第35話:遠江旗頭と捕鯨

天文18年7月16日:尾張那古野城:織田信長16歳視点


 黒鬼の家臣が井伊直平を案内してきた。

 事も有ろうに、黒鬼の直臣に成りたいと言う。

 普通は嘘でも余に仕えたいと言うべきだろう!


 黒鬼の活躍には言葉を失ってしまう。

 三河の旗頭にする事は決めていたが、遠江の国人地侍まで黒鬼を頼る。

 今川家が、1度でも逆らった国人に苛烈な扱いをした影響ではあるが……


 黒鬼が三河の旗頭と言っても、吉良家と黒鬼には領地争いの過去がある。

 矢作川の尾張側、安祥城の周囲は三郎五郎兄者が支配している。

 松平竹千代に忠誠を誓う者達も黒鬼には従わないだろう。


「分かった、黒鬼の寄り子に成りたいという願いは聞き届けてやる。

 孫の身代金を、これから立てる武功で支払いたいという願いも認める。

 だが、仕える主人は余だ、黒鬼ではない。

 家臣が勝手に領地を切り取り、国人地侍を家臣にするなど絶対に許されん!」


「はっ、上様の申される通りでございます。

 その事は主も十分承知しており、井伊様には何度も断っておりました。

 ただ、勝手に決める訳にもいかず、こうしてお連れさせて頂いたのです」


「分かっているなら良い、余は今川のような情け容赦のない主ではない。

 安心できる寄り親の世話に成りたい気持ちを、無視したりはしない。

 遠江と三河の国人地侍で、黒鬼の寄り子に成りたい者は全員認める」


「有り難き幸せでございます、主も心から喜ぶ事でしょう」


「遠江の国人に対する扱いは、これからも相談に来ればいい。

 話は変わるが、確かめておかなければならない事がある。

 渥美の開拓はどうなっている、大浜のように追い込み漁をしているのか?」


「はい、大浜だけでは使いきれない多くの船が手に入りました。

 船大工を使って大小の関船や小早船を新造しております。

 それらを使って追い込み漁を行っております」


「領地の年貢と追い込み漁の利はいくらくらいになる?」


「恐れながら手に入れたばかりの領地でございます。

 どれほどの年貢になるのか、どれほどの利を得られるのか、全く分かりません。

 追い込み漁自体が成功したとしても、得られた魚が売れるとは限りません」


「わかった、分かった、分かった、そう警戒するな。

 新たに得た渥美の年貢と利を、今直ぐ軍役にはせん。

 だが、大浜と荒子一帯の軍役は正確に課す。

 これまでのように、干鰯だけではなく、鰯油の分も軍役とする、よいな!」


「承りました、戻りましたら主に伝えます」


「それと、塩田の方はどうなっている?

 甲賀衆に命じて、多くの塩が得られる塩田の技を盗ませたのであろう?」


「はっ、塩田の開発は行っているのですが、最初にかなりの費えが必要です。

 毎年少しずつ塩田を広げていくとの事ですが、実際に塩を作れるようになるには1年はかかると、連れて来た職人が言っております」


「それで、来年はどれくらいの利が得られる?」


「職人は2000貫文の利が得られれば成功と申しておりました」


「たったそれだけなのか?!

 干鰯や鰯油の方が遥かに利が大きいではないか?!」


「主君慶次も随分と驚いておりました。

 皆で話し合ったのですが、海一面を覆うほどの鰯の群れを追い込めるからだという結論に成りましたが、何時までも同じように鰯が獲れるとは限りません。

 安定して塩を作れる塩田は必要だという結論になりました。

 鰯の群れを確保するには、多くの湊が必要と考え、遠江の湊も手に入れる事に成りました」


「ふむ、そうか、鷹狩と同じか、必ず獲物を狩れるとは限らぬか……

 多くの猟場があれば、獲物のいなくなった猟場を休ませる事もできるか?

 余も塩田を造る事にした、塩田の造り方を学んだら、職人を寄こせ。

 追い込み漁も同じだ、余も直轄領に民にやらせるから、やり方を教えろ」


「その事も戻りしだい主人に伝えさせていただきます」


「うむ、それと、前田、荒子、下一色城に置く兵力と指揮官だ。

 これまで通り前田蔵人が大将だが、蔵人は余の側に置く。

 実際に兵を指揮する者として、引き続き三輪青馬を尾張に置け。

 6000貫文の軍役は857兵だが、切りの良い1000兵を送れ。

 その代わり、さっきも言ったが、渥美の軍役は1年免じてやる」


「その事に関しましても、戻りしだい主人に報告させていただきます」


「他に黒鬼から言うべき事はないのか?

 軍役に係わる利が生まれる事をやっているのなら、隠さずに申せ。

 隠していると謀叛を疑わねばならぬ。

 林兄弟ではないが、黒鬼の働きが目覚ましすぎて、妬んでいる者が多い。

 松平の与十郎のように、主君が泣く泣く処分しなければいけなくなる事もある。

 隠し立てせずに全て話せ!」


「成功するかしないか分からない漁ですので、主人は成功してからお伝えすると申していたのですが、そこまで申されるのでしたら、臣から伝えさせていただきます。

 水軍の鍛錬もかねて、勇魚を狩る事を考えております。

 小さな勇魚でも、狩ることができれば4000貫文に成ります。

 鰯の群れがいなくなった時の為に、勇魚を狩る技を考えております」


「勇魚を狩るだと、本当にそのような事ができるのか?!」


「『できるかできないかは、やってみなければ分からない』と申しておりますが、主は本気で勇魚を狩る気でございます」


「そうか、勇魚を狩る気なのか、それは楽しみだ!

 勇魚が狩れたら余に献上せよ!」


「はっ、主は最初からそのつもりでございますが、献上する勇魚があまりに小さくては、主の面目に係わります。

 初物に限るのは御許し下さい、それなりの勇魚が狩れた時に献上させて頂きます」


「ならん、絶対にならん、どれほど小さくても初物は余が食べる、献上せよ」

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