1 妹は悪役令嬢⑤

 ユリシスは帰り際に氷細工師に声をかけた。

「今日はお前のおかげで助かった。この礼は必ずしよう」

 妹がとがめられなかったのは、氷細工師のおかげだ。ユリシスがそう言うと、氷細工師は腰を低くして喜んだ。

「礼などは必要ありません。その代わり、何かあった時に助けてもらってもよいでしょうか」

 氷細工師に上目遣いで見られ、ユリシスは大きく頷いた。

「無論だ。何かあったら公爵家に来るがいい」

 氷細工師に約束すると、ふいにその目が大きく開かれた。氷細工師は何かを探るようにユリシスの顔の近くに鼻を寄せた。とっさに身を引くと、氷細工師は気まずそうな表情で目を逸らした。

「では」

 氷細工師が一礼して去っていく。ユリシスはどんよりした面持ちのイザベラと帰宅の途に就いた。帰りの馬車で、イザベラはずっとびくびくしていた。問題を起こしたので怒られると思ったのだろう。

 けれど、ユリシスの思いは別のところにあった。

 イザークが言う通りの出来事が起きてしまったのだ。

『王宮で公女様は第二王子のお気に入りのガラス細工を壊してこっぴどく𠮟られます』

 イザークが今日自分とイザベラが王宮に呼び出しを受けるところまでは推測できても、その後に起こるガラス細工の話を予想するのは不可能だ。何しろ、トーマス王子がガラスの城を持っていたことなんて、ユリシスだって初耳だったのだ。きっとトーマス王子は自慢したくて、イザベラにガラスの城を見せに来たのだろう。イザベラは第一王子以外に興味がないので、トーマス王子を適当にあしらったに違いない。

(イザークは予言者だったのか!?)

 ユリシスの頭の中は、その疑惑が渦巻いていた。

 この国には百年に一度、予言者と呼ばれる存在が現れる。聞いた話では、未来を予測する力があるそうだ。

(信じられない。イザークがそんな力を持っていたなんて……)

 困惑していたユリシスは、険しい表情だった。それがイザベラにとって激怒している表情に見えたのは仕方ないことだった。馬車の中は重苦しい雰囲気になり、ユリシスはそれに気づかずにいた。

 公爵家に戻ったユリシスは、すぐにイザークのいる執務室へ向かった。執務室は大きな部屋で、ユリシスの使う重厚なデスクとイザークの使うデスクが置かれている。帳簿や書類をしまう棚や黒い革張りの長椅子とテーブルがある機能的な部屋だ。

 イザークはいつも通り、机で書類仕事をしていた。

「イザーク! お前の言った通りになったぞ!」

 執務室のドアを開けたユリシスは、つかみかからんばかりの勢いでまくし立てた。それに対するイザークはひどく冷静で、ユリシスをなだめるように「お帰りなさいませ」と一礼した。

「壊れたガラスの城は、氷細工師が代替品を作ったのでしょう?」

 潜めた声で言われ、ユリシスは大きな衝撃を受けた。

「その通りだ! お前は予言者か!?」

 その場にいなかったはずのイザークに見てきたかのように言われ、ユリシスは大きく身震いした。

「予言者……そうか、そうなるよな……」

 イザークは何故か頭を抱えて、聞き取れないような小声でぶつぶつ言っている。次に顔を上げたイザークは、気持ちを切り替えるようにせきばらいする。

「……ええ、まぁ、予言者でいいです。私はこの世界に起きる出来事をある程度知っております。予言者ということで、私の話を真面目に聞いて下さいますか?」

 落ち着くように強い口調で言われ、ユリシスは執務室に置かれた応接セットの長椅子にどかりと腰を下ろした。

「もちろん聞くとも。だが、不思議だな。お前に魔力はないようなのに……」

 ユリシスが座れとあごをしゃくると、イザークが向かいの長椅子に腰を下ろす。

 大きな魔力を持つユリシスは、相手が魔力を持っているか持っていないかの見分けがつく。自分の目から見て、イザークに魔力はない。

「あの時はたわごとを述べていると思って、適当に聞き流していた。今度は真剣に聞くから、もう一度教えてくれないか? 俺の妹が大変な目に遭って、俺が国に反旗を翻すといった内容だったな?」

