第33話 勇者、手が出ちまうんだわ。
◇
「ば、ばあちゃん……」
「女将さん……!」
女将はひょこひょこと杖をついてこちらへ歩いてきたかと思えば、大事なその書類を、ラウルに差し出した。
「……!」
「え、なんで……」
「あたしゃね、そもそもこの店は近々お前に譲る気でいたんだ。あんなクソどもに渡す気はサラサラないが、アンタにだったら喜んで渡すよ」
「……っ」
「ちょ、女将さん! でもそれじゃ、結局この店はアイツらの手に渡っちゃうじゃないっすか」
慌てて間に入る俺。女将さんはふっと笑うと、微塵も後悔を感じさせない表情で言った。
「仕方ないじゃないか。この店をどうしようが、それはもうラウルの決めることだ」
「……」
「女将さん……」
「あたしゃ店を奪われるよりも、板挟みにされて苦しむ我が子を見る方が辛いからね。これでラウルがあの連中から解放されるんなら、もうそれでいい」
「ばあちゃん……」
「あたしのせいで苦しめて悪かったね。もし本当に奴らから解放される日がきた暁にゃ、どうか真っ当に働いて、健やかに暮らしておくれよ」
女将が戸惑うラウルの手の中に、無理やり権利書を納めた。
ラウルは女将さんからの深い愛情を実感するように、手の中の権利書をまじまじと見つめる。
「ぼ、僕は……」
歯を食いしばった彼が、顔を上げて、腹を括ったように何かを言いかけた時だった。
「おー、でかしたじゃねえかラウル。やっと
「……⁉︎」
「……!」
女将がやってきた戸口から、もう一つの影が現れる。
驚いたように振り返った俺、ラウル、女将。俺たちの視線を集めたのは、先ほど俺が玄関にて追い払った、ボス的存在と思しきチンピラ風の男だ。
「ぶ、ブリッツ……」
「ちょ、なっ、なんでアンタが……!」
男の名はブリッツというらしい。ブリッツコーポレーションのブリッツとくりゃ、代表格かなんかなんだろう。わざわざ店まで出戻り、代表格自らが酒場の中まで侵入してくるとは、ご苦労なこった。
「出たねボス玉。悪いがうちのラウルは返してもらうよ」
女将までもが、今にも噛み付かんばかりの勢いでブリッツを睨みつけている。
「おやおやマゼンタさん。そんなにカッカしちゃ血圧が上がっちまうぜえ? ま、そのままぽっくりいってくれても、こちらは一向に構わないんですがねえ。くくく」
「ふざけんなお前っ。つかなに勝手に店の中まで入ってきてんだよ⁉︎ 不法侵入じゃねえか!」
我が物顔で室内に侵入してくるブリッツに、いきり立ってメンチを切る俺。
だが奴は、やれやれと肩をすくめると、さも俺を小馬鹿にするような顔で言った。
「そりゃこの件は我が社に関わる大事な案件だし? 出来の悪い部下に任せてばかりにもいかねえからなあ。せっつきに来てやったはいいが、不法侵入とは人聞きが悪い。権利書が
ぐっと言葉に詰まる俺を見て、さも愉快そうにけらけらと笑うブリッツ。
奴は、権利書を持ったまま棒立ちしているラウルの目の前までズカズカやってくると、野太い腕を差し出した。
「おら、ラウル。その権利書、さっさとこっちに寄越せよ」
「……」
「ソイツさえ手に入りゃあお前はもう用済みだ。約束通り……」
「……わる」
「あ?」
「断る」
それまでずっと、どこか自信がなさそうで伏し目がちだったラウルが、しっかりと前を向き、驚くほどキッパリとした口調で言った。
「ああん?」
ブリッツは耳を疑うようにラウルを見、俺と女将もラウルに驚きの視線を注いだ。
「ラウル……」
「聞こえねえなあ。もっぺん言ってみろよ?」
「〝断る〟って言った……」
「なに拒否ってんだよ、お前に選択肢はねえ。大人しく渡せっつってんの」
「いやだ、渡さない」
