔だけど怒ると怖そうだね」


 言いながら今度はロイの腕を掴む。

 急に掴まれたことで、ロイは少し眉を寄せた。


 レナードはにっこりと嬉しそうだ。


「僕、性別関係ないから」

「「…………え」」

「君の方が好みかもしれないな~」


 言いながらぱっと手を離していた。

 二人は彼の言葉に固まっている。


(女好きとは聞いていたけど、まさか)


 さすがにその話は聞いていない。

 リアンも教えてくれなかった。


 だが彼は想像以上に美しい人だ。肌艶だっていいし、髪も肩よりだいぶ長い。美しい男性だと理解しているつもりだったが、どちらかというと中性的かもしれない。性別問わず誰でも、ということはロイだって狙われるということで。男女共に好かれている彼だから、レナードが気に入るのも無理はない。


 アイリスは慌てて二人の間に入る。


「彼は、渡せません」


 きょとんとされたが、また笑われる。

 目を細めながら。


「二人して牽制してくるんだね。僕の入る余地はないみたいだ」

「おいレナード。手紙のことを説明しろ」


 逃げられて不機嫌そうなリアンが傍に来る。


「すぐ分かるよ」


 と言った直後に。


 こつこつと靴を鳴らす音が聞こえる。

 メイド服に身を包んだ一人の女性がやってきた。


「失礼いたします。モネ殿下がお待ちでございます」


 すっと彼女が手を動かす。

 モネが待つ場所へと道案内してくれるようだ。


 リアンが顔を険しくした。

 そのまま彼女についていこうとしたが。


「リアン殿下は別でございます」

「……?」

「モネ殿下は、アイリス様とロイ様面会をご希望です」


(どういうことなの?)


 リアンを差し置いて会うことになるとは。

 ますますモネが面会を希望する理由が分からない。


「……アイリス。ロイ。行ってくれ」

「ですが」

「いいから。俺からの命令だ」


 リアンは大人しくその場にいた。

 表情は硬いままだった。


 どこか、少しだけ寂しいような、悲しみが含まれているようにも見える。まるで、お気に入りのおもちゃを取り上げられて、勉強を促された子供のように。じっと耐えている様子と重なって見えた。


「行ってまいります」


 一言告げた後、二人は歩き出した。




 モネがいる場所は思ったより距離があるようで、歩きながらどんどん景色が変わってくる。最初は長い廊下。次に外を抜け、植物に囲まれた場所へ移動する。どうやら離宮に行くようだ。そこでモネが待っているらしい。普通の王族は一緒の城で寝食を共にするが、モネは別なのだろうか。より「深窓の姫」らしいと感じる。


「アイリスは先程の話をどう思う」


 ロイがこそっと話しかけてくる。


 メイドは自分達よりだいぶ前にいる。

 聞こえないだろうと思って口を開いたのだろう。


「リアン殿下は身に覚えがないようだが」

「お話を聞く限り、リアン殿下が何かしたとは考えにくいです。あの人は自覚しますから。自覚した上でけしかける人ですから」

「日頃鍛えられているだけあるな」


 同情するように苦笑された。

 自分でもそう思う。


「それにあんな顔……初めて見ました」

「確かに珍しい。いつもは余裕がある様子だが」

「嫌われているかもしれない、と思っているかもしれないですね。あまり面識がない方にそう思われるのは、人として辛く感じますし」


 レナードと仲が良い分、その身内から敵意があるような目を向けられるのは、しんどく思ってしまうものだ。今日のリアンは抑えてはいたが、日頃よりも感情がよく出ていたように思う。面会もしてもらえないのは、除け者にされているようで辛い。なぜ二人だけを指名したのかは分からないが、これは与えられた機会でもある。


