第2話

 目の前が真っ赤に染まるようだ。

 悲しみや絶望といった感情の全てが、怒りに変わったようで、身体中の血液が沸騰しているかのような錯覚まで起こす。

 この国全てが憎い。

 神殿の神官達も、王族も。そして、家族を死に追いやった民達までも。

 嘘の噂を信じて、私から全てを奪った、この国の全てが憎い。


「良かったな。家族の元へ行けるぞ。追放なんて生ぬるいんだよ。お前の処刑が決まった」


 高笑いをして言う王太子殿下を睨みつける。

 ただ、家族と笑い合って幸せに暮らしたかった。

 私の願いは、たったそれだけだったと言うのに。


「まだ睨む気力があるか、偽聖女。処刑台に行っても同じ目でいられるかな」


 ガシャンと牢が開けられ、騎士達が入ってくる。

 処刑になった事も、ギリギリのタイミングで知らされるのか。私だけが、また知らなかっただけなのだろう。

 死ぬ間際に全てを教えて絶望を叩きつけるとは、何て悪趣味な。


「だったら! せめて家族が死んだ場所に……森で野垂れ死なせて! 獣に食わせて!」


 同じ獣に食われるとは限らないけれど、どうせ死ぬのならせめてと思い懇願する。

 けれど、王太子殿下はそれすら愉快と言ったように見下ろして笑う。


「いいや、お前には処刑がお似合いだ」


 一筋の。

 たった一つの希望すらも聞いては貰えない。


「せめて! だったらせめて死体を森に!」

「見せしめとするに決まってるだろう! お前の望みなんて何一つ叶いはしない! 否、叶えるわけがないだろう! 罪人偽聖女よ!」


 問答無用で騎士達に牢から引きずり出される。

 私の声、願い。そんなのは全く意に介さず、ただの物のように扱われる。

 聖女の力とは豊穣。つまりは、所詮ただの小娘だ。どれだけ抵抗したところで、騎士達の力に適うわけなどない。

 そんな事は理解していても、必死に抵抗する。

 死ぬのは良い。どうせもう誰も居ないのだから。

 だったら、せめて……せめて家族と同じ場所に。

 どうして、それすら叶えてもらえないのだ。

 私が何をしたと言うの。

 足や手が傷つき、爪が割れても、物のように引きずられ、処刑場へ投げ捨てられた。


「やっと出て来た!」

「この偽聖女め!」

「贅沢した分を返せ!」

「俺達の金を何だと思ってる!」

「同じ平民だったくせに!」


 耳をつんざくような罵声の嵐と共に、固い物が投げつけられた。

 ドロッとした液体が頭部から伝い、何かと思えば、血だった。……私の血だ。

 固い物は石で、処刑の見物に来ていた民達が一斉に私へと投げつけているのを、ようやっと理解した。


 ――贅沢なんて、していないのに。


 ここにも、嘘を信じた者達が溢れ、私は悪意に晒されているのか。

 そう思えば、感情がスッと無くなり、冷たいものが身体中に駆け巡るようだった。

 人々の恨みを一身に浴び、私は処刑台へと固定される。

 恨みたいのは、私だ。

 そう思えば、先ほどまで懇願していたような声や涙なんて全て枯れ果てた。


 ――私の存在は一体何だったというのか。


 勝手に神殿へ連れてこられ、こき使われて。

 挙句に冤罪で処刑。家族も殺された。


「殺せー!」

「死を持って償え!」

「命で贖え!」


 何もしていない相手に、酷い言葉を浴びせ、石を投げかけるものなのかと、鼻で笑う。

 くだらない。

 本当にくだらない。


 ――この国が……くだらない。


「落とせ」


 何の感情も籠っていない声で下された刑の執行。

 ガンッと、首の後ろに固い物が当たり、痛みが走る。温かい液体が広がっていくのを感じながらも、私の意識は飛びさえもしない。

 痛みより憎しみが。

 叫ぶより恨みが。

 私の死を望む歓声に、これ以上こいつらを喜ばせてなるものかという思いが耐えさせる。


「もう一度」


 再度落とされる刃。

 余程錆びているか、切れ味が悪いのだろう。

 一思いに死ぬ事も出来ないなんて。

 何度も振り落とされる刃の中、私は自身の意識がなくなり、命が絶たれるその瞬間まで、ただ憎悪の炎を燃やし続けた。


 ――許さない許さない許さない許さない許さない!


