第4話 巫女の場合「具現化魔具『パンドラ』」

巫女の場合 『具現化魔具 パンドラ』


今日のあたしは疲れていた。


午前中に、シェイドを大学の友達の茉奈に見られてから、精神疲労がひどい。

午後は大学の講義が2つあったが、午前中の出来事に比べたらどうってことがなかった。

今はただ、茉奈がシェイドのことを噂しないと信じる他なかった。こんなことになるようだったら、服なんてネットで注文するか、メルカリで何とかすればよかったとあたしは後悔したが、それは覆水盆にナントヤラだ。


あたしが通う美大は、仙台駅から地下鉄で2駅行き、徒歩で3分くらいのところにある山の上にある美大だ。仙台は地下鉄と言いながら、地上を走ったり、山の上を走ったりする。もはやそれは地下鉄ではないのでは、という人もいるかもしれないが、人間、細かい事を気にしては生きていけないというものだ。社会にはおかしいことはたくさんある。今うちにいる超能力者のように。


今日がいつもと違うのは、帰っても家事をしなくてもいいことだ。

家事は全て居候の超能力者に任せてあるので、あたしの自由時間は1日につき、1時間は増えるだろう。

これは喜ばしいことだ。1時間という時間は非常に貴重だ。今度カラオケで歌う曲を動画配信を見ながら練習するには十分足りる時間だ。加えてSNSでフォロワー巡りをするくらいの時間もあるかもしれない。大したことがない1人分の食費やらだけで、あたしの時間が増えるのだとすれば、ありがたいことこの上ない。もしあの超能力者の記憶が戻らなかったら、主夫としてずっと置いてやってもいいかも

と、そこまで考えたところで、あたしは思考を整理した。


今あたしは何を考えていた?あの居候を主夫にしてもいいとか思ったような気がする。

そこであたしの頭脳は、一般的な思考回路に戻った。

何をバカなことを考えているんだ。あいつは昨日会ったばかりの変態で、しかも外人、無職だ。特技と言えば超能力だが、この世界で超能力を活かせる仕事があるのか?本物の超能力を見たら、マジシャンでも雇ってくれないと、あたしは思う。

本物のマジックが使えたら、マジックもどきをしているマジシャンなど、職を失ってしまうからだ。


とよくわからない妄想をしたところで、マンションについたあたしは、エレベーターに乗り込んだ。

そしてエレベーターが32階に着くまでが長いので、あたしはまた妄想を再開した。


いや、しかし待てよ。

あたしのこの強気な性格が災いして、生涯、あたしに夫ができなかった時用に、あいつを仮夫として確保しておくのはアリではないだろうか?あいつはナヨナヨして、とてもではないが、男気がなく、夫第一候補にはならないが、家事はでき、料理もでき、それほど文句も言わない。

夫第三候補くらいに置いてやると言えば、あいつはそれはもう単純に喜びそうだ。なぜかあいつは、会ったばかりのあたしのことを好きらしい。

一目ぼれなのだろう。好きと言われて悪い気持ちがする人間はそういない、あたしもその例外ではない。もちろん、これはあいつには言わないが。

しかし、あいつに夫候補だというと、あいつの喜ぶ顔が浮かび、なぜがそれにイラつく自分がいそうだと思ったあたしは、結局、夫候補の話をしないことにした。

そもそもなぜこんなことを考え始めたのだろう?やはりあたしは今日疲れているのかもしれない。


家の鍵を開けて、ただいまと言うと、奥から味噌汁のいい匂いと共に、シェイドのおかえりなさいませーという声が近づいてきた。


シェイドは私服にエプロンを付け、濡れた手をそのエプロンで拭う姿がそれはまた、絵に描いたような主夫であった。2日目にして、ここまで主夫が板についている男はいるだろうか?それも外人で。