「俺達にできることをしよう」

「はい。両国の絆を結ぶためにも」


 両国共、元々交流はある。が、モネは賢い王女だ。こちらの国を、その王子であるリアンに対してどう思っているのか、聞いてみなければ分からない。


「しかし、まさかこうなるとは思いませんでした」

「?」

「レナード殿下から気に入られたという話で来たのに、思ったよりあっさりしている様子でしたし。あんなに準備する必要はあったんでしょうか」


 色々言われるのでは、と身構えてきたのに拍子抜けしてしまう。必死で恋人の特訓をしたというのに。手伝ってくれたジェシカが聞いたらどう思うだろうか。彼女の場合は笑ってくれそうな気もするが。


「アイリスとの関係性が深いと思ってもらえた。それは練習があってこそだ」

「そうでしょうか……」

「ああ。それに」


 急にロイがすっと手を伸ばす。

 アイリスの手に触れ、そのまま繋いだ。


 驚いて顔を向ければ、彼は優しく頬を緩ませる。


「俺も守ってもらえて嬉しかった」

「え?」

「渡せないって言ってくれただろう」

「あ、あれは。もちろんです。ロイ殿のような優秀な方は渡せません」

「婚約者としてではなく?」

「そ……それも、ありますが」

「よかった」


 言いながら彼は手を離さない。

 このまま歩いていく気だろうか。


 人の目が気になるところだが、仮にも婚約者なのだから、手を繋ぐのは普通な気もしてくる。だが少し油断した。あっさりレナードが引いたので、そういう関係性を見せる必要はないのだと、気が緩んでいた。だから今、急な相手の行動に、緊張している。


 だが繋がれた手は温かく。大きく。

 安心をもらえるので、嫌ではない。


(……早く、言ってしまいたいわ)


 相手の気持ちが分からないからこそ、少し心苦しい。こうやって気を遣ってくれるのも、ロイが優しいから、というのは分かっている。でもそれは別に、自分だけじゃないだろう。彼は優しい人だから。この婚約者の役も、別にアイリスでなくても、別の女性だったとしても、彼ならやり遂げる気がする。


 と、考えて。

 自分で少し、胸が苦しくなる。


 勝手な自分の想像で傷つくには。

 まだ早すぎるのに。


「? アイリス?」

「なんでもありません」


 笑って誤魔化す。

 心配をかけないように。


 気持ちを伝えることで、もし彼の気持ちが別の人にあれば。もうこうして二人で並ぶことはないのか。例え弟子でも。ロイに大切な人ができたら、自分はもう、一緒にはいられない。一緒にいてもらえない。それに気付いてしまって、アイリスは後悔する。どうしてそこまで想像してしまったのだろう。自分にも優しくしてくれるから、そんな風に考えてしまったのだろうか。


(ロイ殿が優しいことなんて、前から分かっているのに。私に優しいのも、弟子だから。そうでなくてもロイ殿は、誰に対しても優しいわ)


 自分の性格が気難しいのは知っている。女性らしくないところも、自分で残念に思うことがある。昔からそれを思う度に切なくなって、心が泣いて。でも実際泣くことはできなくて。


(……気持ちを伝えようと覚悟したのに)


 迷い始めている。


 今のままが、いいんじゃないかと。伝えたところでもう一緒にはいられないかもしれないと思うと。どうしたらいいのか、分からなくなってきた。


「こちらです」


 メイドの言葉ではっとする。


 いつの間にか離宮の中に入り、大きくて立派なドアの前にいた。歩いている間、周りを見る余裕がなかったようだ。アイリスは気持ちを切り替える。今は自分の感情に浸っている場合ではない。


 二人はゆっくりとドアを開けた。

 すると一人の人物が、立って待っていた。


「ようこそ」


 心地よい中音の声。


 まるで夜を連想させる藍色の長い髪は腰まであり、同じ色の瞳にある睫毛は長く、動く度にぱちぱちしている。装飾が少ない紺色のシンプルなドレスを着ている少女が、その場にいた。まるで夜の空のように静かに、だけどその空に輝く星のような存在感がある。


