17 それで満足だった

 いくら想い人の兄とはいえ、それだけは認められないと御縁は頬を膨らませた。


「イッセーくんは女たらしなんかじゃありません」


「いや、間違いなくあいつは女たらしだ。それも天然のな。なにせ転校先で、もう三人の女に惚れられている。しかも本人は、その自覚がゼロだからな」


「え……イッセーくん、矢継さんとお付き合いしてますよね?」


「それでも好きになっちゃったんだろうな、その子たちは。むしろ白雪ちゃんを追いかけたことで、ますます男に磨きがかかったのかもしれん」


「たしかにバレンタインのイッセーくんの行動は、ちょっと憧れます」


「バレンタインと言ったら、御縁はチョコをあげなかったのか?」


「毎年、イッセーくんは貰ってくれます」


「なんで今まで、本命だって言わなかったんだ?」


「い、言えませんよ! そんなこと……イッセーくんを困らせちゃうだけだから」


 自己肯定感の低さに引っ張られるように、御縁は顔を伏せた。


「いや、フリーの内は、可愛い女の子に告白されたら、嬉しくはあっても困りはせんだろ」


「わたしなんて全然可愛くないです!」


「そんな力強く卑下するなよ」


「だ、だって……イッセーくんの周りには、いっぱい魅力的な女性がいましたから。矢継さんや小林さん、それに春夏冬さんとか」


「だからイツキのことは、最初から諦めていたのか?」


「わたしは……好きな人と、好きなお話をできればそれで満足だったんです」


 まるで心からそう思っているように、その唇は悲しげに線を引く。


「でも……イッセーくんはいなくなっちゃった」


 告白していたら今頃側にいたのにな、なんて軽口を叩くほど、俺も鬼ではない。春夏冬とは違い、御縁は自己肯定感が低いか弱い女の子だ。


 下手に優しくできないからこそ、かける言葉に迷った。


 頭を掻いて悩んでいると、御縁はふと痩せ我慢のような微笑を零した。


「まさかそのお兄さんと、こうして好きなお話ができるとは思いませんでした」


 受付の向こう側から、御縁は一冊の本を差し出してきた。


 昨日貸してくれると言っていた、Anotherの新作である。


「しかもイッセーくんより、沢山本を読んでるから話甲斐がありそうです」


「ま、俺はイツキの完全上位互換だからな」


「イッセーくんの上位互換?」


 本を受け取った俺に、御縁は納得いかなげな表情を浮かべた。


「よくいうだろ。兄より優れた弟はいないって」


「でもイッセーくんは、一成さんと比べ物にならないくらい優しいです」


「人のいいところをあげるとき、優しさが真っ先に出るのはな、そいつにいいところを見つけるのが難しい証だ」


「そういうところが、イッセーくんより人間性が下です。一成さんと違って、イッセーくんは酷い人ではありません」


「酷い人とは心外だな。俺はたしかに優しくないが、女の子に酷い真似なんてしないぞ」


御縁ごえんはなかった……」


「……あ」


「あれは酷いです」


 恨みがましい上目遣いが送られてきた。


「俺としては上手いことを言ったつもりのだけだったんだがな」


「一成さんは無神経です」


「それを言われたら、立つ瀬がないな。ごめんごめん。でも春夏冬よりは丁重に扱ってるつもりだぞ?」


「それ、フォローになってない――」


 です、までは耳に届かなかった。


 昼休みの終わりを告げる予鈴がなったのだ。


 御縁はなかった謎掛けで、ずっと避けられていた関係は改善した。今はこれ以上望むのは欲張り過ぎだから、あっさりと身を翻した。


「じゃ、本ありがとな。十角館の漫画も頼むわ」


 本を掲げて、礼を告げる。


 そのまま図書室から出ようとすると、


「あ、あの!」


 御縁が出すには大きすぎる声で呼び止められた。


「一成さんがまだ読んでいない、絶対に楽しんで貰える本が……おすすめが沢山あるんです」


 立ち上がっている御縁は、返した本を抱きながら必死に伝えようとしてくる。


「是非……その、感想、聞いてみたいなって本が……」


 どんどん声が小さくなっていくのは、やはり自己肯定感の低さか。勢いに任せて呼び止めてみたはいいものの、自分の申し出を図々しいと感じ始めたのかもしれない。


 そんな御縁に向かって、俺はもう一度借りた本を掲げた。


「こっちを読み終わったら頼むな」


「あ……はい!」


 御縁の顔には、見てきた中で一番喜びに溢れた笑顔が浮かんでいた。




     ◆




 改めて御縁の友人枠に収まってから、一週間が経った。


 弁当を食べ終わる度に、足繁く図書室に通い、昼休みを御縁と過ごす。イツキへの想いを乗り越えてもらうため、自分なりにできることを探す目的だったのだが、御縁との時間は素で楽しかった。


 やはり大好きな小説の造詣が深いだけあって、打てば響く以上のものが返ってくる。今ひとつ納得いかなかったシーンや、理解が及ばずそのままにしてきたところも、実は、ここは、なんて解説してくれるのだ。


 映画も沢山見ているようだから、とにかく話題が尽きない。そして御縁は意外と話したがりなので、好事家特有の早口を発揮する。でもうんざりするようなクドさもないから、一緒にいて楽しかった。


 今までカノンとしか、こういった話はしてこなかった。だからカノン以外の相手と作品を語るのは新鮮だった。


 イツキのことがなければな、とガッカリするくらいには、御縁には好感が高まっていた。


 今日は二股と向き合いながら、いつもより五分ほど時間を費やし、弁当を空にした。向こうはとっくに食べ終わっていたので、解散とばかりに席を立った。


「じゃ、また後でな」


「おう」


 そうやって動き出そうとすると、春夏冬がポツリと漏らした。


「どこ行くのよ」


 先週と同じことを聞いてきた。


 小林は別な友達とお昼に行ったのか、春夏冬はボッチ飯を決めている。こうなったときの春夏冬はかまってちゃんで面倒くさいので、大人しく答えることにした。


「図書室だよ、図書室」


「また御縁さんのところ?」


 機嫌悪そうな春夏冬は、頬杖を突きながら睨めつけてきた。


「最近、やけに御縁さんと仲がいいようだけど……どういうことよ」


「助けてくれ二股。この失恋モンスター、ついに彼女面し始めたぞ」


「誰が彼女面よ!」


 春夏冬は憤りながら机を叩いた。

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