新しい生活 03

 結果的に、エリカに綺麗に身支度してもらったのは正解だった。

 ……というのも、メルヴィナの部屋にやってきたのは、ニコラスではなくてその代理の聖職者だったからだ。


「初めまして、メルヴィナ嬢。バートと申します」

「メルヴィナです。よろしくお願いいたします」


 メルヴィナは彼と挨拶を交わすと、自分の向かい側の席を勧めた。そして彼の姿をこっそりと観察する。


(何でこんな若い人を寄越すのよ……)


 これまでも、ニコラスの都合がどうしても付かない時に別の聖職者が来る事はあった。しかし、今回は特に若い。


 二十代半ばくらいだろうか。身につけた祭服の形からすると司祭位を持つ聖職者だ。彼が見た目通りの年齢だとするとかなり優秀である。


 問題はその見た目だ。彼は非常に整った顔立ちの持ち主だった。


 緩やかに波打つ漆黒の髪を後ろに流しており、細いフレームの眼鏡をかけた姿は理知的だ。

 眼鏡の向こう側の瞳の色は、深みのある青である。

 背が高く、引き締まった体躯に漆黒の祭服がよく似合っていた。


「お茶を入れてまいりますね!」


 エリカはキラキラとした目をバート司祭に向けると、どこか浮き足だった様子で隣の侍女の控え室へと去っていった。


(早く帰ってきて……)


 美形と二人きりは緊張する。メルヴィナは心の中でエリカに呼びかけた。


「……久しぶりだな、メル」


 エリカの足音が聞こえなくなると、バートが話し掛けてきた。それまで浮かべていた人当たりの良さそうな笑みが消え、どこか不機嫌そうな表情に変わる。


 声や口調、顔つきに既視感を覚え、メルヴィナはまじまじとバートを見つめた。すると、彼は眼鏡を外し、後ろに流していた前髪をぐしゃりと手で崩した。


「こうすれば私が誰かわかるか?」


 メルヴィナは目を大きく見開いた。


「あの、もしかして、ギル様……?」


「もしかしなくてもそうだな」


 バート司祭、もといギルバートは、答えながら前髪をかき上げ、眼鏡を元に戻した。


 髪と瞳の色が違うと随分と印象が変わる。それに加えて眼鏡までかけているのだ。よく見ると顔立ちはギルバートそのものなのだが、一見しただけでは全く気付かなかった。


「え? 何でこんな変装なんか……しかも聖職者だなんて偽って……」


 偽名がバートというのもよく考えたらそのままだ。

 『バート』は、『ギル』と並んで一般的な『ギルバート』という名の愛称である。


「身分詐称はしてないぞ。私は一応司祭位を持ってるからな」


 確かに神の末裔であり強力な神術の使い手でもある王族は、高等教育修了後は神学系の学校に進学し、聖職者の資格を取るのが慣例だ。


「だとしても……本来の身分を隠して変装してこちらにいらしたという事に変わりはないですよね? どうして……?」


 幽体離脱中のメルヴィナが、ギルバートと一緒に過ごしていた事を知るのは、彼の側近のルイスとニコラスの二人だけだ。

 互いに迷惑がかかるので、ニコラスに仲介してもらって話し合った結果、秘密にしようという事になったのである。


「お前の様子が気になったからだな。無事体に戻れたとは聞いていたが、この目でもちゃんと確認しておきたかった。だから叔父様に相談して、こちらの屋敷にこっそり訪問できるように取り計らって貰ったんだ」


「そんな事の為にわざわざ……?」


「私にとっては重要だったからな」


「体に戻る前に再会のお約束はしましたけれど……。まさかこんな風に不意討ちされるとは思いませんでした」


 つい恨みがましい目を向けてしまったのは、まだ心の準備が出来ていなかったからだ。


 今の自分は不健康に痩せていて、いつも煌びやかなギルバートと比べるとあまりにもみっともない。

 再会をするにしても、体調を万全にしてからと漠然と考えていた。


「……どうしても会いたかったんだから仕方ない」


 どこか不貞腐れた表情で言われて、メルヴィナは眉をひそめた。するとギルバートはため息をつき、こちらを不機嫌そうに睨みつけてきた。


「いいか、一度しか言わないからよく聞け。メルヴィナ、私はお前が好きだ」


 ギルバートの言葉に、メルヴィナはぽかんと目と口を開けた。


「別れ際は叔父様がいたせいではっきりと言えなかったんだが、それがこの三か月ずっと引っかかり続けてた。それで、どうしても我慢できなくて来てしまった」


「えっと……いつから……?」


「自覚したのは画廊で悪魔に襲われた時だな。ダニエル司祭にお前が見えなかった事に気付いて、優越感を覚えた」


 メルヴィナは、ギルバートの発言が信じられなくて、まじまじと彼の顔を見つめた。


「……私に殿下に好かれる要素はないと思うのですが。特別な特技がある訳でも、容姿が優れている訳でもありません」


「一緒に過ごしていて一切の不快感を感じなかった。それがお前を気に入った一番の要因だと思う。波長が合うんだろうな。そういう異性に会ったのは正直初めてなんだ」


 真剣なギルバートの表情に、メルヴィナはたじろいだ。彼の本気が伝わってくる。


「お前と過ごす時間は楽しかった。生きていればと何度思ったか。お前は容姿に自信が無いようだが、私は十分にその、可愛いと思っているから、他人と比べて卑下するのはやめろ」


