第3話 子離れできないのは愛されているから

親からの愛情は十分だが、縛られて自由のない生活と、親はいないが自由な生活、どちらが良いのだろう。



大学2年生の日下美月(くさか みつき)は、幼い頃から教育熱心な母親の元で育った。一人娘だった美月は、母の歩美(あゆみ)に蝶よ花よとそれは大切に可愛がられ、そんな歩美の行き過ぎた愛は、やがて美月の自由を奪っていった。


美月は女の子らしい遊びや洋服は苦手だった。保育園でもよく一緒に遊ぶのは男の子の友達ばかり。

そんな中、歩美は美月をまだ4歳の頃からバレエ教室やピアノ教室に通わせ、綺麗なシューズや可愛いドレスを着せていた。しかし、美しい所作が求められるバレエや、優雅なクラシックのピアノの音色は、美月には合わなかった。レッスンをさぼろうとすると、歩美は厳しくしつけた。

「なんで出来ないの!!」

「美月の為なのよ!!」

このように、鬼のような顔で怒鳴られてしまう為、美月は歩美に言われるがままに、バレエやピアノのレッスンに通い詰めた。


小学校に上がると、歩美の縛りはより厳しくなった。ランドセルは女の子らしいピンク色。だが美月は本当は、水色が欲しかったのだ。

習い事も増え、月曜日はバレエ、火曜日は絵画、水曜日はピアノ、木曜日はくもん、金曜日は習字。放課後に友達と遊ぶ自由などなかった。

中学、高校に上がっても、門限は18時。1分でも過ぎると、歩美から心配の連絡が止まらなかった。周りの友達は、お泊りをしたり、夜になってもお祭りやカラオケに行ったりと遊んで過ごしていたのに、美月には友達と遊びに行く自由さえもなかった。


しかし、美月も20歳になり、彼氏との時間が増えた。そこで弊害になってくるのは門限の18時。

ある夏、美月の彼、友哉(ともや)が、毎年開催される花火大会に美月を誘った。美月はもちろん「行きたい」と返事をしたが、花火大会に行くためには歩美の許可を得なければならない。歩美には、自分に彼氏がいる事もまだ打ち明けていない。

「お母さん、今度友達と花火大会に行く約束したから、夜遅くなりそうなんだけど、行ってもいい?」

「遅くなりそうって、大体何時頃なの?」

「花火終わった後だから…大体21時くらい…かな。」

「そんなのダメに決まってるでしょ。」

「どうして?何で私だけっ。」

「美月の事が心配だからよ。」

うんざりだった。聞き飽きたその言葉に、ずっと抑えていた本音が溢れ出した。

「何でうちはこんなに厳しいの?自分の子どもが心配なのは他の親も同じでしょ。なのに何でお母さんは私をそんなに縛ってばっかなの?!友達が…せっかく誘ってくれてるのに…。」

「その友達って、女の子?」

「…。」

「男の子なんでしょ。彼氏?」

「だったら何?」

「これ以上お母さんに心配かけないで。」

「…は。もういい。」

冷たく吐き捨て、家を飛び出した。


宛もなく歩いているうちに、いつの間にか知らない道に迷い込んでしまった。

「どこだろう…ここ。」

すると遠くに雰囲気の良い喫茶店を見つけた。急いで歩いてきたから汗もかいているし、少し冷たい飲み物でも飲んで落ち着こうと、美月は店のドアを開けた。


「いらっしゃいませ、ようこそ。」

薫はちょうど、先程帰ったお客様のテーブルを片付けているところだった。

「お好きな席へどうぞ。」

美月はカウンター席へ座った。

「アイスコーヒーをお願いします。」

「かしこまりました。」

コーヒーを待つ間、美月が店内を見渡していると、壁にかけられたカレンダーの花火の写真が目に入った。家を出る前の歩美とのやり取りを思い出し、また怒りが込み上げてきたかと思えば、その怒りは虚しさに変わり、涙が滲んだ。