「……あ?」
「もうお前らの言いなりになんかなりたくない……っ」
「おいおいおい。せっかく穏便に済ませてやろうってんのに、マジでお前、この先どうなってもいいってわけ??」
「もうそんな脅しにはのらないっ。この店は僕とばあちゃんの大事な家で、僕にとって大切な居場所なんだ……! お前らなんかには絶対に渡さないっっ」
「ら、ラウル……」
権利書を胸の中に抱きしめて、断固として自分の意思を伝えるラウル。
女将の優しさや想いが届いたのだろう。その気持ちに応えるべく、震えながらも、意志のあるしっかりとした声色だった。
「てめえ……この期に及んで生意気なこと抜かしてんじゃねえぞ⁉︎ 俺らに逆らおうってんならな、今この場で、この店とそのババアごと……」
「うるァッッ」
「⁉︎」
話が終わらないうちに、ブリッツの顔面に渾身の右ストレートを叩き込んだのは、言わずもがなこの俺だ。
巨躯が家具を薙ぎ倒しながら吹っ飛ぶ。まあ、話も終わらないうちに不意打ちでぶん殴ったから当然といえばそれまでなんだが、我ながら容赦ないワンパンだった。
「な、な、な……」
「ハイ交渉決裂、お疲れ様でしたさようなら。どうぞそちらの戸口よりお引き取りください」
追い打ちをかけるよう、扉を開けて爽やかに外を指す。ブリッツは強面の顔を憤怒に染めて激昂した。
「き、貴様っ……! 後悔してもしらねえぞ⁉︎」
「上等だよ。あいにく俺は〝優良育ち〟じゃない底辺育ちなんで。後悔する前に手がでちまうんだわ」
さすがに人間相手に剣は抜けないため、素手でファイティングポーズをとりながらそう告げると、ブリッツは唾を吐き捨て、立ち上がるなり俺に殴りかかってきた。
「く、クソガキが……っっ」
お上品なやり方はもう飽きたらしい。腰に番ていた武器を引き抜きつつ、俺に飛びかかってくるブリッツ。
「よっと」
俺はそれをひらりと交わし、相手の手首目掛けて回し蹴りをぶち込む。
「……なっ」
ズバンッッと盛大な音がして、奴が武器を取り落した。俺は床に落ちた武器を蹴り飛ばして遠ざけつつ、ブリッツの胸ぐら掴んで渾身の頭突きを喰らわせる。
「ぐっ」
ブリッツの巨体が派手に揺らぎ、奴が被弾箇所を押さえて片膝をついた。
「て、てめえ……」
「〝優良〟な肩書きが台無しになっちゃうと思うけど……まだやる?」
図体のデカい強面が相手でも一切怯まず、攻めの姿勢を崩さない俺。
大事なもの――お袋や初恋の相手――を、目の前で奪われた時のことを思えば、恐怖心なんてとうの昔にどこかに置き忘れてきちまったしな。
奴は〝恐怖〟で俺を支配できないことを認めると、不快感を露わにした顔で俺を刺すように睨みつけ、やがて、何を思ったか俺をおしのけ、家具を蹴り飛ばしながら窓のそばへ向かった。
「……?」
疑問に思って見ていると、窓辺までたどり着いた奴は開いていた窓から顔を出し、外にいる〝蟲師〟に向かって大声で叫ぶ。
「おい!! もう遠慮しなくていい、今すぐ店ごとぶっ潰せ!」
「……!」
「あ、兄貴⁉︎」
勢い任せに怒鳴るボスを見て、戸惑うように目を瞬く蟲師。
「い、いやでも兄貴、派手にやっちまったら、後々まずいことになるんじゃ……」
「構わねえよ! 権利書の所在はもうわかった。後でことが済んだら奪えばいいだけだし鬱陶しい奴らは証拠ごと全部消しちまえばいい! 今すぐこいつら全員皆殺しだ!!!」
この男、どこまでも汚いやり方で事を運ぶつもりらしい。
指示を受けた蟲師が困惑しつつも、ごくりと喉を鳴らして頷き、新たなモンスターの召喚をし始めた。
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