ヒーローがいない、この世界で

@puroa

大穴が開いた日

 その日の嵐吹き荒ぶ夜に関して、少女は無感動であった。


 本来であればげんなりしたり不気味がったり、また吟遊詩人めいた感性を持つ者であればわびしく思うところであるが、そんな夜中に何も思うことはなかった。

 彼女は普通の育ち方をした、どこにでもいる少女である。

 この幼い少女に感情が発現していない訳ではないから、嬉しい時には笑い、悲しいと思えば泣く。そんなありふれた心の機微が、彼女にもちゃんと在ったのだが。


 目の前で倒れた大人の女を、少女はただ見つめるばかりであった。


 街はずれの細い、細い路地。

 怒号のような雨が風とともに殴りつけ、地面は水面へと変わる。水面には街のネオンが反射しているが如何せん街の路地裏などを幾度も通り過ぎてきた分、その灯りはちかちかと影に明滅する。

 細い道を長靴が立ち足元には赤黒い水で満ちている。雨の寒さと脇腹から流れ出す夥しい量の血によって、女の肌が青く薄れていく。少女はそれを見つめるだけだ。


 女児用の小さなレインコート、深く被ったそのフードが風に煽られると、口元は歪に吊り上がっている。

 斃れた女に犬歯を見せながら喉から引き付けを起こしたような音を出して笑っているのである。

 雨音に掻き消されているが、クク、クククと笑う声は母親である女の、薄れていく意識の中でも確かに聞こえた。


「……はるか。あなた、は」


 女の震えた手が少女に寄ってくる。

 だが斃れ、命さえ幾ばくかの彼女は少女の高さまで伸ばすなど出来る筈もない。その手は地を這う鼠のように震えるばかりだ。

 数刻前まで少女の母親であった筈の、このゴミのような女は少女に向かって涙を流し、最後の力を振り絞って口を開いた。


「貴女は愛を知らない」


 それが彼女の最後の言葉だ。




 ***




「えーお兄ちゃん。この辺りで通り魔が出現してるのは知ってるよね。無差別に人を襲うって、ニュースにもなってたよ?」


 嫌になるような強い日差しが降り注ぐ、夏の街。十代後半に差し掛かる高校生の少年は二人組の男に声を掛けられた。見覚えのある濃紺の制服に包まれた屈強な体格はカツアゲなどではない。警察だ。

 何やらこの辺りで起きた事件の路上調査をしているらしい。砕けた物言いは 「いきなり声を掛けるけど、緊張しないで良いよ」 という彼らなりの気遣いであろうか。


 だが、だからと言ってそれが炎天下の日なたで長々と話し込む理由にはならない訳で。


 もう犯人は分かっているのか。ならばすぐに捕まるだろうななんて考える。金に困った強盗や立て籠もり犯と違って、通り魔に已むに已まれぬ事情なんてあるとは思えない。

 頭のおかしな連中はすぐに捕まるだろう。警察の業務と同じ自分には関係のない、遠い世界の話だと、少年はにこやかに返事をした。


「知らないです」


 そう言って少年は警官たちを残して先を急いだ。彼の後ろで静かに舌打ちするのが聞こえた気がした。


 少年が住むこの街に、特に観光名所などはない。

 何かのパワースポットや心霊現象の起きる古めかしい建物もなく、地元の学生が遊ぶレジャーや複合施設さえない。


 ただ一つ違うところがあるとすれば、街のはずれに大きな穴が開いていることくらいだ。ちょうど十年ほど前のことだったか。その穴はある日突然開いて、その上に在った建物や人、多くのものを呑み込んでいった。

 同じ街中でも離れた場所に暮らしていた少年も当時のことはよく覚えている。街全体が寝静まった丑三つ時に突然地面が揺れ始め、窓の外を見ると街の一角の建物が無くなっていくのが見えたのだ。

 この世の終わりかと思うほどの激震と轟音。その頃は少年もまだ幼く、あまり遅くまで起きてはいられなかったから、あそこから波及して街全体が沈んでいくのだと寝呆けた頭で泣き叫んでいた。

 実際にはそんなことはなくて、直径百幾らかメートルに落ち着いた。それでも大穴であることには変わりないし、死人が出て、遺体が見つかっていない人もいるのだが。


 記憶を思い返していると、少年の眼前に大仰なフェンスが立ちはだかる。

 家の花壇やガーデニングで使うヤツではなく、もっと頑丈な、軍隊とかが使っていそうな鉄格子は、高校生である少年の背丈の倍以上ある。

 まぁ流石に電気が走っているわけでもないから、人の目さえ気にしていれば後は上って越えられる。表面には 『超えるな! この先危険』 と書かれた張り紙が貼ってある。


「誰も居ない、よね? 今日は穴が開いた日で人が多いからな……気を付けないと」


 うんしょうんしょとよじ上る少年は、五秒ほどかかってようやく頂点に到着する。元々運動神経が良い方ではないが、ほぼ毎日ここに来ているから、これでもかなり早くなった方だと言える。