 ユリシスが改めて問うと、イザークがホッとしたように胸をで下ろした。

「ようやく私の言葉に耳を傾けてもらえるのですね。そうです。公女様は、悪役令嬢なんです」

 悪役令嬢と言われると、カチンとくる。

「その悪役令嬢とは何だ? 俺の妹は公爵令嬢だぞ?」

 イザークを信頼しているが、可愛い妹を悪役にされるのは腹が立つ。

「ええと、そういうことではなくてですね……。まず、最初に申し上げたいのですが、公女様をどうお思いですか? どのような少女だと?」

 言いづらそうにイザークに聞かれ、ユリシスは首をかしげた。

「美しく育った公爵家の令嬢だろう。少し負けず嫌いではあるが、礼儀作法も出来ているし、特に問題はない」

 ユリシスがあっさりと言うと、イザークの顔が引きった。

「そ、そんなふうに思っていらしたので? 確かに美少女ではあります。ですが……まず、あの髪形。何で縦ロールなんですか? 化粧もあの年頃にしてはきついですよね」

 おそるおそるイザークに言われ、ユリシスは目が点になった。縦ロールの意味が分からないが、イザベラの巻いた髪について言っているのだろうか。

「地味だから派手な髪形にするよう言ったのだが、よくないか? 化粧も、目立つためにさせているが」

 ユリシスが首をかしげると、イザークが「あなたが命じたんですかっ!」と腰を浮かせた。その大げさなまでの口ぶりに、ユリシスは驚いた。

「まずかったか?」

 公爵家の令嬢としてめられまいとしたのだが……。

「絶対よくないです! 似合ってないです! 公女様はふつうにまっすぐ髪を下ろしていたほうが美しく見えます! 化粧だって! あの歳でする必要はないでしょうっ。せいぜい口紅程度で十分です!」

 イザークに力説されて、ユリシスは絶句した。良かれと思って命じていたのだが、世の傾向は違ったらしい。

「そうだったのか……それはイザベラにも悪いことをしたな。明日からふつうにするよう侍女に申しつけよう」

 ユリシスが素直に応じるとイザークがあんしたように何度もうなずく。

「あと問題ないとおっしゃっていますが、公女様は手が付けられないほどわがままで人を見下すとんでもなく性格の悪い令嬢です。公爵様の知らないところで、公女様の悪評は高まっております。侍女たちが裏でむちで打たれたり、熱い紅茶をぶっかけられたりしているのを、ご存じないのですか?」

 身を固くして言われ、ユリシスは失笑した。

「まさか、そんな」

 可愛い妹がそんな虐待を侍女にしているはずがないと、ユリシスは鼻で笑った。すぐに冗談だと返ってくると思ったのに、イザークは重苦しい空気のままだ。

「まさか……本当か?」

 イザベラは気は強いが優しい娘と思い込んでいたユリシスは、がくぜんとした。そういえばイザベラの専属侍女やメイドはよく辞める。公爵家の仕事は大変なのだろうと勝手に思い込んでいたが……ひょっとして、イザベラの仕打ちに耐え切れず?

「ご存じなかったのですか。てっきり公爵様も使用人にはそういう仕打ちをして当然という考えなのかと思っておりました。いえ、私だけではなく執事もメイド長もそう思い込んでいましたよ。何しろ、公女様のわがままを助長させているのは、公爵様ですから。言っておきますけど、公女様は平民出の私にもきつく当たってきます。公爵様の執務補佐をしているので、他の者よりはマシですが……」

 イザークの口から聞かされる数々の出来事は、ユリシスにとって初めて耳にするものが多かった。仕事で家を空けることが多く、領地に行っている間はイザベラがこの屋敷の主人のようなものだ。誰もイザベラには逆らえず、涙を飲んでいたらしい。

「何という……ことだ」

 ユリシスは頭を抱えた。

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