「………………」


 メルヴィナは、ギルバートの告白になんと返せばいいのかわからなかった。

 第一に気持ちが追いついていない。この完璧な美貌の王子様が、自分を異性として気に入ってくれているなんて信じられなくて、うまく頭の中で咀嚼そしゃくできない。


「そもそも人間の価値は容姿だけでは無いだろう。お前は自分が他人からどう見えているのか無自覚のようだな。アンブローズ侯爵の唯一の孫娘だぞ? 順当に考えたらリチャード殿の次の侯爵家の相続人はお前だ。既に求婚者が殺到してると聞いている」


 メルヴィナは目を見張った。体調を元に戻すのと、これまでとがらりと変わった侯爵家での生活に慣れるのに精一杯で、そこまで考えが及んでいなかった。


「そうなんですか? お祖父様もお父様も私には何も……」

「聞いてないのか?」

「はい」


 だけど、言われてみればその通りだ。リチャードもメルヴィナも一人っ子で、セオドアの直系の子孫はメルヴィナしかいない。


「私は政略的な価値を見出してお前に想いを告げた訳ではないから、そこは勘違いしないで欲しい。神気まで使えるようになりやがって……」


 言いながらギルバートは眉間に皺を寄せた。


「神気が出せるとは言っても、まだ神術を使えるような状態ではありませんよ。手がこんな風に光るだけです」


 メルヴィナは右手を目の前に持ち上げて手の平を上に向けて広げると、えいっと気合を入れた。

 するとぽう、と手の平から金色の光が出る。


「その放出を会得するのに普通は物凄く苦労するんだ。まあ、予想はしていたけどな。幽体離脱中のお前はたまに神気らしいものを出してたから……」


「そうなんですか?」


「無自覚か。ラップ音を出す時に金色の光が出てた」


 その発言にメルは目を丸くする。


「教えてくださればよかったのに」

「確証はなかったからな。感情が良い方向に向いている時は神気が、負の方向を向いている時は瘴気を発生させていたように見えた」


 ギルバートはそう告げると、一度言葉を切った。


「神気を強化するための瞑想は続けてるか?」


「はい。護りの神術は使えるようになった方がいいとニコラス猊下からは言われていますので。光は少しずつ強くなっているんですけど、まだ神術図形を作るのは無理ですね……」


 神術を扱おうと思ったら、定められた聖句を詠唱しながら神気を制御し、神術図形という形に『加工』しなくてはいけないのだが、あいにくまだメルヴィナはそこまでの境地には至っていなかった。


「私は敬虔とはとても言えませんから。なかなか神術の発動に至らないのは、信仰心が足りないのかも……」

「地道に祈祷と瞑想を続ければそのうちできるようになる。頑張れ」


 ギルバートは目を笑みの形に細めるとねぎらってくれた。

 それから彼は姿勢を正すと、真剣な表情でメルヴィナに告げる。


「正直私は焦っている。王家の力を使って他の求婚者を蹴落とす自信はあるが、お前の気持ちを無視するような行動は取りたくないんだ。これまで平民だったお前に私を選べと言っても、簡単には承知できないのではないか?」


「えっと……。ギル様を選ぶという事は、王家に入るという事ですよね……?」


 メルヴィナはどういう顔をしていいのかわからず、思わず助けを求めるような目をギルバートに向けた。すると苦笑いが返って来る。


「求婚者が現れている事を考えると、悠長にしていられる余裕は実はないんだが……今日のところは私の気持ちを知ってくれたらそれでいい」


 ギルバートがそう発言した時だった。エリカがワゴンを引いて戻ってきた。ワゴンの上には、ティーセットと焼き菓子が載っている。


 その途端、ギルバートの表情が変わった。尊大なものから穏やかな笑みを浮かべた聖職者へ。彼の正体がわかった今なら理解できる。これはいつもギルバートが社交の時に使っていた顔だ。


 あまりの変わり身の早さに、メルヴィナは思わずまじまじとギルバートの顔を観察した。




   ◆ ◆ ◆




 唖然とするメルヴィナをよそに、ギルバート扮する『バート司祭』は、何食わぬ顔でニコラスと同じように経過観察をして護符を交換すると、しれっと帰って行った。


「いずれ社交界で再会した時に答えを聞かせてくれ」


 帰り際に、こっそりとメルヴィナにだけ聞こえるように囁いて――。

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