⑩

「乃兎」

「なんだい?」


 筆の店から離れた私は、乃兎に話掛ける。さっきの事について訊く為だ。


「さっきの話に出てきた燃えている鼠が、創想像スピレって事なの?」

「今の所は、そうなるね」

「でも」

「子どもたちが嘘を言っていると?」

「そうじゃないけど……でも、何か見間違いって事も」

「普通の事件ならね。でも、今回は間違いなく創想像が関わっているから、見間違いではないよ」


 彼女は、そう断言する。私も、彼女からその存在を聞いてここまで付いて来ているが、やはり、心のどこかで信じ切れていない部分があるのも確かだ。


「いくら、ボクの言葉であっても信じられないのは無理ないね。でも、実際に目にすれば、それが事実になる」


 という事は、もしかして。


「さて」


 乃兎には、創想像の居場所が判ったという事か。


「ちょっと、お腹空かないかい、霧子君」

「いや、もう充分食べたでしょうが、あんたは!」


 そう叫ばずにはいられなかった。


「そうカリカリしないでくれよ。お腹が空いているからだね、それは」

「いや、あんたに対してだからね」

「レッツゴー」

「聞いてる?」


 そんな私の言葉に返答なく、乃兎は歩いて行く。本当に大丈夫なのだろうか?


 そして、私達はある場所に、寄り、この場所へと来ていた。


「こんにちは」


 乃兎は、構わずに暖簾を潜り、入口のドアを引いて中に入る。


「あれ、霧子ちゃん、いらっしゃい」


 麵やべぇの大将が、私に挨拶してくれる。まさか、何度もここに来る事になるとは、今は、お客さんが居ないので、私達はカウンター席に座る。


「友達も一緒なんだね。という事は、取材じゃなくて、食べに来てくれたって事かい?」

「そうで」


 すねと続きを言おうとした瞬間、乃兎が割り込んでくる。


「いや、取材の続きだよ」


 乃兎は頬杖をつきながら言う。ちょっと、何を勝手に。


「そうなのかい? この前ので全部だから、俺が答えられる事なんて無いと思うけど……」

「聞きたいのは、ここの所起きている火災の事さ」

「火事の事って言ったって俺は何も知らないぞ」

「何も知らないなんて事はないと思うけど。なんせ、一件目のコンビニでの火事現場にキミは居たのだから」


 その言葉に、大将の動きが一瞬止まる。そう、この事実はコンビニの授業員に、乃兎が最後に訊いた事だった。私もその事は知らなったし、大将からも聞いてはいなかった。


「……確かに、俺はあのコンビニには居たが、それだけだ」

「そ、そうよ。大将は居ただけ。それなら、別に」

「そう、キミは偶然にも居合わせただけ。でも、その偶然が始まりだった」


 コンビニの従業員に大将が居た事を告げられた時は、びっくりしたけど、言う必要が無かったから、私に言わなかっただけだと、勝手な解釈をして、私は自分を納得させた。


「そして、その偶然は二件目の現場にキミが居た事で、本格化した」


 この事実は、さっき確認した事だった。あの飲食店の店員として働いていた第三主婦に乃兎が訊き、彼女は確かに来ていた事を言っていた。


 あの時、乃兎がなぜ、大将を名指しで訊いていたのかは、疑問に思った。その時は、まさか偶然もあるもんだ程度に私は思った。けど、乃兎はあの時から、すでに大将に目をつけていたんだ。


 ここに来る前に乃兎は言った。二件目からが、この事件が始まったと。


「今、起きている火事はキミが望んだ事だね」


 創想像を生み出しているのが、大将だという事。


「俺が、火事を望んだだと……勝手な事ばかり言うな!」


 大将のこんな激昂を初めてみた。当然だ、いきなりそんな事を言われれば誰だって怒る。


「霧子ちゃんの友達だとしても、そんな事言われるのは気分が悪い。まるで、俺が、火を放った犯人みたいに言われちゃあな」 

「キミが直接火を放ったわけじゃないさ。望んだと言ったろ?」

「じゃあ、何か? 俺が燃えろって思ったから火事が起きたってのか?」

「その通り」


 乃兎のまっすぐな眼と言葉に大将が言葉に詰まる。


「そ、そんな事、現実に起きるわけがないだろうが!」


 その声は大きいだけで、震えているのが私でも判った。


「でも、起きた。二件目でキミは、火災が起きる前に退店して、しばらく経った後に火災は起きた」

「あ、ああ。だから、俺は関係ない」

「これが、普通ならキミは関係ないさ。でも、これは生憎と普通じゃないんだ。キミは当時思ったんじゃないのかい? 『ああ、コンビニの時のように燃えてくれたな』ってね」

「……………」


 本当にそう思ったのかどうかは、大将しか知らない。でも、それに近い事を思ったのか、大将は口を噤む。


「そして、燃えた。キミは驚いたはずだ。偶然だとも思ったが、それでも、もしかしてという考えもよぎった。だから、次も、想像した。あそこが燃えたらと、あの雑貨屋が燃えたらと。キミの想像通りに燃えた」


