メイズさん対フランメさま(2)
思ってたより小さい。人がひとり入ったらいっぱいになりそうだ。瓦屋根の下の格子戸はシロアリにかじられてぼろぼろになっている。
「縫、火貸して」
言われてあたしがランタンをわたすと、峰子はそのフタを開け、中で燃えているロウソクに例の護符を突っこんだ。薄い黄色の紙がみるみる灰になっていく。
「ちょっ! なにやってんの」
「お焚き上げよ。ユダヤの
あたしがポカンとしていると、峰子はお社に向かって大声を張りあげた。
「
そのとき、石段の下から、地獄から響くような声が聞こえてきた。
「ヌーぅぅぅ……イーぃぃぃ……」
ずずっ……かつん。
ずずっ……かつん。
石段をのぼってきたメイズさんは、顔の右半分がなくなっていた。焼き物のかけらをボロボロこぼしている傷の中身はからっぽだ。残った顔の半分にも深いヒビが縦横に走って、焼けこげた髪の毛がからみついている。
メイズさんはケンケンするような動きで近づいてきた。身体がななめに傾いているのは左足首から先が欠けているのと、反対の手にフランメさまの上半身を引きずっているからだ。両手をダラリと垂らしたフランメさまの身体は腰のあたりでちぎれ、その傷口で、何百という虫の脚がウジャウジャ動いている。
メイズさんは歯茎を剥き出し、シィィィッと怒った猫のような音を出した。フランメさまを投げ捨て、かみそりを突き出しながらぐんぐん迫ってくる。
あたしと峰子に、もう打つ手はなかった。
お社の格子戸まで追いつめられる。
と、石畳に置きっぱなしだったランタンがじじっと音をたてた。メイズさんが――あのメイズさんが、ぎょっとしたように立ちすくむ。ランタンの中で燃える火は、いつの間にか鮮やかな青に変わっていた。護符を燃やした灰の中から、黄色いてんとう虫が一匹、もぞもぞ這い出してきたかと思うと、ぱっと翅を広げてメイズさんに飛びかかった。
メイズさんは金属がこすれるような叫びをあげながらかみそりを振り回した。てんとう虫がそれをくぐりぬけて額にはりつくと、叫び声はいっそう大きくなった。虫のとまった場所から、ぶすぶすと煙があがる。
メイズさんは苦しんでいた。それでもなんとか額にはりついた虫を引きはがし、指の中で握りつぶす。そのときにはもう、上半身を起こしたフランメさまの顔がそちらを向いていた。
いや、それはもう顔とは言えなかった。たくさんの虫をこねて潰した肉団子の中で、目の代わりに蛍の発光器がいくつもいくつも光っているだけのものだった。その発光器がカッと青い光を浴びせた瞬間、メイズさんの首にかかっていた金時計が爆発した。
あたりにネジやバネが飛び散って、文字盤から炎があがる。
時計が燃えるのと同時に、メイズさんの全身も真っ青な炎に包まれた。
絶叫しながら両手を振り回すメイズさんめがけて、フランメさまがガサガサガサガサと昆虫そのものの動きで突進する。そして火だるまになったメイズさんを高々と持ち上げると、ボギリとまっぷたつにへし折って、石段の下へと投げ落としてしまった。
ほんの数秒間のできごとで、あたしも峰子も、一歩も動けなかった。
ポカンとなりゆきを見ているのが精一杯。そしてあたしが我に返るまでの一瞬の間に、どこからともなく集まって来た青い蛍どもが、みるみるフランメさまの下半身を復元しはじめていた。
ヤバい、と思った瞬間、すぐ目の前まで来ていたフランメさまに首ねっこをつかまれた。天地がひっくり返る。投げられて、石鳥居に激突したと気づいたのはそのあとだ。
痛みで動けない。声も出せない。そんなあたしのほうへ、フランメさまはゆらゆら揺れながら近づいてくる。半分だけ人間らしい形を取り戻した顔に、勝ちほこった笑いが浮かんでいた。あたしを見つめる視線にすら、じりじりした熱を感じる。
やられる――!!