その様子に気付いた薫は、マドラーで氷をカラカラとかき混ぜながら、柔らかく語りかけた。

「花火、良いですよね。今度近くで花火大会あるみたいですよ?」

「はい、その花火大会行く予定です。」

「そうなんですね。お友達と?」

「彼と。」

「いいですね。」

「でも行けないかもしれないです…。」

「どうしてですか?」

「…えっと…。」

「あ、その前に、お待たせ致しました。アイスコーヒーです。」

薫は、透明なグラスに注がれたコーヒーを美月の前に置いた。冷たいコーヒーの優しさとほろ苦さが、火照った美月の身体に染み渡った。

ごくごくと飲み進める美月を見て、薫はドアへと向かった。店の看板を、"OPEN"から"CLOSE"に裏返すと、再び美月の元へ。


「もし良ければ、お話聞きますよ。何か悩んでいる事があって、それでここに辿り着いたんですよね?」

「何でわかるんですか(笑)」

「最近のお客様は皆さん同じなので。しかもここ、中々見つけにくい店ですし、ただフラッと立ち寄って食事するだけの方って逆に少ないんですよね(笑)」

「そうなんですね…。私、美月って言うんですけど、お兄さんのこと、薫さんって呼んでもいいですか?」

「はい、もちろん。」

「薫さんのご両親って、どんな方ですか?優しかったですか?それとも厳しかったですか?」

「…えーっと…どうだったかな…(笑)」

「うち、物凄く厳しくて、特に母が。もう何でもかんでも自分の思い通りにしたいみたいで、私の事。服の色も習い事も全部勝手に決めちゃうし、門限も18時までだし、それで今度彼と花火大会に行くことになったから、帰りが遅くなるかもって伝えたら、"行っちゃだめだ"って。」

「なるほど…。」

「まだ小さい子どもにっていう事ならわかります。だけど私もう20歳なんですよ(笑)」

「美月さんの事、本当に大切で心配なんでしょうね。」

「その通りです。"心配"が母の口癖、もう聞き飽きました(笑)でも親ってそうゆうものなんですかね?友達の親とかは、割とその友達の事は放ったらかしで、好きな所行っておいで、遊んでおいでーってタイプで、うちとは真逆だなぁって。羨ましいなって。」

「僕は、美月さんが羨ましいです。」

「え…どうしてですか?(笑)」

「僕にはいないんです。両親ともに。」

「…。」


切なく笑う薫を見て、少しの沈黙の後、美月が恐る恐る問いかけた。

「何でかは、聞いてもいいですか…?」

「いや、僕の話はいいんです(笑)親がいない僕からすると、美月さんは羨ましいです。確かに少し、過干渉な気はしますね。でも、それが親なんだと思います。」

「もう大人ですけどね(笑)いい加減に子離れ…。」

「子離れできないのは、美月さんが愛されている証拠です。いろいろな親がいます。産まれた瞬間から大事に大切に育ててくれる親もいるし、産んだはいいけど育てられなくて子どもを捨ててしまう親もいる。」

「酷いですよね…。」

「その酷い親に比べたら、美月さんのお母様はとっても素敵です。美月さんの事が本当に可愛くて、愛おしくて…大好きすぎて不器用になっているんだと思います。」

「大好きすぎて…?」

「お母様も、悪気はないはずです。美月さんの為に良かれと思って厳しくしてしまっているけど、美月さんも、"どうせまた"ってお母様と向き合う事を諦めているのではないですか?」

「確かに…。」

「彼氏さんとの事も、きちんと話して。今後の将来に関わってくる事ですもんね。あとは、"心配かけてごめんね"、"いつもありがとう"って伝えてあげてください。自分が大切にされている事を、美月さんがちゃんとわかっていたら、それがお母様に伝われば、少しは美月さんのやりたい事にも賛成してくれると思います。」

コーヒーを飲み干した美月は、ここに来た時よりも少し、表情が晴れやかだった。

「薫さん、お話聞いてくださってありがとうございました。コーヒーもごちそうさまでした。」

「いえいえ。」

「私、母に酷い事言って、そのまま家飛び出して来ちゃったんです(笑)戻って、ちゃんと謝ってきます。そして、ちゃんと話してみます。向き合ってみます。」

「はい。今度ぜひ、お母様も一緒にいらしてください。またお待ちしております。」

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