第32話


 喫茶店の窓際の席に案内されて腰を落とす。注文を済ませたところで、辻本さんに視線を移した。いつもと変わりなく見える。


 前回ここで会った時、残りの話は桃にすると言われた。その時、自分は不要になったのではないかとショックを受けた。

 しかし、実際は早合点だったのかもしれない。辻本さんの口から本当のところを聞かずに決めつけるのはよくなかった。

 注文の品が届けられ、手元に置かれる。ウィトレスさんがいなくなったタイミングで口を開いた。


「この間、辻本さんが途中で帰っちゃったの、私のせいだよね……?」


 辻本さんはカップに口をつけた。白い喉を動かしてから、カップを置く。


「どうしてそう思われるのですか」

「きついことを言ったから……」


 辻本さんはこほんと咳払いをして薄い唇を動かした。


「今の辻本さんは同業者の方しか向いてない気がする。本当に見なきゃいけない人達を、見れていないんじゃないかな――これのことですか?」

「凄いね、暗記してるんだ」

「記憶力がいいんですよ。特に創作に関してのことは絶対に忘れません」


 恋ちゃんとはまた違った執念のようなものを感じさせる。創作に対しての本気度が伺えた。

 辻本さんはこめかみに手を置いた。


「正直、あの時の私は頭に血がのぼってました。絵里さんに寄り添ってもらいたかったのに、かちんとくるようなことを言われて、つい席を立ってしまったんです」

「ごめんね……」

「いえ、悪いのは私です。絵里さんは私のために言ってくださったんですよね。こちらこそ、すみませんでした」


 ここで辻本さんの謝罪を受け入れれば事態は丸く収まるだろう。

 しかし……。


「謝らないでよ」


 私は辻本さんを見つめて言った。


「正直、あれは私がよくなかった。直前にあった出来事に引きずられて自己嫌悪に陥っていたんだ。そんな状態で人にあれこれ言うのは駄目だったと思う」

「そんなことは……」

「辻本さんのことを本気で考えていたのなら、ああいう言い方は絶対しなかったはず。悪いのは私で、辻本さんは悪くないよ」

「いいえ、私が悪いんです。謝罪を撤回するつもりはありませんから」


 辻本さんが大真面目な顔で言う。


「わかったよ。なら、お互い悪いところがあったってことでいいかな?」

「駄目です」  


 一刀両断されてしまった。


「全面的に私が悪いという結論で、この話は終わりです」

「……ここはお互いさまでいいんじゃないかな?」

「よくありません。私だけが悪いと言っているんですから私だけが悪いんですよ。絵里さんは黙っていてください」


 なんという頑なさだ!

 この状態の辻本さんは梃子でも動かなそうだった。


「わかったよ、もう謝らないよ……。でもその代わり、辻本さんの謝罪も受け入れないから」


 辻本さんが目を細める。何を言っているんだこいつは、という表情だ。


「自分の謝罪だけ受け入れてもらって相手の謝罪は受け入れないっていうのは、都合のいい話だからね。私は理不尽には屈しないよ」

「……絵里さんって、面倒というか、頑固な性格をしてますよね……」


 心底呆れたような目を向けられる。

 いや、それはお互い様だと思うのだが……。

 ふふ、と辻本さんは笑った。


「本当に面白い人ですね。なぜ友達がいないのか不思議です」

「私も不思議だよ。辻本さんが疑問に思っていることが」


 笑みを返す。


「いいでしょう。面倒なのでお互い悪かったということで手を打ちますか」

「そうしてくれると助かるな」


 空気が穏やかになっていく。これでようやく、創作の話に移れそうだ。

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