第2話(トイレに駆け込んで…?)

「ん?」

じわりと滲んだぬるい感触は絶対汗じゃない。やばい、ここで漏らす。

「といれっ、おれ、といれ!!」

口からついて出た言葉は自分でも呆れるくらい辿々しくて、余裕がない。

「お、おう、」

キョトンとした、少し戸惑った声。恥ずかしくて顔がカッと熱くなるけど、じっとしてられなくて、靴を履き替えてレッスン室のドアを勢いよく閉めて走る。

「っはっ、はぁっ、」

誰にも見られなくなった瞬間、出口を揉みしだいて廊下を走る。振動も、足を上げた時も、自分の呼吸でさえも。きゅうぅぅ…とお腹が締め付けられて、苦しい。

「~っ、」

青いタオルを踏んだ瞬間、またじわりと握った部分が温かくなった。ジタバタとステップを踏んでも、両手で上に締め上げてもじゅわり、じゅわりと滲んでゆく。

じゅわああああ…

パニックだった。グレーのズボンが中心部分から順に色濃くなって、足を何本も伝っていって。

「っひっ、」

目の前にあるのに。おしっこできるのに。小便器を使うには手を離して、ズボンをずり下げなければいけない。このまま突っ立ってたら、地面も汚して、大きな水溜りを作ってしまう。

「っん~~…」

後ろの個室に入り、腰を下ろす。

じょろろろろろろ…

お尻を濃いグレーに染めながら、凄まじい勢いで便器に落ちていくおしっこ。布を2枚も隔てているから、水流は重く、鈍い。

「んっ~…」

(おしっこ、でてる…まにあわなかった、こーこーせーなのに…)

頭がぼーっとして、クラクラして。お尻が温かくて、どこか懐かしい。



(どーしよ、これ…)

動くたびにぐしょぐしょと気持ち悪い感覚。お漏らししましたって言っているも同然の格好。トイレットペーパーで拭いても、当然ながら変わらない。

長めのティーシャツを限界まで引っ張っても、隠れないぐらいに大きなシミ。でもどうしようもできなくて、そぉっとトイレを出た。


「あ、帰ってきた」

レッスン室の時計を見ると、すでに10分以上が経っていた。

「入らねえの?」

言わなきゃ。着替えてくるって。地面にこそ垂れなかったけど、靴の中は湿っていて、このまま入ったら汚すからって。

「あの、俺のかばん、取って、っ、」

喉がヒクリと震える。声がひっくり返って、ぼんやりと見つめた地面がゆらゆら揺れる。泣くな、大人なんだからちゃんと言わないと。

「あー、間に合わんかったかー」

バレることは分かっていたのに。恥ずかしくて、恥ずかしくて、意図せず涙がボロボロ溢れてきてしまう。

「っ!!、っ、ひ、」

「あーごめんごめん、泣くなって!」

頭をガシガシと撫でられて、背中を叩かれて。完全に困らせている。何でもっと早く言わなかったんだろう。1番悲惨な結果になって、後悔がどんどん溢れ出してくる。こんなの、小学生と一緒じゃん。この歳になって、情けない。

「ずっと行きたかったん?」

「っ゛、」

「言いにくかった?」

「っ、う゛、」

「着替えある?」

「あ゛る、」

「下着も?」

「っ、っひ、な゛い、」

拭っても拭っても収まらない涙。返事すらもまともに出来ない。

「んじゃあ俺持ってるから入れとくな。どうする?ここで着替える?トイレで着替える?」

「ここ…」

誰が通るかわからない廊下を通って行く勇気はもうなかった。

「そっか。じゃあおいで」

「ごめ、なさい、ごめん、なさいっ、」

「別に悪いことしてないだろ?着替えたら済む話なんだから」

「…はい…」




「終わった?」

「…はい…すみません…タオルも、下着も。買って返します」

「洗ってくれたらいーよ。ほら水」

「すみません…今日のこと、誰にもいわないで…おねがい…」

「言わねーよ。トイレぐらいいつでも行っていいからな」

「…すみません…わぶ、」

突然、鼻をつままれる。

「ひっでー顔」

濡れたタオルで顔を拭いてくれる。少し日に焼けた、骨ばった手のひらは自分のものより遥かに大きい。

「やっぱり俺、怖い?」

「…へ?」

「いや、俺と喋る時すっげー緊張してんじゃ

ん」

「いや、その、違うんです…俺、先輩と話すこと少なかったから…」

「そっか。俺も年下と話すの慣れてないからさ。変なこと言っちゃったらごめんな」

「いえ、そんな、」

「まあ、時間が経てばいやでも慣れるよ。さっ、そろそろ練習戻るか」

「あのっ、おれ、」

「ん?」

「玖宮さん、かっこいいって思ってて、だから緊張するってのもあるっていうか…」

言って、顔がまた赤くなる。さっきとは違う意味で恥ずかしい。

「ふーん。へぇ~…」

「どうしたんですか」

突然口元を押さえて、歯切れが悪くなる玖宮さん。心なしか、顔が赤い。

「なんでもない!!さっさと始めるぞ!!」

「はいっ!!」

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