 店の換気扇のファンの回る音がやけに耳に入る。いつもは、気にならないのに。


「そして、次は……」

「もういい!」


 乃兎の言葉を遮るように、大将は大声を上げる。肩で息をしているその姿は、私の知る大将の姿ではなかった。


「お、俺は、た、確かに、思った。でも、それだけ、それだけなんだ…」


 独り言のように呟き始め、もう、私を見ていない。そんな大将の額には、大量の汗が出ていた。私の額からも、汗が流れる。


 あれ? なんで?


「くるね」


 涼し気な表情をしている乃兎がそう言った瞬間、大将が倒れる。


「大将!」


 私はカウンターから厨房に入ろうと、席を立った瞬間、それは姿を見せた。


「これが、今回の創想像か。大物に育っているね」


 炎を纏ったその巨体は、厨房のスペースを埋め尽くすのではないかと思うほどの大きな鼠だった。


「な、な、な」


 私は、それを見た瞬間、尻もちをついてしまった。なんだ、これは、これが創想像。こんなのが現実にいるの?


 鼠は、少しキョロキョロと辺りを確認したかと、思うと、その視線を私達に向けた。


「あっ、まずいね」


 私は強い力で引っ張られ、気が付けば、入口の方まで移動していた。私を移動させたのは乃兎だが、その小さな体のどこにそんな力があったのかと思う疑問は、目の前の光景によって上書きされた。


 私達が座っていたカウンター席には、さっきの鼠が、居た。厨房から出て私達に襲い掛かってきたのだ。


 そして、鼠が触れている所から、火が移り、店を燃やし始める。大将の店が!


「ボクの想像よりも育っているね。これは、厄介だ」


 乃兎は、いつもと変わらぬ口調でそう言っているが、私は焦りまくりだった。だって、あんなの知らないし、怖い。後ろの扉を開けて、外に出たい、逃げたい。そんな気持ちでいっぱいだった。当時は振り返れば、きっと私は正常な判断が出来ない状態だった。だけど、そんな私の目に、ある光景が見えた。


 それを見た瞬間、私は駆け出した。


「ちょ、ちょっと⁉」


 乃兎が焦った声を出す。私の突然の行動に驚いたんだ。でも、私はその声に反応している暇は無かった。


 自分に向って来る相手に対して、鼠は右前足を振りかぶると、それを私に向かって振り下ろした。


 動け、私の足! 熱さを感じたが、そんな事に構っている暇はなかった。


 私は間一髪でそれを、躱すと、厨房の中へと入っていく。


「た、大将! だ、大丈夫ですか⁉」


 燃え堕ちた隙間から、火の海で倒れている大将の姿が見えた瞬間、私は走り出していた。だって、火事の原因が大将だとしても、私にとっては、いつも私に美味しい料理を振舞ってくれる優しい大将なんだ。


 大将は、気を失ってはいるが、息はしている。良かった。でも、ここからどうしよう。店の裏口は、火で進めない。もう一方は、鼠が居る。八方塞がりだ。


「やれやれ、キミは見かけ通り、無茶をする人だね」


 そんな絶望的な状況で、乃兎の声はよく透き通っていた。


「あとは、任せたまえ」


 乃兎はそう言うと、鼠に対して、ある物を投げつける。鼠は、自分に対して放られた物を、破壊する。その破壊された物から出てきたのは、白い泡のような物だった。


「しょ、消火器?」

「あれ? 学校の避難訓練で習わなかったかい」


 しかも、投げつけられた消火器は一つでは無かった。一体いつの間にそんなに用意していたの? それに、そんな消火器の使い方は習っていない。


 鼠の火がどんどん鎮火していき、あの巨体が小さくなっていく。


「そろそろ、いいだろう」


 乃兎の手には、真っ白な本がある。その本には、タイトルも何もない、ただの白い本だ。その白い本を開くと、


「そうだな。うん、キミの名前は『火鼠ハナビ』そう呼ぼうか」


 その瞬間、鼠は開いている本の中へと吸い込まれていき、すべて吸い込まれると、彼女はパタンと本を閉じた。


「うん、完了だね」


 その幻想的な光景を私はただただ見ていた。


「さてと、ここから出るよ。霧子君」


 その言葉と外から聞こえるサイレンで、私達が未だ、火中に居る事を思い出し、私達はなんとか脱出する事が出来た。

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