第13話

 さら……さら……と優しい風が頬を撫でていくのを感じる。リリィがふと目を開くと、目に映るのはどこかの天井だった。


「あ……れ?」


 いつの間に気を失っていたのだろう。赤い雫を破壊して、ハイルも同様に崩れ落ちたのを見届けた後の記憶がない。

 ふと左側に重みを感じて視線を向けると、自分の寝ているベッドの端で黒髪の男が突っ伏している。


「……ユリスさん?」


 どうやら寝てしまっているらしい。起こすのも悪いような気がしてためらっていると、ユリスの体が少し動いた。そしてゆっくりと起き上がりリリィと目が合う。


「……!リリィ!」

「お、おはようごさまいます」

「よかった……あれからずっと気を失ったままで起きなかったから心配した」


 リリィを見つめるユリスの顔は嬉しさと心配が入り交じったような複雑な顔をしている。


「どこかおかしいところとかない?」

「大丈夫です。あの、私はどのくらい寝てしまっていたんでしょうか」

「丸一日。ここは研究棟にある医務室。あれからここに運んで診てもらった」


 リリィが赤い雫を破壊する際、リリィ自身の魔力を全て使いきっていたらしい。回復のために眠り続けていたそうだ。


「目が覚めてよかった」

「ユリスさん、もしかしてずっと側にいてくれたんですか?」

「うん。いつ目が覚めても良いようにずっといた」


 そう言ってユリスはリリィの頭を撫で、そのまま頬も優しく撫でた。


「本当によかった。リリィが俺たちを助けてくれたんだ。ありがとう」


 ユリスは本当に大切なものを慈しむような目でリリィを見つめる。リリィはそんなユリスに胸が高鳴って仕方がない。


「みんなにリリィが目覚めたこと知らせてくる。リリィはまだ安静にしてなきゃだめだ。ゆっくり休んで」


 そう言って立ち去ろうとするユリスだったが、その体が急に止まる。


「っ!?」


 ユリスの袖をリリィの手が咄嗟に引っ張っていた。リリィは無意識だったのか慌てて手を離す。


「す、すみません!掴むつもりはなかったんです」


 慌てるリリィを見てユリスはフッと頬笑む。その微笑みがまた素敵すぎてリリィはクラクラしてしまった。


(う、わ……!ユリスさんの微笑みやばい)


 顔を真っ赤にしてうつむくリリィに、ユリスはベッドの端に腰かけてリリィの顔を覗きこむ。


「そんな可愛いことされたら離れられなくなっちゃうんだけど」

「……う、すみません。もう大丈夫ですから!」


 リリィは両手で真っ赤になっている顔を隠しながらそう言うが、その両手をユリスは優しく掴んでリリィの顔をさらに覗きこんだ。そして、おもむろにリリィの唇にキスをした。リリィは驚いて両目を見開くが、顔を離したユリスはそんなリリィを見て口の端に弧を描く。


「すぐに戻ってくるから」


 ユリスは満足そうな顔をしながら立ちあがり、医務室を出ていった。


(な、な、な、不意討ち!?ユリスさんてば……!)


 一人残されたリリィはゆでダコのように真っ赤だった。



◇◆◇◆



 リリィが目覚めてから二日後。リリィの体力も魔力も回復し、研究課へ無事に復帰したリリィは第一部門の会議室でエデンたちと話をしていた。


「本当にご迷惑をおかけしました」

「リリィは別に謝る必要はない。むしろ我々こそもっと詳しいことを話してリリィからも話を聞くべきだった。本当にすまない。そして、我々を助けてくれてありがとう」


 エデンの言葉にリリィは胸の奥が熱くなるのを感じる。他のみんなもリリィの回復を喜びはすれど非難する人間はひとりもいなかった。


(あんなことがあったのにこんな風に言って暖かく迎えてくれるなんて)


 その後の調査で、ハイルは言っていた通り魔石の力で命を永らえていたようだった。

 赤い雫の破壊魔法は魔石そのものの魔力を消滅させるもので、そのためハイル自身に溜め込まれていた今までの魔石の魔力も消滅し、ハイルはそもそもの姿に戻り結果ミイラ化を経て碎け散ったようだ。


「君のご両親は魔石がハイルの手に渡ることを懸念して赤い雫自体に破壊魔法を施していたようだ。そしてもしもの時のためにリリィに託したんだろう」


『もしもこれが悪い人の手に渡ってしまった時は、あの呪文を唱えて。そうすればこれがあなたを、全てをきっと守ってくれるわ』


 リリィの母親が言った言葉は本当だった。リリィとリリィの大切な人たち全てを守ってくれたのだ。


(五歳頃までしか一緒にいた記憶がないけれど、それでもこうして私のことを守ってくれた。ありがとう、お母さん、お父さん)



「さて、リリィ。君の健康診断での魔力の異常探知については赤い雫が原因ということで解決した。リリィ自身の魔力は人並み程度ということも判明した、よってリリィが研究課にいる必要はなくなった」


 エデンの言葉を聞いてリリィは思わず拳を握りしめる。胸が痛み、寂しさがじわじわと心を侵食し始めた。


(確かに、私はもうここにいる必要はないのよね……)


 チラリ、とユリスを見るとユリスは真顔で床を見つめていた。恋愛ごっこがごっこでなくなったけれど、離ればなれになるとしたらユリスにとって自分はもう必要ないかもしれない。そんなことを考えていると、エデンが話の続きを話始めた。


「総務課もリリィに戻ってきてほしいそうだ。もしリリィが総務課に戻ることを希望するのであればそれを尊重したい。だが……」


 そう言ってエデンはリリィの瞳をしっかりと見つめる。


「第一部門としてはリリィにいなくなられると困る。データの集計やまとめ、片付けなどリリィがいることによって部門自体の業務効率が格段に向上した。我々としてはこのままリリィには第一部門に残って一緒に仕事をしてほしい」


 エデンの話を聞いてリリィの顔が一気に晴れやかになる。そんなリリィの表情に、エイルもベリアもにっこりと笑い嬉しそうだ。


「私は、できればこれからもここでみなさんと一緒に働きたいです!どうか、よろしくお願いします!」


 深々とお辞儀をするリリィを、第一部門の面々は嬉しそうに見つめて歓迎した。





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