 そこから向こう側に飛び降りると、フェンスがぎしぎしと音を鳴らした。

 十年前にそれが形成された時とほぼ同時に建てられたフェンスであるからかなり強度に不安がある。とはいえ脆くしたのは彼であるし、ほぼ毎日来ている彼でも点検などには会ったことが無いから、もう興味を失くしているのではないだろうか。


 十年前から時間を隔てられた街並み。行く先はほぼ路地裏であるが、そんな細い路にも店が点々としているのは正に昔という感じ。落ちている空き缶から不思議な形の穴の開いたブロック塀の上の段まで、タイムスリップしたような気持ちで駆け抜けていく。

 この感覚はなかなか味わえるものじゃない。フェンスに隔てられ世間から切り離されて、成長を止めた街。彼が人の目を盗んでもここに入り浸る理由の一つだ。


 走って、走って。路地を駆け抜けた次の瞬間、少年は脚を止める。今まで閉鎖的だった路地の視界が一気に開け、向こう百メートル以上も向こう側の地面が見えたからである。

 コォォォと空気がうねるような音が聞けるのは、恐らく広い街の中でも此処くらいなものだ。


 十年前に開いた大穴。


 周囲には誰も居ない。外周部をフェンスに覆われた立ち入り禁止区域となっているその場所に、少年は座り込んだ。崖からは砂利や小石がパラパラと穴へ落ちていく。


 穴の深淵は闇に覆われていて、どのくらいの深さなのか見当もつかない。

 この穴が開いてから程なく、数々の救助隊や調査部隊が国からの要請で集まって来た。一体どれほどの大人やお金が動いたのか部外者である少年には見当もつかない。


 だがどのくらいの成果なのかは分かる。ゼロだ。縁に捕まっていたり、見える範囲で引っかかっていた人はともかく、穴に落ちた人は助けられなかったし、暗闇の奥がどの程度かも分からなかった。

 なんでも、特殊な磁気が在るらしい。一定の深さまで降りると出くわす磁気によって、救助用の機材類が狂ってしまい、救助どころか調査の作業さえままならないのだ。


 だから、大勢が消息を絶った。だからこそ、何も分かっていない。

 いつしか国も多額の資金を投じることを諦め、部隊は一つ、また一つと去って行き、結果として穴を取り囲む立ち入り防止のフェンスだけが残された。

 故にこうして十代男子約一名の侵入を許してしまっているわけだが。


「いい天気。暑いけど、その分日差しも強いな」


 天気の話をしながら穴を覗き込む。

 穴の寸前で四つん這いになっているから、間違って一歩踏み出してしまえば自分も真っ逆さまだ。ずっと通っていればこういう恐怖心も薄れていくが、もし人に見られれば怒られるでは済まない。


 暗闇の奥を覗いていると不思議な感覚に囚われるのだが、こういう時の反対方向に伸びていくのはなぜだろう。

 空だったら鮮やかな青とか爽やかだったり例えるが、深い穴を覗く時は大抵、吸い込まれるようだとか、見つめ返されるようだかの二つだ。吸い込まれるのか見られてるのか、はっきりせい。


 ちなみに少年は見られている派である。実際、今でも首の後ろの辺りにチリチリする感覚があって落ち着かない。静かだからこの場所に来たのに、これでは意味が無いではないか。

 少年は首の後ろを掻き毟る。


 まるで、本当に誰かに見られているような――。


「何なところで、なーにしてるのかな~☆」

「うひゃぁ!?」


 後ろからいきなり声を掛けられて、うっかり前に手を突きそうになる。危ないとさっと手を戻し、四つん這いになっていた身体を立て直して声の主へと振り向いた。

 其処に居たのは一人の少女。


「というか、キミは」

「あたし遥華。そんなに顔が気になる? ま、顔の良さだけは自信あるからね~! 年頃の男子ってタイヘン」


 一人で良く喋る娘だ。少年が聞いてもいないこともバンバン喋る。

 というか、とにかく可愛い。夏が似合う白いワンピースに麦わら帽子をかぶった少女は病弱なお嬢様といった感じだが、ハツラツとした笑みに妙なノスタルジーを感じさせる。

 少年より年上だろうか。顔も見たことは無いし同じ高校ではないようだ。

 だがもし同じ学校だったら一躍アイドルになっていただろうなと思うと、少し勿体ない気もした。


 いや、それより気になるのが。


「黒井道実、です」


 少年は自己紹介をして、遥華と名乗った少女を引きつった笑みで見つめた。しばらく見つめて、見つめているのがバレないよう目を反らした。


 彼女の顔が、先ほど警察に見せられた通り魔殺人の犯人の顔写真と、まったく同じだった。




 ***




「えぇ~道実クンもう高校生か! それじゃ私も高校生だ」


 誰も居ない路地裏の世界に、突然現れた少女・遥華の声が響き渡った。彼女の持つ頓珍漢な掴み所のない雰囲気と、彼女が同い年だった事実に驚く。


「……うん。って言ってもまだ入りたてだけど。まだ一年のペーペーだよ。部活も入ってないし」


 そう言って遥華の方をチラ見しながら心を入れ替えようとする。違うだろう。彼女は魅力的な少女ではなく、通り魔だろうと。

 ここに来る途中で警察に聞かれた顔だ。警官の指越しではあるが、確かに見た。間違いなくあの時と同じ顔。人を殺した人間の隣に座っている。現代文明を生きて来て鈍った道実の本能に、野生的な緊張が走る。