「ご飯もできてますが、お風呂になさいますか?一応沸かしております」

シェイドはにこにことした表情でそう言った。あたしは主夫というより、家政婦だなと思いつつ、ゴハンにするわと言った。


食卓は和食であり、それは絵に描いたような和定食で味も良かった。

あたしは、シェイドの料理の腕を褒めたかったが、柄ではなかったので、それをこらえた。

ただ、「まあ、悪くはないわね」とだけ言っておいた。

シェイドはありがとうございますといい、にこやかな表情で味噌汁をすすった。


食事中に、あたしは考えていたことを口にした。

「あんた、ちょっと髪長すぎない?趣味なの?」


シェイドの髪、特に前髪は目に入るどころか、目の下まで伸びている。

人相を隠すにはいいのかもしれないが、見たいものも見えないのではないかとあたしは思ったのだ。それにそこまで髪を長く伸ばしている男性を、あたしは見たことが無かった。


「僕はもともと引き篭もりでしたので、外に出て切らないだけなんです」


シェイドは特に気にしないといった様子でそう言った。

「じゃあ、切ってあげようか。どうせ当分、逃げてる身だし、美容室にもいけないでしょ」

「え、いいんですか?」

「あれ、というか、あんた、昨日、超能力でロープ切ってたわよね。髪は切れないの?」


そう言ったあたしに、シェイドは、あぁと残念そうな表情を浮かべ、左手で自分の前髪をつまんで言った。

「実は魔法は、自分を傷つけないように、幼いころに制御されています。髪の毛も自分の身体の一部なので、魔法で切ることはできないんですよ。もちろん、爪も切れませんし、ヒゲそりもできません」


それを聞いてあたしは、へぇと関心した。確かに超能力なんかが使えたら、間違って自分の手を切ったりすることもあるはずね、と思っていた。

その疑問が今、解けた気がした。

というか、シェイドはいつまで、魔法と言い続けるのだろうか、あたしはそろそろくどいからやめさせとこうか、と考えた。


食事が終わると、床にビニールシートを引いて、シェイドの散髪を開始した。


あたしは美容師でもないし、その道を目指したこともないが、実は美大にはあまりカリキュラムとしては多くないが、造形のためにマネキンの髪の毛を作ったり、髪を切ったりする講義がある。

あたしは以前、それを興味で受けたことがあったので、まさかこんな形で役に立つとは思わなかったが、よくその講義を受けていたな、と自分を褒めた。もちろん、散髪用のハサミも買ってある。

マネキン用のハサミだが、実際に理容店などで使用されているものと大差ないそうだ。

目の前にいるのはマネキン、ではなかったが、あたしの中でシェイドはマネキンと同じくらいの、なんというか存在であったので、特に緊張することもなかった。そう考えた自分は、さすがに失礼すぎたかもしれない。


「特に好きな髪型はないので、お任せします」


そういってシェイドは目を閉じた。

あたしは、そうは言ってもそれほど髪型のレパートリーは多くはなかったので、単に長いところを短くし、ボリュームを削ることにした。散髪は、基本、縦切りをしていれば、それほど失敗することはない。


15分後、シェイドはボサボサ髪のオタクから、少しスッキリした髪のオタクへと変わった。


あたしは、シェイドの眼鏡も、今のような丸眼鏡ではなく、おしゃれ眼鏡か、コンタクトにしてやりたいなと、心の中で思った。

シェイドは鏡を見ると、おお、と感動し、あたしに何度もお礼を言った。

こちらの世界では、床屋じゃなくてもこんなにうまく髪を切ってくれるんですか?とひどいおだてかたまでされた。

あたしは素人だから、変なとこあっても文句言わないでよね、と言ったが、内心ではかなり嬉しかった。そういえば、最近、人に感謝されたことがなかったな、と思った。シェイドには1日で1年分くらい感謝されているような気がした。


それからシェイドは、

「やはり日ごろの食費などのこともあるのですが、申し訳ないので、何かお礼がしたいんです。服代も何万円もかかっていますし……」

とあたしに言った。


あたしは要らない要らないと言ったが、彼が「それでも」と、引かないので、めんどうくさいから分かった、と言い、彼に任せることにした。


「お礼って言っても、あんた、超能力で何かするわけ?」

「実は、向こうの世界から持ってきているものがあるんです」

そう言ったシェイドは、彼がこの部屋に来た初日に、身に着けていた服がかけてあるクローゼットのところへ行くと、何かを取り出し、あたしの前に持ってきた。



それはシェイドが初日に腰に付けていた、ポシェットのようなものだった。

青みが強い紫色に、黄色い読めない文字がいたるところに走っている。



「これは、具現化魔具『パンドラ』と言います」



彼はそう言って、床にポシェットを置いた。

あたしは、へぇというと、そのポシェットを観察した。

なんてことはない普通の物入れだ。普通のポシェットより、容量が大きいもので、何か実用的な感じがした。ただ、女の子が趣味として付けるには、ちょっとダサいかなと思った。