そのとき、峰子が鋭い叫びが聞こえた。
「阿久津蕾果!!」
あたしがぐらぐらする頭を振りながら立ち上がると、格子戸を開け放ったお社の中に立っている峰子が見えた。フランメさまに向けて、なにかを突きつけている。
フランメさまが、そちらにゆっくりと顔をねじ向けた。
「これがなんだかわかる?
そう言って、峰子はちらりとあたしにアイコンタクトをよこした。言葉はなかった。けど、それで充分だった。同じチームで戦うというのは、そういうことだ。
次の瞬間、フランメさまがひときわ強烈な青い光を放った。
峰子にはフランメさまが攻撃してくるのがわかっていた。だから自分から後ろに跳び、そして同時に手にした御神体を、両手で力いっぱい突き飛ばしていた。
御神体はくるくると回転しながらフランメさまの頭上を越えて、あたしのほうへと飛んできた。実際、それは悪くないトスだった。
フランメさまが振り向くのは一瞬遅かった。先に峰子にとどめをさすべきか、御神体を取り戻すべきか迷ったんだろう。その一瞬が生死をわけることになった。
飛んでくる御神体の軌道を読みながら、あたしは踏み切りのタイミングをはかった。身体はボロボロだったはずだけど、そのときは痛みなんてどこかへ行ってしまっていた。
「縫ーーーーっ!!」
ひっくり返った峰子の声を聞きながら、あたしは跳んだ。
「やっちゃえーーーーーっ!!」
スパイクを打つ瞬間、あたしの目は宙に浮かぶ御神体をはっきりと捉えた。試合中、たまにボールの縫い目まで見えるほど集中することがあるけれど、ちょうどそんな感覚だった。
それは片手に収まるくらいのブロンズの像で、すっかり青緑色にさびついていた。モデルは、ひょろっと細い男の人。ピエロみたいなとんがり帽をかぶって、右手のゲンコツを振りあげたようなポーズをしていた。
フランメさまと視線がぶつかった。両手を広げて、あたしのスパイクを阻止しようとしている。あたしは煮えるような怒りと、行き場のない悲しみをこめて青い目をにらみかえすと、顔面めがけて御神体を叩きつけ――る、と見せかけて、視線をななめ後ろにそらした。
力いっぱい右手を振りおろす。御神体が矢のように飛んだ。飛んだ先には、石灯篭が立っていた。
ブロンズの御神体は石灯篭に激突すると、手足がもげてばらばらに砕け散った。
着地の瞬間、捻挫した足首の痛みであたしはしりもちをついた。そこにフランメさまがのしかかってくる。裂けるほど開いた目も口も、怒りで青く燃えていた。
長い指が首にかかる。今度こそやられる、と思ったその瞬間、フランメさまの腕がぼろりともげた。
ヒジのあたりで外れたそれは、たちまち蛍の死骸に変わって地面に散らばった。フランメさまは腕の断面を、まるで信じられないものでも見るみたいに眺めていたけれど、すぐにあっちからぼろり、こっちからぼろりと、身体から蛍の死骸がはがれ落ちはじめた。
フランメさまはもがきながら体勢を立て直そうとした。けれど足がボロボロと崩れて、地面に倒れこんでしまう。
腰が、肩が、胸が。みるみる分解されてゆく身体の中から出てきたのは、黒と緑のコケに覆われたボロボロの骨だ。フランメさまは最後に口を開いてなにか言おうとしたようだったけれど、そうなる前になにもかも崩れて、ぽっかり両目に穴の開いたドクロが剥きだしになった。
気づけばそこには、ものすごい数の虫の死骸と、その中に半分ほど埋もれているひと組のガイコツ――たぶダム底のお墓に埋葬されていた、阿久津蕾果の骨だけが残っていた。
炎の魔女フランメさまの、少しばかりあっけない最期だった。
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