「一年生って何歳だ? 十五、十六?」

「ボクは十五だけど……そんなの誕生日によらない?」


 それと同じくらい、彼女の超然とした雰囲気には通り魔のような狡い真似をするとは思えなかった。

 なにも彼女が可愛いからそう思うわけじゃない。


 彼女の長い髪が大穴に吸い込まれるように、風に揺れた。海で揺蕩うイカのように目を離したすきに何処かへ行ってしまいそうな感覚が道実を包む。

 自身も不法侵入した人間にも拘らず無性にハラハラする。そもそも彼女とは初対面であるのに。

 そんな思いで見ていると、彼女が吹けば消えそうな先の短い燈火に見えてしまうのだ。風に煽られて転覆する危険があるのは自分も同じであるが。


「そっかー。そうだよね。誕生日によるよね。んじゃ、あたしは十五だな。夕暮れに生まれたらしいから!」


 なにより話の通じなさにも疑問がある。最初は犯罪者なんだし学校行ってないくらいの環境だったのか? なんて思っていたが、彼女の言い方だとそもそも現代文明に居たかどうかさえ怪しいと思える。


(この辺の子じゃないのかな。今日は穴が開いた日だから、観光客? あ、でも靴、履いてない……)


 彼女の背後にあるどす黒い何かを感じ取った。

 感じ取っても反応に困る。こんな事ストレートに聞いてもいいものか分からないし、少なくとも自分はやめてほしいと思うから。

 だから、次に何を話せばよいか判断に迷ってしまう。


「う、あ」

「あ、ダイジョブ。こうした方が早い」


 何を言えばいいか分からず迷っていた道実の手首を、隣に居た遥華が手に取った。彼の細いながらも雄々しい太さの腕に、さらに細くて白い指が絡みつく。

 遥華の、輪郭が分かるほど冷たい五指にしっかりと握られて動けなくなる。意味が分からず彼女の方を見るとくすくすと笑っているではないか。

 殺意は感じないし動かす気も無いが、痣がつかなくなるか不安になるレベルだ。


「え、脈??」


 手首を掴んで一喜一憂する様子の彼女に疑問の一言を禁じ得ない。


「こういうの久しぶりなんだ~。ふふっ。道実クンの腕あったかい♪」


 そう笑いながら、遥華は指先から流れてくる他人の体温に集中する。道実の平熱は他人より低いくらいであるがそれでも温かく、人肌に触れることが少なかった少女の心に染み渡るように満ちていく。


 彼女には特殊な力がある。


 その力が何なのか、どう知ってそんな力をもっているのか、何が原因でこうなったのか、限界はどこで、何をがどこまで出来るのか。遥華でさえ知らない。

 彼女は彼女のことを何も知らない。知っている人は何も教えてくれないし親は両方死んでしまったから。そんな数少ない、彼女が知っている事のひとつ。自分に宿る力には、他人の心を読める力があるという事。


 他人に触れることで一方的に心を通わせるこの力を、遥華は勝手に使い一人でコミュニケーションをとっていた。


(これは……この街の映像? でも大穴が無いから十年前の……あ、あの八百屋さん知ってる~お母さんと一緒に買いものに来てたトコだ)


 少年の思い描くことが遥華の脳裏に浮かんだ。彼女の力の親和性は人によって異なる。普段は断片的な文字や印象的な点や丸の抽象的なイメージしか送られてこないが、彼は風景がしっかりと送られてくる。

 久方ぶりの相性の良い相手だ。こんな相手は死んだ親しか居ないと思っていたが。そういえば母が死んだのもこんな嵐の夜の――。


 その時、嫌なものが見えた。揺れ。地震。心象風景に起きた変化が、その回想がいつ何の日であるか悟った彼女は、すぐに少年から手を離した。

 それは彼女にとっても思い出したくない日だ。


「あ~……そういう事か。だからあなたは……」

「え、なに? なにが分かったの?」


 不思議そうに道実が聞いてくる。彼女の中にある能力に興味津々のようだ。まぁここまで思わせぶりな発言をしてしまったのだから、無理もない。

 でもごめんね~? おいそれと人にこのことを話すわけにはいかないんだ。貴方には、特に。

 遥華は一人で解決してしまう。


「何でもない。な~んにもないよ。あたしは何にもしてない」


 少年が思い出していたのは、この大穴が開いた日。

 あと数秒も腕に触れ続けていれば、たちまち開いた大穴に建物や人々が呑み込まれていく地獄絵図を見る羽目になっただろう。


 遥華は胸を押さえる。バクバクと鳴り響く心臓を何とか落ち着けて、額にかいた汗を道実には見られないよう、何とか振り払った。そうして年上ぶった笑みを浮かべる。


「そろそろ、出よっか」


 そう言った顔は、引きつっていなかっただろうか。

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