「このパンドラは、イメージを具現化する道具です。このポシェット部分に思いを詰めたものを入れて、呪文をつぶやくだけで、具現化します」

「……はぁ?」


あたしはシェイドの説明が、もはや超能力の域を超えたものであったので、思わずそうつぶやいてしまっていた。

思いを具現化するなんて、それは超能力というより、魔法だ。

あたしはまた、シェイドは比喩的な表現を使ったのだろうと考えた。


「多分、試してみないと信じてもらえないと思いますので、やってみましょう」

「試すって、どうすんの?」

「そうですね。巫女は美大でしたよね。何か紙に書いて欲しいです。そうだ、大きな宝石がいいですね。この世界のアメジストなんかどうですか?」

「まぁ、描けるけどさ。さすがにあんた、超能力でもそれは無理でしょ。今回は何なの?あたしをからかおうとしてんの?怒るよ?」


そう言ったあたしに、シェイドはちょっと怯えた飼い犬のような表情を浮かべ、すぐに言葉を繋いだ。

「そ、そんなつもりはないんです。でも分かりました。もし宝石ができなかったら、僕を殴ってくれていいです」

「あぁ、最初からあたしの機嫌を取ろうとしてんのね……もしかして昼のこと気にしてんの?でもさすがに殴るのはねぇ。」

「わかりましたわかりました!じゃあできなかったら、ほっぺをつねる、でいいですから、始めましょう」


シェイドはどうも、あたしに早く作業をさせたいのだろう。

話を強引に打ち切った。

とは言っても、あたしは昼のことでそれほどシェイドを責めている気はなかった。

むしろ外へ連れ出したあたしも悪いと思っていたからだ。彼に責めるところがあるとすれば、言葉の選び方だなとは思っていた。


そんなことを考えつつ、講義でよく使うスケッチブックを一枚破り、そこにアメジストを描いた。


どうせできないのは分かっているので、でかいアメジストをイメージして描いた。それはもう握りこぶしくらいのものだ。

1分ほどでとてもリアルなアメジストを描けた。鉛筆だが、陰影も付け、美大生っぽい絵だと言っていいだろう、というものができた。


それをシェイドに、はいと渡すと、彼は、ええ、と驚いた。

「これは、今描いたんですか?」


彼は目を大きく見開いて、あたしにそう聞いた。

髪を切ったので、彼の目がよく見えた。

あたしは、描いてたとこ見てただろうが、と毒づいた。


彼はなおもあたしのアメジスト絵をうーんと唸りながら見て、

「僕の世界でここまでうまい絵を見たことがありません」

と真剣な表情で言った。


彼のいた世界は狭いんだな、とあたしはちょっと同情した。施設の中で絵もろくに描けなかったのだろう。かわいそうに。

あたしは、「分かった分かった、早くポシェットに入れな」と次を促した。


それを受け、シェイドは絵を4つに畳むと、ポシェットに入れ、それからあたしに向き直って言った。


「準備はできましたので、巫女、今から僕が言う通りにしてください。そうすれば、物が具現化して現れます」

あたしは、わかったと言い、彼の言葉を待った。


「まず、右手を前方にかざします」

シェイドはそう言うと、目の前の空気の壁を右手で押した。


あたしは右手の掌を広げ、前にかざし、これでいいかと彼に聞いた。

シェイドは大丈夫です、と言い、言葉を続ける。


「次にこう唱えてください。召喚、アメジスト」

「しょうかん、あめじすと……これでいいの?」


シェイドの「はい、それで終わりです」と言う言葉と、

出現した巨大なアメジストが地面にごと、と落ちる音がハモっていた。



一瞬の後、あたしの足元には、握りこぶし台のアメジストが転がっていた。

場に静寂が走った。



あたしは何も考えられない状態になった。

そういえば、昨日も同じようなことがあったな、とあたしは思い出した。

あれは確か、シェイドが空中に浮いた瞬間だった。


「えーとさ」

あたしはしゃべるべき言葉を探したが、見つからなかった。

座って、転がったアメジストを触ってみるが、やはり硬く、実物だとしか思えなかった。

まあ、触る前から、そうだろうなとは思ってはいた。

とにかく目の前で起きた全ての出来事を理解できなかった。


「もしかしてなんだけど」

その言葉に、シェイドが、はいなんでしょうか、と答えた。



「あんたって、本当に魔法使いなの?」



あたしの遅れてやってくる思考に、シェイドの声が乗っかってきた。


「だから、最初からそう、言ってるじゃないですか」


それからシェイドは続けて

「このパンドラは、お礼として巫女に貸しておきますよ。あまり危ないことには使わないでくださいね」

と言ったが、その言葉はあたしにはあまり響かなかった。


それから15分、あたしの思考は停止したままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る