グラスの氷が溶けるまで    -Re Birth Ver. -

遭綺&遠雷

グラスを交わす30分前

初めてキミと出逢ったのは、取引先との飲み会の席だったと記憶している。


最初は全く乗り気じゃなかった。

廉木かどきへ。今晩の接待、よろしく頼むぞ】

上司から愛の無い、文字が並んだだけの文が会社支給のスマホにショートメッセージで届く。

(ハァ…ダルい…)

ただでさえ、遠方の出張で疲れているのに、接待までやれと?

本当に俺の上司は人使いが荒い。

そう思いつつ、彼はテーブルの上に置かれた少し冷めたコーヒーカップを口に運ぶ。


『東海商事との関係は絶対に円満じゃなければならない』


上司のみならず、会社全体の意向だ。

確かに自分が働く会社の総売上の半分を占めているのだから、無理もない。

三強と言われる大手問屋の一角に名を連ねている有名企業。

本社は今まさに、出張で訪れている京都にある。

東海商事のパイプがあったおかげで販路も広がったのも事実。

メーカーと小売。その間を取り持つ大手問屋。

このビジネスモデルは未だ現役なのだ。

地方の中小企業である自分の会社が、こうして生き残っていられるのは東海商事のおかげなのだなと思うと、複雑な気持ちにもなるし、依存し過ぎているのも不安を煽る。

もし、この良好な関係性が崩れ、取引が止まったらどうなる?

ゾッとする。

どんなホラー映画よりも怖い。


「あ、そろそろ行かないと」

スーツの袖を下げ、スマートウォッチを覗く。

接待会場である個室居酒屋まではタクシーで10分程。

全てスケジュール通り。

最後に胸ポケットに忍ばせている名刺入れを手に取る。

30歳になった自分へのご褒美に、先月、奮発してブランドの名刺入れを買った(この時点でなかなかの社畜感が伺える)。

枚数、問題なし。


株式会社 鼓音つづみね 課長 廉木柾隼まさはや


名刺に刻まれている文字がキラリと輝いて見えた。

これから新米課長の大仕事が控えている。

ちょっとだけ緊張して来た。


テーブルの端に置いてある、走り書きでHCとだけ刻まれた伝票を掴み、柾隼は席を立つ。18時近いと言うのにレトロなこの喫茶店は賑わっている。流石は駅前立地。加えて、昔ながらの雰囲気も良いスパイスが効いていて、人気たる由縁なのだろう。

そんな店内であるが、入口横のレジに繋がる少し狭い通路の中間あたりに、姿見が壁にはめ込まれていた。

彼は一度立ち止まり、身だしなみをチェックする。

髪形は仕事用デコ出しスタイルでいつもまとめている。

理由は、ただ大人っぽく見えるからと言うだけだが。

スーツ姿も年齢を重ねるごとに、だいぶ様になって来ているだろうか。

少し皺が気になるが、これも営業として戦ってきた証と思うと、愛着が湧く。さらに今日は気合を入れる為に、赤色ベースに黒のストライプ模様のネクタイを選んで来た。戦闘スタイルとしては申し分なかろう。


そんな中、親子連れが彼の後ろを通ってレジへと進んで行く際に、幼稚園児と思われる少年が、ふと声を発した。


あのお兄ちゃん、背、大っきくてカッコいい!


確かに彼から見たら、自分は巨大に見えるかも知れない。

柾隼は180cm近い長身を誇っていた。

見た目もそんなに悪くないらしいので、好印象を持たれやすい。

運動は特段していないが、外回りで歩き回っていることに加え、食事を摂る事も少ないせいか、無駄に体形は学生時代と変わらず維持出来ていた。

今だからこそ言えるが、営業と言う仕事は自分に合っていると思う。


ホント? 俺、ちゃんと立派な大人になれてる?


柾隼は少年の背中を目で追いながら、心の中でそう呟いていた。

未だにと言うものがどういうものか分からない。

仮に自分がもしそうなれたら、自信を持って格好良いでしょ?と誰かに言いたい。


さあ、そろそろに出掛けよう。

柾隼は颯爽とレジで会計を済ませ、流れるようにタクシーを捕まえると、目的地である個室居酒屋へと向かうのだった。






今思えば、このお店がキミとの想い出の場所の一つになるなんて、夢にも思ってなかった。ドラマみたいに、お洒落なお店とかを想像していたけど、これはこれで、俺達らしい出逢い方だったのかも知れない。


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