 そうして私は処刑された。




 ◇




 意識が浮上する。

 再び目を開けた私は、一瞬にして此処が現世ではない事を悟った。

 広がる澄んだ青空に、緑が生い茂る大地は普通なのだが、花は空中を舞っていて、目の高さには小さな雲が浮かんでいる。

 目の前にある雲へ手を伸ばそうとしたら、ふわふわもこもこな前足のようなものが見えた。

 思わず自分の身体を眺めれば、全身ふわもこで、立とうとすれば四足歩行になっている事に気が付いた。


『目覚めたのね……』


 いつの間にか目の前には、美しく長いたてがみを綺麗に靡かせ、額には一角のある、もふもふした馬が居た。

 いや、これは馬じゃない。絵画などで何度も見て来た。


 ――聖獣。


 そこから、全てを理解するのは早かった。

 全てが頭の中に入ってくるように……、否、まるで全てを知っていたのを思い出すように。

 ここは聖獣の住まう空間で、目の前に居るのは、紛れもなく聖獣で……自分はその子どもなのだと。

 

 ――そう、これが本来の聖女である私の役目だ。


 聖女と呼ばれる存在は、その生を全うしたら聖獣となる。

 そして、聖獣となってからも国を守るのが役目なのだ。

 聖獣の寿命は長いけれど不死ではない。だからこそ、聖獣としての生が途切れる前に、次の聖女が生まれて、生を全うし終えてから聖獣の世代交代となる。

 聖女として国を愛し、国を守り、国を我が子のように思えるよう、人間として一度生まれるのだと。

 ……だけれど、私は、まだ死ぬ運命ではなかった。

 生を全うしていないのだ。だって、処刑されたのだから。

 いきなり寿命を絶たれたようなものだ。


 ――だからこそ……今の聖獣は、まだ寿命が残っている。


 それが僅か数十年とはいえ。

 私は、そんな事まで全て見通せるようになっていた。私が本来持っていた寿命の残りは五十年程あった事までも、それこそ神のように知っている。

 未知の力とでも言うのだろうか。しかし、驚きはない。だって、知っているのは知っているのだから。何故知っているのと言われても、それこそ分からないとしか言いようがない感覚。

 驚きもなく、ただ淡々と知っているから、で全てを受け入れられている。


『可哀そうに』


 そんな言葉と共に、聖獣はふわふわとした尻尾で私を包み込んだ。

 ふと上を見上げれば、聖獣の目からは涙が溢れている。


『なんて酷い事を……』


 私の受けた仕打ちに対してだろう。

 聖獣なのだから知っていて当然だ。私の生きて来た様を見守っていただろう。

 美しく涙を流す聖獣は、どれほど国を思って守って来たのだろう。

 だけれど、私は違う。


「私は守らない。復讐してやる」


 見ていたなら分かっている筈だ。

 私がどれほど恨み、死んでいったかを。

 どれだけの絶望を与えられたのかを。

 言うなれば、死んでからも家族には会えないのだ。……聖女として、聖獣になったから。人間とは違う死後の世界だ。

 私は、聖女として無理やり神殿に連れていかれた時が、家族と会える本当に最後の時だったのだ。

 私の首は晒しものにされ、死体は王都の郊外へ打ち捨てられ、家族とは身体さえも別々にされた事を知っている。聖獣の力で分かっているのだ。

 憎悪を抱き続け復讐を決意する私を、聖獣は止める事もしなければ、頷く事もしない。

 ただ悲しそうな瞳を私に向けるだけだ。


『私は一体、何を守っていたのか……』


 ポツリと聖獣から零れ落ちた言葉。

 そのまま聖獣は私を尻尾で包みながらも、涙を流し続けた。


 ――何もない楽園。


 それが聖獣の住まう場所。

 ただ時間が過ぎていくだけ。

 国の事は頭の中で流れるように理解でき、知りたいと思えば知る事も出来る。そして、恩恵を与え続けるのだが、聖獣は嘆き悲しみ涙を流し続け……果てに、悲しみの末に衰弱死した。

 これも、本来与えられた寿命ではない。そして、私が次の聖獣となる。

 けれど、私は恩恵なんて与えない。与えるのは復讐の滅びだ。

 前の聖獣が残した恩恵は、これから徐々に減り、私の憎悪が国に降り積もりだろう。


 ――許さない。

 ――絶対に、許さない。


 あの国を。国に住まう全ての人間を。

 私のたった一つの望みすら奪った、あいつらを!

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