 まるでアンティークの人形のようだ。

 見る者をはっとさせるほど美しい。


 かなりの色白で、あまり外に出ていないのかもしれない。公の場でもその姿はあまり拝見しないと聞く。こうして会えることは本当に貴重なのだと、実感する。


「モネ・ラングラスです。おかけになって」


 すっと客人用の椅子に案内される。

 二人は言われるままに移動した。


 ここは応接室なのだろうか。


 一級品と呼ばれる品物が当たり前のように存在している。椅子もふかふかで座り心地がいい。メイドが事前に用意していたのか、紅茶が目の前に出てくる。


「急にお呼びして申し訳ありません」


 まさかそう言われると思わず萎縮する。


「いえ。お目にかかれて光栄です」

「紅茶をどうぞ」


 モネは自分のカップに手をつける。

 音も立てず静かに飲んでいた。


 二人も同じように口につける。

 いい茶葉だ。香りがいい。


 おそらくお茶で有名な国から取り寄せたものだ。

 こちらの国にはない味で、珍しい味がした。


「早速ですけれど」

「はい」

「お呼びしたのは、リアン殿下について尋ねたいからです」

「「!」」


 直球で聞かれた。


 モネは真顔でこちらを見ている。

 感情が表に出ない。それが少し、恐ろしい。


 ロイがゆっくり問いかけた。


「我が国の第二王子が、いかがなされましたか」

「私の兄と仲が良いのはご存じですか」

「はい。仲良くさせていただいていると」

「私は正直、兄を軽蔑しております」


 え、とアイリスは呟きそうになったが口を閉じる。

 まさか身内の批判が始まるとは。


「誰彼構わず節操がない。王族としていかがなものかと思います。先程挨拶をしたのでしょう。口説かれませんでした?」


 思わず二人して黙ってしまう。

 似たようなことはあったので否定できなかった。


 すると予想通りだったのだろう。

 モネはふう、と息を吐く。


「人として魅力があるのは分かります。能力があることも。ですが、手が早い点だけ軽蔑します。いずれはこの国を継ぐ者です。あの人のせいで悲しむ人が増えると思うと……眩暈がしそうですわ」


(先のことまで考えているのね)


 王子が女好きなのは(性別は問わない様子だが)国民に示しがつくのだろうかと若干思っていたのだが、妹であるモネが言うということは、振り回されている者は多いのだろう。モネは兄と違って本当に真面目でまともな人物であることが分かる。


「ですからリアン殿下のことを聞きたいのです。あの兄の友人だなんて。聞けばよく城下にお忍びで出かけているのでしょう? 兄と同じように遊んでいる方ではないかと」


 モネは始終眉を寄せた表情をしている。軽蔑している兄の友人であるリアンのことも、軽蔑しているように。


 だから本人にも睨んだのだろうか。どうやらレナードはリアン以外に特定で仲の良い人はいないようだ。似た者同士が揃うと何をしでかすか分からない。不安になるのも無理はない。彼女の気苦労を想像した。


「アイリス様は幼馴染だと聞きました。なんでも話せる間柄だと。本当のことを聞けると思って」

「だから私に会おうと思われたのですか」

「ええ。私は嘘偽りが嫌いですから」


 ばっさり言い切る。


 リアンを贔屓するような言葉は聞きたくない。ただ本当のことが知りたい。そう思うからリアン抜きで話したかったのかもしれない。だがそれならアイリスだけ呼べばいいはず。どうしてロイも一緒に連れてきたのだろう。


(……まぁ。あのままロイ殿も待つ側だったら心配だったわ)


 レナードに何かされるかもしれないから。

 アイリスは気を取り直し、モネを見つめる。


 自身も噓偽りは好きではない。

 そういった意味では仲良くなれそうだ。


「リアン殿下に近い者としてお伝えいたします」

「ええ」


 モネは深く頷く。


 アイリスは、ふっと微笑む。

 安心してほしくて。


「リアン殿下は、モネ殿下が思われている方ではありませんよ」

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