創作男女バレンタイン小話
雛星のえ
棗雅華×城島翔
「残るは翔だけになっちゃったわね……」
どうしてこんなことに、なんて苦々しい気持ちと共に言葉は吐き出された。誰もいないキッチンで一人唸り苦悩する。視線の先、向けられた調理台の上には白い箱が寂しそうに佇む。ここは確かに数時間前までは、包装された沢山の手作りお菓子で賑わっていた。
『これ僕に!? やったーありがと嬉しい! 実は僕も雅華≪みやか≫に用意してるんだ。これで交換だねっ!』
ネコやウサギなど、可愛らしい動物に象ったクッキーは星夜に。大げさと言ってもいいほどのリアクションをくれるものだから、こちらとしても作った甲斐があったといえる。
そんな彼女はお返しに、とピンクの小箱をくれた。中身は個包装されたチョコマシュマロだったので、ゆっくり味わっていこうと思う。
『わざわざどうも、有り難く頂戴するよ。時間があれば、君の好みを聞いてもいいかな。来月の参考にさせてほしい』
甘いものが苦手な岳には、ビターチョコで作ったカップケーキ。もとより表情の変化に乏しい彼でも、その口調と態度から感謝と喜びが見て取れた。
わざわざ気を遣わなくてもいいのよ、とやんわり断るも頑なに引き下がらない。少々頑固で融通の利かない部分のある岳のことだ……、早々に根負けして、ベリーの類いが好ましいことを伝えた。
そうして卓上から二つの紙袋が姿を消した。残されたのは、三号サイズの白いケーキ箱。彼らに渡した物に比べたらシンプルな外観であるが、中身は一番豪勢まである。
未だ調理台を守り続けるそれは、翔に渡す予定のものだった。あいにくと彼は朝から任務のため留守にしており、渡せずにいる。
……勘違いしないでほしい。これは別に私が彼の事を特別に思っているからだとか、なんて理由では決してなくて――そう、普段から無碍に扱ってしまうことへの贖罪、いわば迷惑料のようなもの。
私の普段、彼に対する態度は主観的に見てもいいものではないと、自覚している。
他の仲間に比べて雑な扱い、言葉より先に手が出る、そして結局キツい言葉も一緒に浴びせてしまう……などなど。
それらをたったこれだけで帳消しにしようなんて、甘く考えているわけではないが、何もしないよりかはマシだと思いたい。
でなければわざわざこんなに凝った物、それも手作りなんて、彼に渡すわけがない。……渡すわけがないのよ。
本来は直接渡して誠意を見せるのが筋なのだが、どうにも憚られる。緊張してるとかそんなことはない、またいらぬことを口にして、傷つけてしまうのが嫌なだけだ。
しばし唸り、ああそうだ、どうして思いつかなかったのだろうかと思い至る。
直接渡さずとも、部屋に置いておけばいいじゃない。
丁度いいことに、彼は外出中だ。このチャンスを逃さない手はない。そうとなれば早速行動だと、プレゼントを両手で持ち上げたとき。
「雅華ちゃんここにいんのー?」
「ひゃぁあっ!?」
突然投げかけられた声、それも覚えのあるものに驚き悲鳴を上げる。
振り返れば、入り口に立っていたのはまさに思い浮かべていたその人。
金髪のツーブロックに両耳を彩る銀のピアス、赤のチョーカー。つり上がった目尻に、どこか狼を想起させる鋭い顔つき。
仲間の一人である男、城島≪じょうしま≫翔≪しょう≫がきょとんとした顔でこちらを見つめていた。
「え、えぇえええと、何か用!?」
「戻ったから声かけただけ。向こうにはいなかったからさ」
「そ、そう。お帰りなさい」
大慌てで箱を調理台に置き、身体で覆い隠すようにして立ち塞ぐ。なるべく平静を装うも上手くいかず、わずかに声が裏返ってしまう。
なおも不思議そうな顔をして向けられるその視線に、内心冷や汗をかいていた。
どうしましょう……完全にタイミングを見失ったわ……!!
この期に及んで、諦めの悪い私はまだ部屋にこっそり置き去ることを考えて、直接渡すために必要な勇気を絞り出せずにいた。
星夜にあげたクッキーのように日持ちするならまだしも、できれば今日中に食べてもらいたいものだ。何故そこまでちゃんと考えなかったのだろうか、と後悔するも遅い。
その上――。外から戻って間もないであろう、翔の両手は大きな紙袋で塞がれていた。中身はどちらも溢れかえらんばかりに満たされている。十中八九、チョコレート菓子と見て間違いないだろう。
城島翔という男は人当たりがよく、相手の懐に入ることを得意としていた。同じように星夜も懐っこい性格をしているのだが、こちらは少々押しが強いせいか頑固者の岳と度々衝突を起こしている。彼女に比べたら、他者と諍いを起こす頻度は少ないと言えよう。
そんな彼はやや女好きのきらいがあった。依頼主が女性であれば、どんな無理難題も引き受けてしまう。見知らぬ女性が困っていれば即座に声をかけ助けに入る。最早、この町で翔を知らない女などいないのではないか、というほどの知名度。
だから紙袋いっぱいのお菓子だって、今日はバレンタインだからと彼のために用意した女の子たちから貰って……。
自分の意思に反して、涙が出そうになるのをなんとか堪える。苦しくて、心臓の辺りが見えない何かにぎゅうっと握られているような気さえするよう。
「雅華ちゃん機嫌悪い? 何かあった?」
「な、なんでもないわよ」
「そうなの?」
「そうよ。……わかったなら、さっさと部屋に行きなさいよ」
一刻でも早く立ち去ってほしいが故に、目線を彼の足下へ向け右手で追い払う仕草をする。
機嫌が悪いとするならば、それは紛れもない目の前の男のせいである。
少し優しくされたからって、助けてもらったからって、こんな日にプレゼントなんか渡しちゃってさ。彼も彼よ、そんな嬉しそうにしちゃって、みっともなく鼻の下伸ばしているんじゃないわよ。
名前も知らない貴方たちよりも、私の方が一緒にいる時間はずっと長いし、いろんなことだって、たくさん知っているのに。
この中身、どうしようかしら。少し甘めに作ってあるから岳は食べないだろうし。星夜に声をかけたら、喜んで消費に協力してくれるかしら。
「ふーん。ところで今日バレンタインだよな? さっきそこで、星夜からマシュマロ貰ったんだけど」
ところが翔ときたら、私のお願いとは真逆の行動を取り始めた。
キッチンにズカズカ入るなり冷蔵庫のそばに紙袋を置いた。案の定……というべきか、相当な重量を持つが故に大きな音を立て床に転がる。
「俺、雅華ちゃんからのチョコほしいな」
「えっ?」
……今、なんて?
私からの、チョコがほしい?
予想だにしない発言に耳を疑う。中身を両手に持ったら抱えきれんほどにたくさん頂戴しておいて、まだ足りないとでもいうつもりなのだろうか。
「雅華ちゃん。俺にはくれないの?」
「……う、えぇ、と……」
たじろぐ合間に翔はその距離をゆっくり詰めてくる。背後は塞がれ逃げ場なんてない。私よりも二十センチほど大きな彼は、穏やかに圧をかけながら迫り来る。
距離――鼻先も触れあってしまいそうな間合い。
観念した私は、箱を持ち上げぶっきらぼうに差し出した。
「そ、そんなにほしいなら、あげないこともないわよっ……」
「さんきゅー! 今ここで食ってもいい?」
「はっ!? 後にしなさい後に!」
「おぉ、すっごいなこれ……マジで美味そう」
「人の話聞きなさいよ」
受け取るなりテーブルの上へ載せ開封する。私の制止も聞かずに中身を確認した翔は、見るなり目を輝かせた。
真ん中に鎮座する、楕円柱型のケーキ。上面には粉砂糖がまぶされ、側には生クリームとミントが添えられる。
翔のためにと気合いを入れて作ったフォンダンショコラは、私の力作であった。
食器棚から即座にフォークを取り出し、入刀すれば中からトロトロ、溢れ出るチョコレート。翔は一口サイズにケーキを切って、チョコと絡めて口に運んだ。
「めっちゃ旨い、すげー美味しいよこれ。俺のために、作ってくれたんしょ? 有り難うな!」
話は聞かないし、私以外の人から貰ってそんな嬉しそうにしちゃってさ。今だって、口周りにはチョコがべったりくっついているし。本当嫌い。……大嫌いよ。
あぁけれど、そんな顔をしてくれるのなら、直接渡せてよかったな、だなんて。
思ってしまう私も、大概甘い。
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